五島列島のみち 〜九州自然歩道・五島エリア〜 (6/8)
9日目(龍観山→青方)
白魚〜三日浦
あたりが白むころにはもう鳥たちの大合唱である。目を覚ますのにこれ以上の音楽があるだろうか。美しく響き渡るウグイスやオオルリたちの歌声は、空間を切り裂くように鋭く、力強く、優しく、そして全てが完璧に調和している。どんな才能ある人間が奏でる音楽だって、この自然界のアーティストたちのパフォーマンスには敵わないだろう。
テントの外に出るとあたりには朝の霧に包まれていた。
この日は前日に来た道をしばらく戻り、中通島を北上して島の中心部を目指す。30km以上を歩く長丁場だ。
中通島に入り、白魚という地点まで戻るとそこから北へと進む。海岸沿いの集落をいくつか抜けると、道は東に折れて山地へと入ってゆく。浅緑の葉を茂らせたセンダンの高木たちが、淡紫色の花を旺盛に咲かせている。甘い、バニラのような香りが漂ってくる。
道はいちど島の東側に出ると、再び山間部の谷あいを通って北西へと進んでゆく。しばらくゆくと2つの河口が重なる平地、三日浦の集落に出る。
大通りに出るところにバス停がある。ベンチに座って少し休む。バス待ちにやってきた老人と少し会話をした。集落の生業について聞いてみると、
「男はビチクが多いな」
と言った。
「はあ、ビチクですか」
とそれとなく聞き返してみたつもりだったが、それ以上の説明は得られず、何のことだか分からないまま会話は終わった。
青方
三日浦から海岸沿いを北へゆくと青方の町に着く。バスのターミナルや大型スーパーなどがある、この島の中ではわりと栄えた町である。この日はこの町のビジネスホテルを予約していた。
ホテルの建屋はかなり年季が入っていて、細かい設備投資はおよそ諦めたような雰囲気だった。レトロな感じは嫌いではない。
受付カウンターに気の優しそうな初老の男性が1人いる。従業員は彼のみのようだ。ゆったりとした動作で、いろいろと世話を焼いてくれる。
受付の壁に1枚の写真が飾ってある。海に浮かぶ、工場か倉庫のような建造物である。あれは何かと尋ねると、国家石油備蓄基地だという。
昭和の後期から操業しているらしい。この町ではこの施設に勤めている住民も多く、このホテルの宿泊客も過去からその関係者が多いという。
当地の経済にとって重要な存在だろう。また日本国家としても、重要な有事の備えをこうして地方が担っているのだ。
さきほどの老人が言ったビチクとはこのことだったのだ。
買出しと食事、入浴、洗濯などを済ませ、ベッドの上で眠った。外では雨が振り始めていた。
10日目(青方→曽根崎)
雨のなかを
朝起きると雨は土砂降りになっていた。天気予報は終日の雨である。この日は青方からさらに北へ進み、曽根崎のキャンプ場を目指す。
九州自然歩道のルートは、三日浦から南の郷の首という集落へ向かって11kmほど枝道が延びている。当初は青方から郷の首までバスで移動してそこから北上する、およそ31kmの行程を計画していたが、天候を考慮してその枝道をスキップすることにしたのである。
歩き始めると雨はさらに勢いを増した。屋根のあるバス停を見つけるたびに一時避難をしながら、少しずつ歩を進めてゆく。
教会建築家
五島を旅していると幾度となく出会う名前がある。「鉄川与助」という。明治から昭和にかけて活躍した建築家である。
五島の魅力の重要な一角をなしていると言っていい、当地の著名なカトリック教会のほとんどが、彼の設計・施工によるものなのだ。木・レンガ・コンクリートとその構造はさまざまで、意匠は例外なく美しく、どれもが思わず見とれてしまうようなすばらしい建築物である。
丸尾という集落に彼の居宅跡がある。建物はすでになく、家屋の跡らしいレンガの塊と、周囲に赤いレンガ塀がわずかに残っているのみである。
敷地のなかには彼の人生や功績についての説明板がいくつも設置されている。郷土の偉人として大切にされていることがよくわかる。
曽根崎
真白な丸尾教会や赤レンガの青砂ヶ浦天主堂など、雨景色のなかに佇む美しい教会を望みながらさらに北上してゆく。
赤ダキ断崖を見ると曽根崎はもうすぐそこだ。この断崖は火山砕屑物が体積した層が海食により削られて露出したもので、その赤い地層がよく観察できる。
暴風雨のなか、ようやく「新魚目ふれ愛ランド」にたどり着いた。スポーツ広場やキャンプ場などがある町営のレジャー施設である。この日はここのキャンプ場でテントを張る。
日暮れまでまだ時間があった。雨風が落ち着くまで管理棟でゆっくりさせてもらうことにした。管理人と雑談しながら体を休める。
結局天候はたいして変わらず、風が少しばかり弱まったところでテントを張った。キャンプ場の利用者は当然僕1人だ。テントの中で米を炊き、味噌汁を作って食べる。作業のような食事を済ませるとすぐに就寝した。
さすがに東シナ海に面した海岸である。自然の脅威の片鱗を感じさせる強烈な海風が、夜通しテントを激しく揺らしていた。
11日目(曽根崎→津和崎)
アウトドア系ノマドワーカー
夜が明けると雨は止んでいた。風はまだ強いが昨晩よりは幾分マシである。
テントを撤収していると、バンガローから出てきた大柄な男性に声をかけられた。こんな日にテントを張る人がいるとは、と言って楽しそうに笑っている。
ここのバンガローは移住体験用の施設として活用されている。希望者に町が安く貸し出しているのだ。彼はいま、それを使って恋人と一緒に滞在しているのだという。すでに漁船に乗るアルバイトをしているが、この日は恐らく時化で船が出ないのでのんびり過ごすのだそうだ。
「コーヒー飲みます?パンもありますよ」
と言ってバンガローに戻り、それらを持ってまた戻ってくる。人の好意は素直に受けとるにかぎる。ありがたく頂戴する。
これまでに北アルプスの山小屋とか利尻島のコンブ漁など、色々なところで働きながら楽しく過ごしているという。アウトドア系ノマドワーカーとでもいうだろうか。
熊のいないところで罠猟をやりたくて、五島への移住を検討しているのだという。僕はこの旅で何度もイノシシと遭遇している。移住した暁にはいい罠猟ライフを送れること請け合いである。
番岳
この日は中通島の最北端、津和崎までおよそ22kmを歩く。そこから「Smart GO TO」を利用して島の中心部まで戻る予定だ。
「Smart GO TO」はいわゆる「Maas(モビリティ・アズ・ア・サービス)」で、スマホなどで予約すると近くまで迎えに来て目的地まで運んでくれるというサービスだ。これを路線バス並みの料金で利用できる。何年か前、中通島北部のバス路線が廃止になった際に、代わりに導入されたらしい。
まず曽根崎の北にそびえる番岳を目指す。標高443m、上五島で一番高い山である。
九州自然歩道のルート設定によると、山の南斜面の登山道を上り、頂上を経て北東へ抜けるはずなのだが、地図の示すとおりに南の山裾をいくら探しても道が見当たらない。使われないために消失したのだろう。
諦めて山麓の東側の舗装路を迂回する。(現地にある自然歩道の道標はこの道が正規ルートであるような記載になっている)
山を巻いて北東側にまわると、そこから南西方向の番岳頂上へゆく登山道らしき道を見つけた。登頂しない訳にはいかないので、ここからピストンする。
番岳という名前から察するに、かつて見張り場として利用された山のはずだ。本来は展望が素晴らしいのだろうが、その日は一面が霧に包まれて残念ながら全く眺望がきかなかった。
再び北東側へ下りる。こんどはそこから北東の大水集落まで抜ける道をゆくのだが、これがまた道らしき道が見当たらない。
地形図では実線(つまり軽車道)になっている。しかし車道はおろか歩道、いや獣道さえもない。迂回路もないので、道なき林の中に侵入して、地図とコンパスと感覚だけを頼りに、探るように進んでゆく。
カトリックの集落群
なんとか里に出た。大水集落である。北の海に向かって落ちてゆく急斜面に作られた小さな集落だ。まばらな民家と、その中に小さなカトリック教会がある。
その後、小瀬良、大瀬良、江袋、と小さな集落を繋いでゆく。どの集落も大水と同じく山地が海岸線へ落ち込む急斜面で、それぞれに小さな教会が建っている。
とても耕作には、というより生活に適している土地とは言えない。外海から移住してきたキリシタンたちはこうした土地にわずかな農地を作り、集落を築いて生活を営んだ。大変な苦労だっただろうが、それでも彼らにとっては安住の地だったのかもしれない。
中知、米山と同様の集落を通って、さらに北へと進んでゆく。
津和崎
やがて津和崎の集落に入る。海岸沿いの比較的平地に恵まれた土地に位置する漁業集落である。
ここにはカトリック教会がなく、いっぽうで寺と神社がある。つまり漁業集落として適していたこの地には、キリシタンが移住する以前に仏教徒が集落を形成していたということだろう。それがこんにちの町のありように受け継がれているのだ。この集落間の対比がおもしろい。
さらに北へ進むと中通島の最北端である。先端が小さな丘になっていて、その上に灯台が立っている。そこから眺めると、北西には小値賀島が、北東には野崎島が見える。野崎島は津和崎と指呼の間と言っていい。
明日はその野崎島に渡る。有川港から小値賀島を経由する便に乗る。いちおうここ津和崎からも渡れるらしいが、その場合はチャーター便になる。
Smart GO TOで南へ
予約しておいたSmart GOTOは、ちょっと不安だったが予定どおりに迎えに来た。運行は地元のタクシー会社が請け負っているようだ。乗り合いかとも思ったが乗客は終始僕1人だった。
利用者からするとつまりは格安の送迎タクシーである。約30kmの道のりをわずか千円余りだ。行政としては同じ赤字でもバスを常時走らせるよりはマシということだろう。
「わたしらはなんも知りません。ただこれ(端末)の指示に従って走るだけですわ」
と、運転手は言った。受注システムの管理は別の業者がやっているようだ。好奇心丸出しで色々と聞いてくるこの汚い格好をした旅行者に、ちょっと困惑していたかもしれない。
それでも長い道中、彼はこの地の歴史や現状などについてぽつぽつと語ってくれた。このあたりの集落はやはりほぼ全員がカトリック教徒らしい。
幼いころは野崎島の野首教会にもよくミサにでかけたという。
「世界遺産に登録されてから行けなくなってしまった」
と、楽しかった思い出を懐かしむようにしみじみと言った。
Smart GOTOの区間の最南端、浦桑という町で降りた。ここから東に少しゆくと有川である。上五島の玄関口と言える町だ。この日は有川の蛤浜にあるキャンプ場に泊まった。
つづく