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国東半島のみち 〜国東半島峯道ロングトレイル〜 (4/6)

4日目(国見温泉 渓泉〜行入ダム公園)


計画変更

翌朝も雨が降っていた。この日は当初の予定を大幅に変更することにした。K1コースの残り半分とK2コースの全てをスキップして、ここから県道を歩いてK3の成佛寺じょうぶつじに接続する。

当初の計画ではこの日は険しい山道を約28㎞歩き、しかも市街へ下るバスに午後5時過ぎに乗らなければならない。足の痛みが無かったとしても、元々無理がある計画だった。

五辻不動いつつじふどう岩戸寺いわとじ岩戸耶馬いわとやばの岩稜、文殊仙寺もんじゅせんじなど、トレイルの核心部分とも言えるエリアをスキップすることになるが、それらは後日改めてゆっくり歩くことにした。

まいまいがまうてゐる

雨の中の車道を歩く。成佛寺まで、赤根富来浦線あかねとみくうらせんという道を南東へ進む。このあたりで半島の西側から東側に入ってゆく。

途中阿弥陀寺あみだじという寺があって、境内に進む石段の前に句碑が立っている。種田山頭火が「こんな山水でまいまいがまうてゐる」と詠んでいる。かつて山頭火がこのあたりの霊場を巡った際にここに立ち寄り、この句を詠んだそうだ。

隣にある説明書きによると、このまいまいはミズスマシのことらしい。味々まいまいという変わった名前の友人に宛てた手紙に添えた句だというから、友の名に掛けたユーモアだったのだろう。

山頭火は母の位牌を携えて各地を行脚したという。そういえば同じ時代に、同じように放浪と酒に生きた歌人、若山牧水がいるが、彼の俳号の「ぼく」は母の名「マキ」からとったものだ。母への思慕しぼというのは、優れた歌人に共通するものなのかもしれない。

道は半島を中心から東へと流れる田深川たぶかがわに沿って進む。北から下りてくる文殊仙寺方面からの道路と合流して、道は峯道トレイルのK3コースに復帰する。谷あいの集落の中を進むと、やがて成佛寺が見えてくる。

最澄さいちょうの教え

成佛寺は今も修正鬼会しゅじょうおにえを行っている三つの寺院のうちの一つだ。山門の前の石段の脇に阿吽の仁王像が立っている。境内の隅には石仏や庚申塔こうしんとうなどの石造物が多く祀られていた。やはり国東のそれらしく、デザインがあまり写実的でなく愛らしい雰囲気である。

大きな石碑に「照千一隅」とある。伝教大師最澄の教えの一部分だ。一隅を守るは千里を照らすなり、つまり一人ひとりがそれぞれの分野で懸命に生きることが(国家)全体を照らすことになる、という意味だそうである。

六郷満山はその多くが天台宗である。故にここ成佛寺以外でもこの最澄の教えが石碑に刻まれているのをいくつか見かけた。

静かな田畑やホダ場で作業する農業者や、例外なしに優しくて親切な、宿などの従業員たちの姿を思うと、なんだかこの教えの響きと符合するような気がしてくる。

赤根富来浦線をもうしばらく東に進むと、やがてトレイルは南へ折れて、横手越よこてごええという山道に入ってゆく。半ば放置されていると言ってよいだろう杉林になる。林の入口付近はここでも石垣が多い。

ホーヤク祭り

峠を越えて里の道に出る。高良地区こうらちくという。しばらくゆくと右手に上る小路があって、その先に帝釈堂たいしゃくどうがある。苔のむす急な石段を、倒木を避けながら上ってゆくと、大きな岩壁の下に小さな木造の祠が建っている。巨岩と照葉樹に囲まれた静かな空間である。

この高良地区では帝釈天祭りという収穫祭が行われているそうだ。読経のときに柏手を打って参拝するそうで、いかにも神仏習合の里らしい。その前夜祭には供養踊りが奉納される。

前夜祭は通称ホーヤク祭りと呼ばれる。ホーヤクとは地元の言葉で「淫猥な、馬鹿げた」という意味だそうだ。ホーヤク団子なる団子を奉納するのだが、これが男女の性器をかたどったものだということらしい。

梅原治夫氏の著作「国東半島の歴史と民俗(佐伯印刷)」によると、

「供物の性器ダンゴをつくるとき『それは長すぎるゾ』『太すぎるゾ』とか『小さすぎて役に立たんゾ』『まがっているから痛いゾ』などと、ヤンサと見物客が囃し立てる。」

のだそうだ。想像してみるとなんとも楽しそうな光景である。団子は帝釈天を祀る岩壁の下の祠に奉納されたあと、参拝者に配られるという。

なぜそのような風俗が起こったのだろう。性交を是とする密教の影響か、それ以前からの土着の信仰の名残か、あるいは明るく楽しく生きようとする村民たちのユーモアか。

そういえばある集落を歩いていた時、ある民家の庭に、背丈ほどの高さで、垂直に立つ、明らからに男性器の形に見える石像のようなものを見かけたことがあった。半信半疑だったが、胴の部分を見ると大きく「性」と彫られている。やはりそうか、と思った。

なんとも不思議なものを見た、という気分だった。性の字の下にまだ何文字かありそうだったが植木に隠れて見えなかった。あえて確認はしなかった。

何にせよ、日本の農村文化は元来、思っていたよりもよほど性に対して開放的な空気を持っていたのかもしれない。

国東塔くにさきとう

帝釈堂を過ぎてしばらくゆくと神宮寺じんぐうじである。本堂の背後へ続く道を上ってゆくと奥の院がある。照葉樹と針葉樹と苔に囲まれた、静かな森である。奥に佇む祠の手前では、鳥居の足のように立つ2本の杉に渡された縄が近づく者を阻んでいて、なにやら空間の神聖さを増しているように思えた。

石垣の上に石塔が立ち並んでいる。その中に見事な国東塔くにさきとうがあった。

国東半島は石塔・石仏の宝庫といわれているが、その中でもこの半島を特徴づける石造物は、宝塔の一種である「国東塔」だという。国東塔は基礎と塔身の間に反花かえりばな蓮華座れんげざを有していて、これはこの地方独特のデザインであるらしい。ここ神宮寺の国東塔は建武3年(西暦1336年)の建立だという。苔を纏って静かに鎮座するその佇まいに、約700年の貫禄とはこういうものか、という妙な得心をするのであった。

バスがない!

しばらく進むと行入寺ぎょうにゅうじである。その上方、西側に巨大なダムがそびえ建っている。ダム湖畔の公園がK3コースのゴールになっている。このあたりはコース付近に宿泊できるポイントが無いため、この日は行入寺前の停留所でバスに乗って、国東市街へ下りる予定だった。

事前にインターネットで調べた時刻表によると、バスは月曜から土曜に、1日3本走る。最終便は午後5時13分で、これに乗る。日曜と祝日は運休である。この日は土曜日だった。

が、バス停に掲げられた時刻表を見て愕然とした。土・日・祝に便が無いのだ。土曜日も無い。スマホで改めて調べてみると、そのとおり土日祝が運休だった。事前準備の際にぼくが見た情報はどうやら古いものだったらしい。おそらく元々日曜と祝日が運休だったものが、最近土曜日も運休になったのだろう。

ちなみにこの谷では平日は毎日走っているようだが、南北の両隣の谷を走る路線は、なんと週に1日しか運行日がない。そんな路線が他にもあるようだ。採算がとれないが廃止する訳にもいかない、というところだろうか。

印刷してきた古い時刻表をいくら睨んでもバスは来ない。予約した市街の宿まで約10㎞。幸い日没までにはなんとか着きそうだ。まあこういうこともある、と気を取り直して東へと歩き出した。

国東市街の宿

半島の東端で田深川が伊予灘に注ぐ河口の南側、商店や飲食店が並ぶ少し古びた町の中に、その日の宿はあった。中に入ると、主人とも従業員ともとれる、なんとも優しげな中年の男性が迎えてくれた。

「自転車ですか、バイクですか?」

と、ぼくの格好を見て彼は聞いた。彼が現れる前にザックを死角に置いたから、登山という印象は無かったようだ。峯道ロングトレイルで山の中を歩いている、とぼくが言うと驚いて、

「すごいですねぇ。怖くないんですか?」

と彼はしみじみと言った。山には何が出るかわからないから怖いという。鹿は沢山見ますけどね、怖くはないですよ、とぼくが答えると、鹿は襲ってこないですかねぇ、と言いながらもなんだか感心したような様子だった。

親の実家に来たような、レトロな雰囲気の宿の中を、彼はとても親切に案内してくれた。


つづく

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