国東半島のみち 〜国東半島峯道ロングトレイル〜 (3/6)
3日目(真玉温泉 山翆荘〜国見温泉 渓泉)
空はこの日も雲に覆われていた。雨になるかもしれない。昨晩はしっかり休息できた。温泉は足のマメに激痛をもたらしたが、それでも疲れた体には心地よかった。朝食も、宿のスタッフの温かいもてなしも、歩く活力を与えてくれる。
猪群山
トレイルは真玉川に沿って更に西へ進み、やがて右に折れて、北側の山道に入っていく。山の名を猪群山という。麓ちかくでは椿が咲いている。足元の枯れ葉を見るともみじが多く混じっている。紅葉の季節には綺麗であろう。森の中には小規模の石垣の跡が沢山見られた。その上にクヌギや杉などが生えている。かつては人が住んでいて、田畑や宅地として利用していたのだろうか。
登山道を上っていく。森は照葉樹を中心とした自然林で、歩くに清々しい。道は比較的歩きやすく、いわゆる登山道といった感じである。
南側に広がる国東の山谷を概観しながら進んでゆくと、やがて山頂にたどり着く。木々に覆われて展望は無く、休憩用に小さな東屋が建てられている。
ストーンサークル
山頂の東隣にもうひとつ小さなピークがあって、奇岩が環状に立ち並ぶ不思議な空間になっている。ここは昔から神域とされ、女人禁制だそうだ。巨岩のひとつには注連縄が掛かっている。この奇岩群はどういう経緯でこんなところにこうして並んでいるのだろう。自然の作用とも、人が運んだとも、どちらにしても想像ができない。
卑弥呼の墓だという説もあるらしい。卑弥呼かどうかは別としても、「遥か先史の頃に、この地に住むシャーマニズム的な信仰を持つとある部族がここで祭事を行っていた」といった風景を想像することは許されるであろう。
ここからは国東半島の景色がよく見渡せる。山々はお椀をひっくり返したような形で、ポコポコといくつも並んでいる。「神様が泥だんごを叩きつけて作った土地だ」などと、先史の彼らはこの景色を見ながら考えていたかもしれない。
飯牟礼神社
トレイルは一度山頂に戻り、北側へと下りていく。下りきったあたりに飯牟礼神社がある。緑深い静かな森の中。石段や石垣は苔むしている。巨木が石垣をのみ込んでその根を張っている。社殿の横には苔をまとった水牛の石像が寛いている。
ところで猪群(山)と飯牟礼(神社)と音がよく似ている。おそらく語源は同じだろう。であればどちらが先か。猪群山は単純に、猪が多い山、だろうと思っていた。「牟礼」は九州の地名に多く残る言葉で、由来がはっきりしないが、どうも「小高い丘陵」といった意味の、古代の渡来系の言葉のようである。では「飯」は何であろう。
と考えてみても特に答えは出ない。地名の由来などはっきりしないほうが想像の余地があってよいのだ、と一人変な納得をして先に進む。
臼野
臼野、という山里を歩く。狭い谷筋に、斜面のすきを突くように民家や田畑が配置されている。民家も田畑も、野面に積まれた石垣の上に存在している。不揃いに並んだ、苔をまとった石垣は、周囲の自然によく馴染んでいる。
国東半島の里にはこうした石垣が多い。礫が豊富だし、平地が少ないという事情もあるだろう。石垣といえばまず城を思い浮かべる。でもここにあるそれは、争いのためでも権威を象徴するためでもない、庶民の生活の必要性から生まれた知恵の具現のように思える。
歩いていると、「ここは桃源郷ではないか」という思いがする。
と言葉にすると安っぽいのだが、本当にそう感じてしまうのである。聞こえるのは小鳥のさえずりと小川のせせらぎだけ。周りは緑豊かな森。小路の脇には梅が咲いていて、もうしばらくすれば桜も咲くだろう。足元には春の花々が咲いて、モンシロチョウが飛んでいる。段々畑では老女が身を小さくして、静かに草をとっている。
小鳥たちの庭に人も住んでいる、とでも表現するのが正しいのではないか、と思えてくる。
足るを知り、無為自然、天与の恵みを頼って、静かに穏やかに暮す。老子やエピクロスが説いたような生活が、ここではあるいは成り立っているのではないか、とよそ者の勝手な夢想をめぐらせながら、トレイルをまた進んでゆく。
中山仙境
道は進路を東にとり、山畑ー道園線という山道に入る。道なき道を迷いながらゆく。大きな倒木が二度、行く手を阻む。一度谷あいの里に出て、今度は中山仙境の尾根を越える山道をゆく。
途中、尾根伝いに山頂方面へゆくと無明橋や高城などの有名なスポットがあるようだが、これも危険なためかトレイルルートには含まれていない。
霊仙寺・実相院・六所宮(夷谷)、西方寺の里のミツマタ
尾根を越えて進むとやがてT4コースの終着点である霊仙寺・実相院・六所宮にたどり着く。竹田川沿いの谷あいに位置する、夷谷と呼ばれる地区である。トレイルはここからK1コースに入る。
霊仙寺・実相院・六所宮は、北側にそびえる岩山を背に並び建っている。トレイルはこの岩山を越えるべく北に進んでゆく。後野越という。杉林の中を進んでゆく。ここにも石垣が造られている。林業の為というより、やはり田畑の跡地に植林したのだろう。歩きにくい道をなんとか進む。
峠を越えたあたりに、真っ二つに割れた大きな岩が転がっている。その側に黄色と白の、玉のような花をつけた低木が一本生えている。甘酸っぱい、なんとも良い香りを発している。ミツマタだ。さらに下って山を抜けると西方寺の里に出る。そこはミツマタの大群生地だった。
大不動岩屋
里をしばらく東に進むと、再び峠越えである。阿弥陀越という。先程と同じような杉林の山道を進んでゆく。峠を越えてしばらくゆくと、「大不動岩屋」の道標に出会う。
トレイルを左にそれて上る道をゆくと、巨大な岩壁にぽっかりと、岩屋が口を空けている。崖から堕ちないように岩屋へと上ってゆく。岩屋の中には小さな賽銭箱が置かれているのみだ。
岩屋から眺める景色は、まさに深山幽谷というに相応しい。いくつもの岩峰が垂直にそそり立ち、足元の緑深い渓谷を見下ろしている。景色は煙雨に霞んで美しく、幻想的であった。いやこの景観は、どの季節でも、晴れても雨でも、それぞれに美しいに違いない。しばらく呆然とただ眺めていたが、やがて我に帰って再び歩きだした。
伊美川を国見温泉へ
しばらく東に進むと、国東半島を中心から真北に流れる伊美川に沿う谷に出る。トレイルはここから一度北に向かい、その後東へ進むのだが、この日の宿泊地はここから南に約2.5㎞の地点にある国見温泉 渓泉という宿である。
緩やかに上る県道を歩いてゆく。雨がしだいに強くなってくる。この谷もやはり、山を背に田畑が広がる長閑な風景である。左手に千燈岳を見て進む。
右手を流れる伊美川に大きなため池が造られている。一ノ瀬ため池とある。カイツブリだろうか、水鳥たちが悠々と泳いでいる。
堤を過ぎて上流の方にゆくと、流れに少し段差がつくられていて、そのすぐ下流で錦鯉が群れているのが見えた。誰かが飼っているのだろうか。この透明度の高い水の中で、鮮やかな魚体はとても目立っている。容易に捕食されはしまいか、と変な心配をしながら歩いていると、やがて渓泉の看板が見えた。
つづく
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