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マルチタスクも良いけれど…

マルチタスクは疲れるだけ?

私がかつて勤めていた会社は、”マルチタスク”を絵に描いたような「何でも屋」の集まりでした。一人で何役もこなす。今で言うタイパ、コスパにも常に高い意識を持っていて、一刻も早く打ち込むのだと言って、パソコンのキーの叩き方一つさえ決まっていました。

私は転職してその会社に入りましたが、メンタルやられて、たったの4か月で退職しました。面接の際は自分が仕事でどんな貢献が出来るのか、流暢に小一時間喋りまくりました。その様子を見た社長からは「で、君幾ら欲しいんの?期待しちゃうなあ」と言われ、社長のニコニコ顔に安堵して入社したのでしたが…。

とにかく最少人数で効率よく仕事を捌く。動きに一切の無駄は許されない。体験したことは有りませんが、トヨタ式もこんな感じなんでしょうか?機械なら無難にこなせる仕事スタイルだと思いましたね。でも年季の入った社員たちは一心不乱に社長の号令一つで動いていました。

私は前の会社では「仕事が出来るヤツ」と周囲から褒められていました。だからちょっとばかり図に乗っていたんでしょうね。この会社でもやっていけると初日は思ったんです。でもそのモチベーションも翌日には萎えてしまいました。私は確かに一つ一つの仕事は質の良い仕事を提供出来ましたが、マルチタクスは苦手だったのです。あれもこれも。私には不向きな会社だったんです。

古株の社員は年齢が高い人が多く、休みがちでした。そりゃそうですね。馬車馬のようにせっせと働いているんだから、体も壊れます。誰かが休むと、他の社員は、休んだ社員の仕事を普段やらないのに当たり前のようにこなせます。マルチタスクの賜物ですね。そんな彼らもまた疲れて休んでしまいます。そうすると他の社員が…。便利なものです。

親切なベトナム人たち

私はいつしか、技能実習生のベトナム人の若者二人と仲良くなりました。彼らはさすが外国に来て働くだけあって、頭の良い人たちでした。昼休憩には彼らの下宿へお邪魔して、食事を御馳走になったり、寝床を提供してもらったりと、至れり尽くせりの毎日を送っていました。仕事は辛かったけど、彼らとの一時は何物にも代えがたい、温かい時間でした。二人とも、国へ帰ったら日本語の知識を活かして、会社を興したいと夢を語っていました。ああ、今頃、彼らはどうしているのだろう。

体調を崩し…

結局、私は4か月程その会社に雇われ、体を崩して辞めました。最後の日、朝礼で社長が、
「〇〇さんは最初は全く役に立たず、どうなるかと思ったが、最後は人が変わったように頑張ってくれましたね」
と賛辞?を送ってくれました。朝礼に参加した人からは拍手をもらいました。それでも、拍手を受ける私はもういっぱい、いっぱい。笑顔を作ることさえ出来ませんでした。

ベトナム人の二人とは、たった4か月だったけど、最後は涙の別れでした。二人とも、目に大粒の涙を浮かべて私を見送ってくれました。本当に心の涼しい若者たちでした。私は今でも君たちのことは忘れていませんよ。国が違えども、考え方や感性が違えども、私は君たちと分かり合えたことを嬉しく思っています。本当にありがとう。

人の力を結集するのも良いもんです

日本では「一人で何でもできる人」が重宝がられます。でも、本当に全て一人で完璧にこなせる人なんているんでしょうか?

私は今、趣味で楽曲制作をしています。でも、私は楽典をほとんど知りません。ですから才能ある音楽家の力を借りています。そういう作品を動画を使って発表しています。私には動画編集の能力は有りません。センスのある映像編集者の手を借りています。それぞれの人間が、それぞれに堪能な分野でパフォーマンスを発揮する。言ってみれば「職能集団」ですね。

協力して制作活動をしていると、自分一人では思いもよらない発想が飛び出すことも有ります。他人の世界観が一つに集まる。これもまた面白いです。

独りで何でもこなすマルチタスクも良いですが、そこからは決して生まれない幅広い発想。それは他と協力することでしか生まれません。

元々人類は、他者との協力関係を広げることで社会を形成し、発展して来ました。自分の技量を磨くことはもちろん大事です。しかしそれだけに特化して良いのでしょうか?自分に欠けた能力を他人が埋める。こうやって輪を作って何かを進める。こういうことも、マルチタスクを推進する一方で大切なことなのではないでしょうか。

おしまい




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