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自分の“居場所”ってどこだろう?
noteの世界では、プロアマ問わず、本当にたくさんのライターの皆さんと出会います。そんな皆さんを見ていて、私はいつもすごいなあと思うわけです。知識の豊富さ、経験値の高さ、文章の上手さ、他人を言葉の力で虜にする才能。どれをとっても私の敵うものはありません。
私の歴史エッセーをご覧になった方はお分かりになると思いますが、私の歴史的知識は大したことはありません。歴史エッセーなのだから、もっと専門的な深い知識が読みたいと思う読者の方からすると、かなり物足りない内容だと思います。難しい専門用語を巧みに操るわけでもなし。あまりにアバウトな内容に、歴史フリークの方から「それは違う」と、いつかお叱りを受けるのではないかと常にビクビクしています。
そんな私ですが、嫁さんからnoteの存在を教えられ、「きっと向いてると思うよ」という何気ない言葉に誘われ、今日まで執筆を続けているわけです。
星の数ほどいるライターさん達の中を、私はどうやって進んで行けばよいのだろう?このnoteという大海を航海し続けていくには、どうしたら良いのだろう?
悩みました。
そして結局これしかないなあと思ったわけです。
私は知識の量で他人には敵わない。だったら誰でも知っている知識を、自分はどう思っているか?どんな考え方が出来るのか?今を生きている自分にとって、書いている内容がどう自分に関係しているのか?
そんなことを、普段誰もが使う簡単な言葉で、高度な表現を使うことなく誰が読んでも理解出来る平易な表現で、書いている内容が事実と多少異なっていたとしても、読み手に自分が思っていることがストレートに伝わるように。まるで語り部が物語を語って聞かせるかのように、格好つけないで書いたらいいんじゃないかと。
これだったら私でも出来るだろうと思ったわけです。知識が豊かでなくても、文章が上手くなくても、私がその事実とどのように付き合っているのか?
私が思うこと。それは私の心の中にあるオリジナルなものです。誰の物でもありません。私だけが持っている感覚や考え方を、会ったこともない誰かに知ってもらう。これがもしかすると、私のnoteでの居場所なのかもしれません。だから私の書くエッセーはいつも内容が薄っぺらいです。でも私は自分の居場所を見つけたのですから、それでいいのかなあと思います。
でもこれは、ただnoteの世界に限ったことなんでしょうか?実社会の中で、自分の居場所を探している人はたくさんいます。そんな人たちにも通ずることのような気がします。
居場所を探す時は、他人は関係ありません。自分の居場所は他人では探せませんから。自分だけが見つけられる。それが自分の居場所。他人がどこかへ移ってしまっても、自分の居場所には自分がいる。それで良いのです。恰好なんてつけなくてもいい。だって、自分しかそにはいないのだから。
自分が出来ることをナチュラルに出来る場所。
それが自分の居場所なのだと、私は思います。
おしまい