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誰かになれるわけではないけどいつかの誰かを重ねたりもする
暑いととにかく冷たいものを食べる。
冷たいもの、もしくは辛いもの。どうして暑いとこういうものを食べたくなるんだろう。調子に乗って冷たいもの、辛いものを食べてはお腹を壊す。
もう何年も生きてきて、
「夏・暑い・だから冷たいものや辛いものを食べる・お腹を壊す」
までの、このコンボをひたすら続けているはずなのに、どうしたってやめられない。
なんでなんだろう。わかってるのにやってしまう不思議というものが世の中には(自分の中にも)たくさん存在している気がする。
この前、自分が見る夢の話を友人とした。
友人の夢には、たまに会ったこともない女の人が何度も出てくるらしい。もう何年も前からおんなじ人が。
そんな不思議なことがあるのかね、と思って聞いていたのだが、こういう人は、割と結構いるらしい。
へぇーーーーー!と驚いた。そんなことってあるのか、起こりうるのか。驚きと謎でいっぱいである。
しかも、何だか嫌な気持ちになって目覚めることが多いらしく、それって怖い夢なんじゃ…と心の中で思ったのだけれど、それ以上は何も伝えないことにしておいた。
目に見えないものも、この世の中には沢山あると信じている私なので、こういう話は本当に面白い。
あと第六感とか。感じたことはほとんどないけど、やっぱり不可思議な力というものはあるんじゃないかなぁと思っている。
祖母が、昔話していた話を思い出す。
その年、祖父が亡くなった。私からしたら、ものすごく、強烈に、怖くて厳しい、しっかりとした祖父だった。
とにかく怒られた記憶が私にはたくさんある。
いや、優しい一面もたくさんあったし、いろんなところに連れて行ってもらった記憶もあるんだけれど。
テレビも、子供が好きそうなチャンネルを全然見させてくれないし、子どもらしい遊びをさせてもらった記憶もないし。
まだ幼稚園の時に、カッターの使い方が下手すぎてめちゃくちゃ怒られた記憶と、悔しくて階段でメソメソ泣いた記憶が鮮明にある。
祖父がいなくなったその夏、祖母は1人で茶の間で過ごしていた。
ふと茶の間から窓の方を見ると、玄関に祖父が立っているのが見えたらしい。
着なれたベージュの柔らかいシャツをシュッと着て、玄関の扉を開けて家に入ってくるところが見えたそうだ。
え!おばあちゃん大丈夫!?
と幼き私は思って内心ドキドキしていたのだが
『それがね、不思議と怖くなかったのよ〜ホホホ』と、祖母独特の、フワッとした顔で笑って私に話しかけた。
そうなんだ、いや、そういうもんかもしれないな。おじいちゃん、お家に帰ってきたかったんだな、おばあちゃん1人だしな、と幼心で納得したのである。
例えば愛する人がいなくなってしまって。
でもふとした瞬間にいつも通りに帰ってきてくれたら、それって全然怖くないよな。
あ〜!おかえり〜!!ってなるもんな。嬉しい、おかえり、疲れた?ってきもちに、きっとなるだろうな。
その話を聞いてから20年以上経ったけど、不思議とその感覚には納得できるものがある。理屈じゃなく納得できる。
あの頃の祖母は、今の私なんかよりもっともっと大人で(当たり前だけど)多分、すいも甘いも経験してきたんだろうなと、今になれば容易に想像がつく。
でもその時に、幼い私に『不思議と怖くなかったのよ、帰ってきたんだなと思ったわ』と言っていた祖母。なんかその感覚、めっちゃいいな、と思い出したのだ。
それから何年かして、私が高校生になって、祖母も亡くなった。あれも夏だった。
何だかそんなことを思い出したのは、盆が近いからなのかもしれない。
今年も、地元には帰れそうにない。ご先祖への挨拶も直接は今年も難しそうだな。
でも、こうやって思い出す。
そうして少しずつ思い出しては、あの頃の祖母の気持ちも、ごま煎餅をこっそり私にくれた本当は優しかった祖父の気持ちも、何となくわかるような年齢になってきた。
夏だ。心の底から、今は夏なんだなと思っている。
次回の記事は2021年8月22日(日)です。
次回は、天気に左右される時、について、書こうと思います。