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これまで、これからの看護師人生①
今年30歳になる看護師9年目の私です。
新人から副看護師長、そして現在に至るまでの決して平坦ではない道のりをつらつらと書き連ねていこうと思います。
新人看護師さんやそれ以外の方にも響くものがあれば嬉しいです。
看護師になったきっかけ
“看護師になった理由”
憧れ、身内が看護師、誰かの命を救いたい・・・
はっきり言ってそんなものなどなかった。
ただ資格を持って働くことを親に強いられ、
なんとなく勉強をしてきて看護学校になんとなく進み
看護師免許を取得した。
強い志望理由などはなかったが、それでも国家試験に受かったときは嬉しかった。
外科病棟への配属と強者たち
看護師になりたいきっかけなどはなかったが、それでも実習を通す中でバリバリと働く看護師に対しては少なからず憧れがあった。
いざ働き始めると、人生の中でこんな恐ろしい女性など見たことないと思うような強者ばかりが揃っていたのだ。
医者も変わった人が多く、初めての社会人には刺激の強い職場であった。
幸い、中学・高校時代は部活において厳しいコーチがいたため
なにくそ精神で私は乗り越えてきたが、
挨拶は基本無視
申し送りの威圧感
ダブルチェックを依頼するときでさえ、声をかけるのに無駄に時間を費やしてしまい、一度目で声をかけると無視をされ、二度目で「は?」と返事が返ってくる。今でもその時の緊張感を思い出せるほどには覚えている。
業務の中でも日中においては多くのスタッフがいるため気が紛れるが、夜勤となると少人数となるため、勤務表が出ると真っ先に夜勤メンバーを確認し強者と夜勤が被っていないかを同期同士で確認していた。
長期休暇明けの初日
「辞めたいです。」
と心の中で何度も言う練習をした。
希望の病棟に配属になり、少しずつ業務としてできることも増え嬉しい反面、心はとうに限界を迎えており、7月の長期休暇が終わりに近づくに連れて仕事を辞めることばかり考えていたのだ。
早番(7:00~)の勤務にもかかわらず、私は仕事に行きたくないという強いストレスから外で飲んだくれ、なんと明け方の4時に自宅へ帰宅したのだ。放任主義の親もさすがに心配したのか、シャワーを浴びている私に「大丈夫?」と声をかけてきた。シャワーを浴びながら大粒の涙を流し「うん。」とだけ返し、ポカリと母が作ってくれたお弁当を持ち、出勤した。
早番をしていると看護師長が出勤したため、
「おはようございます」
と声をかけた
しかし何度も心の中で練習した言葉は出てこなかった。
「リフレッシュ休暇ありがとうございました。」
そう言って業務に戻った。
今朝まで飲んだくれて泣くほど仕事に行きたくなかったのに
なぜそこで言えなかったのか
いや言わなかったのだ
“まだ働き始めて半年も経っていないじゃないか、私の看護師人生これからだ。”
と思ったのと同時に同期5人の顔が思い浮かんだ。
まだ頑張れる。
そう踏ん張ることで
看護師一年目の第一関門を突破できたのだ。