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ボクはもう少し工作ができると思っていた

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ボクは鉄道が趣味で、小学生のころから鉄道模型の製作をしていた。

また、幼少時から、NHK教育テレビの名盤組「できるかな」が大好きで、のっぽさんに習って、様々な工作をしてきた。
母親が「危ないから使ってはダメ!」と禁止したカッターナイフを、父親にお願いして使わせてもらったりしていた。

死んだ父親は、自営業の電気工事職人で、ペンチや、ニッパー、ドライバー等々、様々な電気工事に使う道具に囲まれて育ってきた。
電動ドリルや、丸鋸、電気溶接などもこなす父親で、時々電動工具を使わせてもらうこともあった。

もちろん、様々な工具の使い方を教えてもらった。
父親と、鉄道模型の電気工作をしたり、飼っていた犬のために、一緒に犬小屋を造ったりした思い出もある。
高校のころには、拾ってきた自転車を完全に分解して、再塗装し、壊れた部品を購入して付け直し、完全な自転車を組み立てたことだってある。

仕上げが雑なところもあり、手先が器用とまでは言えないが、そんな様々な工作は好きだと思っていた。

ところが!!

前の看板サイン業に転職した時、転職の時に社長の面接で、
「実際に看板やサインの取り付け作業もある」
と言われ、頭の中では、
「子供の頃から工作が好きなのだし、きっと上手くいくだろう」
と思っていた。

しかし、実際は違っていたのだ。

看板・サインにも、様々な取り付け方がある。
直接、接着剤で張り付けるだけだったり、下穴をあけて、ネジで取り付けたり、大きなものは、ボルトとナットで固定したり。
いざ、電動ドリルを使って、看板・サインを取り付ける壁面に穴をあけようとすると、いや、単純に接着剤で貼り付けるだけであっても、どうにも自分の中で抵抗感、怖さ、恐怖のようなものが、ぬぐえなかった。

何故だろうか?
自分なりに考えてみた理由がいくつかある。

■お客さんのものを工作するほど、腕に自信がなかった。
単純に、度胸が足りなかったとも言えるのかもしれないが、慣れと、実際の腕、自信を磨くためには、やはり、自分のためのDIYばかりやっていたのでは、ダメなのだ。もっと経験が必要なのである。

■パソコンでの作業に慣れすぎると、やり直しができない作業に恐怖を感じてしまうようになる。
学生時代にパソコンに触れて以降、社会人になってからも、紙、映像など、媒体は何であれ、その製作のほとんどに、パソコンを使うようになった。
製作過程において、パソコン上であれば、「やり直し」ができるのが当たり前になっている。
その作業過程にボクは慣れ過ぎてしまったのだ。
看板サイン業務において、突然、「穴を開けたら、ほぼ、やり直しができない」という作業を見て、いや、実際に失敗をしてしまって右往左往する先輩の姿を見て、非常に恐怖を感じた。

■中途半端にデカい作業、作ることは肉体労働でもある。
先輩に教えられながら実作業に従事するたびに、自分の苦手さを自覚して、憂鬱になったのだが、せめて、その中でも、ボクにとっては鉄道模型サイズに近い作業であれば、何とかこなすことはできた。
5mm以下の穴を開けたりするような作業であれば、精神的には緻密さが求められるのだが、ボクにとってはまだマシで、耐えることができた。
しかし、看板サイン業は、それだけでは務まらない。
例えば、屋外の「駐車禁止」とか、「入口はこちら」なんていう自立サインや、ビルの屋上についているような、巨大な社名看板も扱っていた。
その固定のためには、当然、壁面や、舗装面のコンクリートに、振動ドリル、ハンマドリルを使って、10mm以上の太さがあるアンカーボルトを埋め込んだりするのである。
実際には、看板サイン業務の半分以上は、肉体労働である。
やはり、幼少時から、運動、スポーツ全般、体を使うことを大の苦手としていたボクは、肉体労働には向かなかったのだ。

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