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実録!!ビスコ事件

以前から、mixiやら自分の写真blogやらで、少し語ってきたのだが、この機会に少しまとめて備忘録として記述する。


2012年ワークショップ「手焼き職人とのコラボレーション」

2012年9月、Gallery Roonee247主催のワークショップ「手焼き職人とのコラボレーション」に参加した。

フィルムカメラで、約2時間の撮影→フィルムのプロ中のプロラボ「Photographer's Laboratory」さんでの現像とプリント。

そして、Roonee247さんでの展示までのワークショップだった。

ワークショップ当時、ヒドイ扁桃炎を患った後の病み上がりのボクは、ヘロヘロになりながら、それでも6×6ブローニー5本分撮影!
しかも、ワークショップのお昼は、写真の大師匠トミオカ氏とボクは、ビール祭り!!
そして午後は、「Photographer's Laboratory」平林さんに、「これぞ職人の仕事場!!!」と言わしめる、ラボ見学に参加・・・

なぜ、この時フィルムなのか?
いや、自分は「写真」はフィルムから入っているし、今改めて「その瞬間、その空気」を写し取られる感覚を実感しなおしたひとときだった。
フィルムは、その瞬間を焼き付けた「眼球の網膜」であり、それを再び紙に起こすことは、記憶の中の風景を探っている状態に近いような・・・

今や、フィルムは驚くべき速度で、どんどん販売中止になって、高額化しているので、この頃がギリギリ、手間がかかる「フィルムと戯れる」ことができる時期だったのかもしれない。

実録!!ビスコ事件

1996年実録ビスコ事件のネガ。※反転画像での掲載とさせていただきます。

そんなワークショップの展示に際し、古いフィルムを漁って見つけた2枚の写真。。。

いやぁ、この写真、プリントされたのを見た記憶ないんだよね・・・
撮った記憶もゼロ。
執念?ストーカー?・・・いや、念写!?
いや、高校時代の甘酸っぱい・お・も・い・で!!!!

自転車の高校生、リアルな高校生!

高校時代、ボクは自転車で30分以上かけて通学していた。
もちろん、その遠距離通学のエネルギーを補うために、朝ごはんは、家でガッツリ食べていた。

その通学路の途中、学校まで残り10分程度の場所に中学校時代から、まぁ、、、なかよく・・・いや、仲がいいと思っていたのはボクだけ!?
・・・まぁいいや、とにかく、とってもかわいい女の子が住んでいた。

その女の子は、いつも授業開始の8時40分ギリギリに登校していた。
ボクは、余裕をもって、その女の子の家の前、岡山中心部を流れる旭川を挟んだ橋の手前で自転車を止めて、ポケットから一袋(当時30円)のビスコを取り出す。

ビスコ(当時30円)

時間を調整しつつ、今日はその女の子とお話できますように・・・そんな祈りを込めて、ビスコをかじりながら、時間に合わせて(→今思うとストーカー!?)自転車をこぎ出す。

前にその女の子が、家から自転車で出てくるのを確認!!

やった!!超ラッキー!!

ボクは、ビスコをかじりながら、全速力で、その子に追いつく。
「おはよう!今日も時間が無くて、朝ごはんビスコだよ~」
とその女の子の前に登場する。。。

ストーカー!?
いや、高校時代の甘酸っぱい・お・も・い・で・です!!!!

その女の子とは、そこから学校まで、たった数分の、他愛もない会話だけだった。
彼女が完全に遅刻ペースだったり、上手くタイミングが合わない日もあった。そんな日は、落胆しながら一人さみしくビスコをかじる・・・

でも、そんな日々を何度か繰り返していたある朝・・・

その女の子も!遂に!!!

「あたしも今日ビスコだよ!!」

とビスコをくわえて現れたのだ!!!!!

イエーーーーース!!!!!!
ボクはガッツポーズ!!
いやーん!!通報しないでwwwww!!!

・・・という・・・「ビスコ事件」とは高校時代の甘酸っぱい・お・も・い・で・です。。。。

フィルムの2コマ・・・ボクにとっての写真とは

雪が降っていた。ボクは2回シャッターを押した。
※反転画像での掲載とさせていただきます。

2012年、「Photographer's Laboratory」平林さんにお願いして、ワークショップで撮った写真とは別に、この2コマのフィルムを展示した。
写真に写っている女の子にも、何年かぶりにFacebookを通じて、連絡した。

なぜ、撮ったのか、なぜ、そこでシャッターを切ったのか、でも、ボクが、ここでシャッターを切っていた、写真が残っていた、ということは、とても大切だったと思う。

ボクは写真を撮る。
そこにあるのは「残したい」という気持ちである。
それは、写真を撮り始めた頃から、何も変わっていないように思う。

1984年(昭和59年)5月5日岡山県津山市の吉井川沿いの公園にて、父の姿

そして、ボクは今、改めてその残してきたものを、ボクの人生の一直線のライン上に並べ直す作業をしているように思う。
もちろん、写真作品としての「ムーニー劇場」も、そのライン上にある。

ボクの若い頃、Romantic兄弟の時代を知る人から見ると、「そんなのパンクじゃねぇ!ムーニーも年をとったな!!」と見えるかもしれないが、それでも構わない。

単調にリズムを刻む日々を手に入れることが、どれだけ難しいことか。

今まで撮ってきた写真、全てを選択肢として、改めてセレクトをしながら、ボクの人生の一つのライン上に並べ直す作業をしている。
もちろんそのラインは、今途切れるものではなく、未来に繋がっている線なのである。

ボクは、変わっているけれども、変わらない1枚の写真への愛情は、決して変わらない。

1997年砧公園にて

そんな強い思いでお届けする、次回ムーニー劇場、乞うご期待ください!!


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