地方振興と広告代理店業務に辟易した話
カメラマン、ワタナベアニさんの文章を引用させていただくのは、非常に烏滸がましいのですが、ボクも思い当たる経験があったので書かせていただきます。
ワタナベアニさんは、organbarのイベントと、APAアワードの授賞式でお目にかかった程度なのですが、著書「ロバートツルッパゲとの対話」も読ませていただき、noteも毎回楽しみにさせていただいております。
ワタナベアニさんとしては、ボクのような引用のされ方は本意ではないのかもしれませんが、今回のワタナベアニさんの「ドメスティック」の記事に、ボクは地域振興に対し、「ホントそう!!コレコレ!!」と思いましたし、ボクがこのnoteを書き始めたきっかけとなった、転職を通じた前職での思い出を少し書かせていただきたいと思い、少しだけ書きます。
具体的地名は避けるが、東京都西部市域の中の、さらに自治会単位の一地区のお話である。
その地域は、主要駅から車で30分以上離れており、東京都内でありながら、地方都市ほどではないものの、過疎化が進んだ「山村」とも言える地域で、実際の風景も、日本の山村そのものの風景だった。
その過疎化が進んだ一地域で、一人の町内会長が奮起して、空き家になってしまった藁ぶきの古民家を核として、地域振興のNPOを立ち上げた。
NPOは、地元有志により、その空き家を整備し、定期的に農村体験イベントやバーベキュー、餅つき等のイベントを開催し、将来的には、その古民家に宿泊できるように少しずつ整備していった。
ボクは当時、地元のインフラメディア社員として、番組でそのNPO法人の活動を取り上げたことがきっかけで、その代表である町内会長さんとも懇意になり、その町内会長のセミナーを聴きに行ったり、マキ割り体験をさせてもらったり、その古民家イベントを、地元のニュースとして取り上げて取材するようになった。
その古民家は、昔、街道であった国道から少し外れた山と巨木の森に囲まれた桃源郷のような雰囲気で、背後に小さな神社があったり、イベントを開催する広場の眼下には田畑が広がり、首都圏エリアにあるとは思えぬ、落ち着いた山村の雰囲気で、本当に居心地の良い牧歌的な空間だった。
しかし、ある日、ボクの会社を統括する本部から、各地域の担当者宛に、一枚のパワーポイント資料が送られてきた。
会社の統合本部は、経済産業省(だったか、スポーツ庁、文部科学省も絡んでいたか詳細は忘れたし、書かないことにする)の外郭団体と手を組んで、あるスポーツを核とした、地域振興政策のモデル地域を募集する、というものであった。
会社は、“表向き”として「地元密着企業」を謳ってきた企業であるということを、今更ながら前面に押し出して、電〇や博〇堂に負けない、地域に強い「広告代理店業務」で営利を上げようという方策を取り始めた。
当初は、自社媒体としての、映像CMに特化した広告業務であった。番組間に挿入される、いわゆる「CM」のみならず、自社で制作する番組についても、番組提供や、取材先の会社、店舗から、どれくらいの「フィー」が貰えるかによって、番組内容を構成した。
それが、その番組を核とするイベントに拡大し、ひいては、地域のイベント自体の運営に関してまで、どこかで自社が参入できないか、常に画策するようになっていった。
そんな中で、会社の本部では、国の機関と交渉し、関連外郭団体と連携しながら、地域振興予算を「広告代理店」として獲得すべく、奔走していたのである。
お金の流れとしては、ザックリ申し上げると、
自治体の地域振興予算
↓
地域振興NPO団体
↓
アイデア料、広告料としての「広告代理店」である当社
という流れである。
国の外郭団体がどのようにお金を取っていたのかは、忘れたし、書かないことにする。
とにかく、その一枚のパワーポイントがボクのもとに送られてきて、統括本部からは、「お前の地域に、この企画のモデルケースになる地域は無いか?」というお達しが来た。最初は、無視をしていたのだが、やがて、「どこでもいいから地域振興している団体を紹介しろ!!(要約)」という統括本部からの要請となり、各エリア担当に1件以上紹介するというノルマまで与えられることになった。
ボクは仕方なく、懇意にしていた古民家NPO代表である町内会長さんを、統括本部に紹介することにした。
統括本部の担当者と、外郭団体の担当者は、ボクに少しヒアリングをして、すぐにそのNPO代表に会いたい!ということになった。
懇意になっていたNPO代表は、ボクの会合の申し出をすぐに了承していただくことができた。ボクは、感謝を伝えながら、NPO代表のところに直接赴いて、資料を手渡しながら概要を説明した。NPO代表は資料を読み、多少眉をしかめたが、趣旨は理解していただき、統括本部と外郭団体代表との会合に至った。
統括本部担当は、このプロジェクトに参加することで、自治体からの補助金により、古民家をスポーツイベントの休息所として整備することができることや、そのスポーツイベントを通じて、インバウンドの外国人観光客の訪問がどれだけ増えるか、そして、会社の広告媒体としての広告効果などを、ボクも驚くくらいの勢いで、そのNPO代表を相手にしゃべくりまくった。
ちなみに、会社は、地域放送メディアとしての媒体は持っているが、今回の構想はWEBメディア、紙面メディアも含めた広告業務を請け負うのである。正直なところ、WEBも紙面も、会社としては、下請けに丸投げである。
「なんでそんなに広告効果を自信満々にしゃべれるのだろう・・・」
ボクは、その話を聞きながら、背筋に寒気が走ったのを覚えている。
ただ、ボクとしては、その時は、広告効果云々は別としても、もし上手くいけば、その予算を元にして、このNPO代表が手掛ける古民家プロジェクトが発展することを、少しばかり願っていた。
その会合の帰りの車の中で、統括本部担当者は、
「大丈夫ですよ!あとは、松、竹、梅、3つくらいの予算パターンを提示してあげれば、すべて上手くいきますよ!!」
その自信はどこから来るのだろうか・・・。
その後・・・そのNPO代表自治会長から、プロジェクトに対して正式に辞退する申し出があった。
会社内では、ボクのことを残念がってくれたが、ボクは心底ホッとしていた。
牧歌的な味のある古民家が、休息所を備えた近代的改装をされて、その玄関先に、そのスポーツ競技に関わる競技場などを整備していたら・・・もちろん、予算は最初の改装費用だけで、その後の運営維持費用などは、各団体に委ねられている。
その後、ボクは、その会社を辞めた。
そしてその後更に、この感染症蔓延状況である。
インバウンドなど全くあてにならなくなったし、首都圏内とはいえ、主要駅から車で30分以上かかる地域に、どれだけ人を集めることができるのだろうか・・・。
当時のプロジェクト名で検索すると、いくつかの地方都市で懸命にアピールするWEBページがヒットした。どこまで以前の会社が関与しているのか、定かではないが、そのプロジェクト名で検索するとヒットするが、その地域が、全国的にどれだけ知名度があるのかと言えば・・・???である。。。
少し補足させていただくと、もしこのプロジェクトが実行され第三者的に見て明らかに失敗したとしても、恐らく広告代理店である会社も、行政側も、その報告書に「失敗しました」なんて書くことはあり得ないだろう。
その報告書の数字は実態を表さない。
数字絶対信者たちは、「数値化しろ!数字を見ろ!」と馬鹿みたいに叫ぶが、数字なんて主観的にどこを切り取るかでいかようにでもなる。長年ボクは、営業部署の数字を扱ってきたので、そんなことを嫌というほどやってきた。
「イベントの参加者はのべ○○人で前年比〇人増」「最寄り駅の乗降客が増えた」「近隣のそば屋の客が増えた」・・・少しでも増加した数字を取り上げて、報告書に張り付けて、「プロジェクトは成功しました!」という報告書を提出して、みんな打ち上げで飲んで、ハイ!プロジェクト完了!である。
今でもたまに、その古民家のことは懐かしく思う。
そのNPO代表自治会長が聡明な判断をしてくれたことは、ボクにとってもありがたかった。会社を辞めた後、訪問することは叶っていないが、WEBで拝見する限り、そのNPOは、現在も活動を継続されているようである。
ボクはここに、単純にボクが経験したことと、上手くいかなかった一例を書いたが、もしかすると、この構造の中でも、上手く地域振興に繋げた自治体もあるのかもしれない。
しかし、「広告代理店」の営利業務が、本来の目的である地域振興を阻害する結果をもたらす実態に辟易したボクは、少なくとも自分自身は今後、自分の住む地域、もしくは自分の郷里で、違ったアプローチをしていきたいと思うのである。