仕事、車、煙草・・・映画「ドライブ・マイ・カー」
濱口竜介監督「ドライブ・マイ・カー」、アカデミー賞国際長編映画賞受賞おめでとうございます!
いやぁ、ボクもやっと観たのですが、少し、自慢にならない自慢をお話しさせていただくと、以前にも書きましたが、ボクが原案と主演で、朋友マシマさん監督の伝説の自主製作映画「Kenji」を、2015年に横浜市中区吉田町の「吉田まちなか映画祭」で上映したのですが、
その「吉田まちなか映画祭」で、濱口竜介監督の「THE DEPTHS」を上映していて、濱口監督もトークショーで登壇されたという事実を、先日朋友のホソミさんから聞かされまして・・・。2015年当時は、自分の映画を上映することで浮かれていて!?濱口監督のことなど、全く意識しておりませんでした!「吉田まちなか映画祭」が、そんなすごい会だったとは!!!ごめんなさい。。。
さて、映画「ドライブ・マイ・カー」については、観た後に余韻を残して、観客が様々に解釈できる終わり方になっていますし、その演出方法や、村上春樹作品を原作としている点など、本当に「感想を書きたくなる!」映画でした。
きっとボクよりも、深く考察された、優れた批評をたくさん書かれることと思いますので、ボクはネタバレしない程度に、ボクの視点なりの感想を少し述べさせていただきます。
演出家という仕事
西島秀俊さん演じる主人公、家福(かふく)と、霧島れいかさん演じる、その妻、音(おと)の逆光のシルエットとそのストーリーテリングで始まるオープニング・・・正直なところ、この調子で、この映画が3時間も続くならば、ボクは耐えられない!と思ってしまった。しかし、結果としては、ラストに向かってグイグイ映画に引き込まれたのだが・・・。
ボクは、「演劇」やその「戯曲」について、専門的に学んだわけではないのだが、それでもイチ観客として、様々な演劇は観てきたつもりである。
その上で、この映画の主人公家福が「舞台演出家」(舞台俳優出身という設定だが)を職業とし、この映画の中に、舞台芸術で培われてきた様々な演出技巧が込められていることに、正直なところ、ボクは、この映画をシニカルに捉えてしまい、何となく不安でヒヤヒヤして、時に耐えられなく感じた部分がある。。。
まぁ、その元凶というのは、ボクの個人的なもので、ボクが過去に、演出家が奇をてらった演出をし過ぎて、観客を置いてきぼりにした演劇をたくさん見てきたせいかなぁ。。。
演劇を観ていると、国内外を問わず、「奇抜な演出」により、観客を驚かせる演劇に出くわすことが多々ある。
・・・うーん、いや、単純に「派手な演出」ではない。
豪華絢爛、ネオンキラキラな舞台装置や、シルク・ドゥ・ソレイユのようなアクロバティックな演技のことではない。
これぞ、「舞台演出家の腕の見せどころ!」と言える、戯曲、脚本や、そのストーリーを元にしながら、そこから如何に想像力を膨らませて、観客に魅せるか!という演出の妙・・・。
上手くハマれば、観客はその舞台に引き込まれていくのだが、下手をすると、観客がその奇抜な演出についていけなくて、おいてぼりにしてしまう危険性もある、演劇演出の数々。
この映画における、家福の個性的なの演出技法である「多言語化」も、そんな演劇の奇抜な演出方法と言える。
そんな演出方法や、最初はひたすら脚本を棒読みさせる演出方法などの「演劇的演出方法」を、演劇では古典的な手法であるが、「劇中劇」の手法を用いて・・・この映画の場合いわば「映画中劇」なのだが、濱口監督は、押し切って、完成作品としてしっかり纏め上げた。
いや、かなり力まかせに押し切った部分もあると思いますよ!!
一つ一つを取り出すと、かなり冒険的であり、言ってみれば「ツッコミどころ満載」でしょうwww
ここからあえてツッコミますので、もし気を悪くされる方がいたらごめんなさい。
この映画の中の家福は、チェーホフの「ワーニャ叔父さん」とサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の、2本の演劇に何年間も全精力を注いで、さらに、芸術祭からもお声がかかるなんて・・・まぁ、ボクのこのnoteをずっと読んでいただいた方にはわかっていただけるかと思いますが、イチ会社員のボクからしてみれば、どんだけスゴイ演出家で、恵まれすぎてて羨ましいっすよwww
しかも、ここまで自分の仕事に自信を持って打ち込めるというのもある意味羨ましいな、とも思う。ここからは、ボクがこのnoteに書いてきた仕事との向き合い方にもなりますが。。。
ボクなんてホント今まで仕事もプライベートも、自信のない、ブレッブレの人生だったなぁ、と思い返してしまいました。
岡田将生さん演じる高槻のような、自分と異なる感性の持ち主にぶち当たった時、しかも、彼だって、役者としてのプライドだってある。そこで、あそこまで自分の演出家としての感性を信じて突き進めるのはスゴイな、と思ってしまいました。
まぁ、そんな少し地に足がついていないような、家福の「舞台演出家」という職業に対して、三浦透子さん演じるドライバー、みさきの、悲劇的で壮絶にリアルな人生が、この映画の中で上手くバランスを取るように機能したのかとも思いました。いやぁ、「中学生の頃から水商売に行く母を送迎するために車を運転」・・・という話が出たところで、ボクが「舞台演劇」をシニカルに捉えて、この映画に感じていた不安感を全て吹き飛ばしましたから。
車を運転するのが好きな人
この世の中には、大別して、車の運転が好きな人間と、嫌いな人間がいると思う。
車の運転が「好き」だからと言って、車の運転が「上手い」のと直結してはいない気がするし、車の運転が「嫌い」な人でも、仕事や生活のために、毎日相当の時間と距離を運転していて、運転も上手いのだが、「できれば、自分で運転したくはない」と思っている人がいる。
ボクが、車の運転が「好き」なタイプである。
いや、基本的に運動神経が鈍い人間なので「上手い」わけではないと思う。今でも、右折時や、高速道路の合流や車線変更など、ドキドキするし、もしかしたら後ろを走る車をイライラさせたりしているかもしれない。しかし、運転が「好き」だから、免許を取って以来、積極的に運転をしてきたので、ある程度運転に自信もあるし、長距離、長時間運転しても、不思議に疲れが少ないし、苦ではない。
この映画の主人公家福も、車の運転が「好き」であり、できれば車は自分で運転したいと思っているタイプである。その気持ちは、非常に共感できた。
とはいえ、家福も、冒頭に愛車で事故を起こすシーンもあるし、もしかしたら、本人が思っているほど、運転は上手くないのかもしれないのだ。
自信過剰なドライバーが事故を起こしてしまうように、慣れによる気のゆるみ(実際、脚本の本読みを聞きながら運転しているし)や、運転の荒さもあるのかもしれない。
この映画は、この「車の運転」を通じて、あることを「他人に委ねる」ということを、上手く象徴的に描いたと思う。
先に書いた通り、「舞台演出家」という仕事を自信を持って推し進める家福ではあるが、「車の運転」という部分から、妻を失った家福の本当の心持ちをだんだんと解きほぐしていく経過が、上手く描かれている。
「車の運転が好き、自分で運転したい!」と思う人ならば、特に、みさきというドライバーがキーになって、ラストに繋がっていくことに、非常に共感を持ったのではないだろうか?
ところで、途中、家福が目の病気(緑内障)で、「できれば車の運転をしない方がいい」と医師に言われたのは、どういう伏線だったのか?
ボクはてっきり、もっと病気が進行して、家福が運転することができなくなるのかと思ったが、そこまででもないし・・・まぁ、「緑内障」くらい言われていないと、車の運転を他人に委ねるきっかけにはならなかったのだろうか?
緑内障が、「老化」や、点眼薬を刺すことを「反復」の意味と捉えてこの映画を読み込んだ感想もあるようであるが。
煙草
近年になく、煙草が印象的に描かれた映画でした。
ボクが見た中では、宮崎駿さんのアニメ「風立ちぬ」以来の「煙草映画」でしたねw
これだけ健康増進法も浸透しているし、喫煙者には本当に肩身が狭い時代、原作を巡っては、実在する地名と煙草のポイ捨てについて、ひと悶着あったとか・・・。
ボクも普段は、電子タバコに切り替えてもう何年も経つのですが、この映画を観た後、思わず紙の煙草を買って、久々に吸ってしまいました。
煙草を擁護するわけではないですが、何というか、煙草は「間」を作り出す。
ボクも何度か禁煙を試みたことがあるのだが、喫煙者が煙草を止めてみると、休息をとるタイミングがわからなくなる。・・・って、非喫煙者からは「そんなことねぇよ!」と怒られそうですが・・・
台詞から台詞へ、冒頭から、この映画の主要な演出として、立て続けに言葉を途切れず繋いでいく演劇的手法と大局的に、後半になるにつれて、ふと言葉が途切れた時に、「煙草に火をつけ吸う」という無言の仕草が増えていく。
「新たに何かを始める」ということではなく、家福がずっと持っていたものが、徐々に広がっていく変化。家福とみさきとの共通項でもあり、ラストに繋がる重要なアイテムとして、煙草が用いられている。
喫煙者が減っていく昨今だからこそ、今後ますます、煙草を吸うことに意味が出てくるのかもしれない。
最後に
村上春樹の短編を元にした映画として、2018年イ・チャンドン監督による、「バーニング」がある。
改めて、自分で書いた感想記事を読み返してみて、キレがあって冴えているなwww
まぁ、比較しては申し訳ないが、「ドライブ・マイ・カー」のみさきの持つリアリティ溢れる境遇と、家福との格差社会に焦点を持っていくと、もしかしたら「バーニング」のように描くことができるかもしれない。
社会に切り込んだ点でいえば、「バーニング」の方が個人的には、面白かったと言えるのだが、こうして書きながら、「ドライブ・マイ・カー」の魔法にかかったような超絶技巧?も、少しずつ言葉にしてみた。
濱口監督は(と言いますか、今回は村上春樹さんの原作をまだ読んでいないのですが・・・)本来は、観客からの共感を得難い「家福」を主人公としながら、この映画に観客を引き込むべく、さまざまな演出技法や、車、煙草(その他、多言語、手話、広島の情景等々)といったアイテムを駆使したのかな。
いや、「ドライブ・マイ・カー」というこの狭い日本を舞台に「ロードムービー」を成り立たせたことも、よかった。広島から北海道って、長距離トラックの運転手並み!!
その距離がほぼ一日で移動できるようになった、日本の高速道路網も整備されて、すごいよなー、と、そんなところで感心しながら、今回の文章を締めさせていただきますwww