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ボクが唯一誠意をもって継続してきたこと、しかし、まだまだ道半ばであること

2021年も終わろうとしています。
今年も、ワクチン接種にまつわるてんやわんやなど、昨年に引き続き、感染症対策に振り回され、そして、一年遅れの世界大運動会開催!!・・・
緊急事態宣言の中、自分の仕事は繁忙を極めるなど、考えさせられながらの一年でした。
少しnoteの更新が滞ってしまいました。
映画を見ていなかったわけではないのですが、

格差社会に対しての自分なりの思いを頭の中で巡らせている間に、noteを書く間もなく、年末を迎えてしまいました。

転職を機に書き始めたこのnote、転職した職場で2年が経過しました。
前職のことも少し冷静に見つめることができるようになりました。
転職の時、ボクは打ちのめされました。

ボクには何も経歴が無いんじゃないか!?
何社も転職に失敗する中で、ボクの職務経験も、プライベートで自分が努力してきたと思っていたことも、全く、何も評価されず、あまりにも役に立たなかった。

ボクには何もない!!
いったい、ボクの経歴とは、何だったのでしょうか?

そんなことをぼんやり考えながら、今年、ふと思い出したことがあるのです。

ボクが唯一、誠意をもって、たゆまぬ努力を続けてきたこと・・・

それは、「女の子に対する関係性の構築」なのではなかろうかと。

いや、簡単に言えば「女性に対する接し方」なのかな。
うーん、「女性に対する」と限定した言い方は、ジェンダーのみなさま、しかも、多様性が求められる昨今の中で、言及されかねないところでしょうか。。。しかも、敢えて、女性を「女の子」と申し上げるところも、ボクの中での執拗なこだわりなのですが。。。
これを申し上げると語弊があるかもしれないが、ボクは「女の子」=「女性」という意味でここに書かせていただいております。。。

いや、「多様性」とか風呂敷広げて、ボクが、「人間愛」とまで申し上げるほどの度量は無いのですよ。。。
「女の子」に対する人間関係の構築で精いっぱいなんですよ!勘弁してください!!

「え?ムーニーカネトシ!写真は?映画は?鉄道は?そして、前職で十年以上かけて、お前は何をやってきたの?」

・・・はい。あまりにも不誠実な人生を送ってきました。
いや、その不誠実な人生の中でも、ただ一つ、「女の子に対して如何に接するか?関係性を構築するか?」ということに対してだけは、もちろん、多くの失敗も重ねながら、たゆまぬ試行錯誤を重ねながら、努力を重ねてきた。

「これは恋ではない」by 小西康陽

いや、一応申し上げると、もちろん性的な関係性ではないですよ!!
人間として。
ボクは、自分の性欲に支配されるよりも、女の子という他人に支配されることを望んだのです。

そして、申し上げるまでも無いが、今、結婚をして、二人の娘の父親となって、ボクは「女性との関係構築」に関して、全くもって道半ば、迷いと試行錯誤の繰り返しなのであります。

「少年よ大志を抱け」by William Smith Clark

大志なんか無いよ。

「いや、馬鹿じゃないの?みんな、彼女を作ったり、結婚したり、家庭を持ったりしながらも、仕事や、それぞれの目標に対して、努力してんじゃねぇの?」

そうかもしれない。
しかし、ボクにとっては、精いっぱいの不断の努力で、やっとここまで来たところなのであります。
もうね、いわば、「マイナススタート」の自分にとって、今の状態まで来るのが精いっぱいだった。
いや、もちろん、本当に今でもボクは未熟者だと思うし、近い将来、嫁様に愛想を尽かされたり、娘も思春期を迎え、反抗期を迎え、慌てて右往左往し、もしかしたら今までの努力は、やっぱり全くの誤りだったと絶望することもあるのかもしれない。

それでも、今でもボクを苦しめる、中学校二年のあの時、あの娘に対して、お互いに深く傷ついた時よりも、

そう、あの時。

ボクらは、まだ幼かった。
そういう言い方が正しいのかわからないけれど。

彼女も自分の溢れる思いにどうしてよいかわからなかったのだと思うし、ボクも今でも、あの時どういう態度で彼女に接すればよかったのか、その答えを今でも探し続けているのだと思う。

ボクは、あの娘が好きだった。
あの娘は、ボクのことが好きだった。

しかし、14歳のボクらは、その溢れそうな思いを、どうしたらよいかわからないまま、お互いを傷つける形で、関係性を終えた。

それから、ボクは、たくさんの女の子に恋をしたし、恋をしないまでも、たくさんの女の子と、接してきた。
ほんの少しの女の子は、ボクのことを好きになってくれたし、その中で嫁様と結婚して、そして、今、二人の娘と、毎日、1分、1秒、同甘共苦の日々であり、そして、ボクは将来に向かって生きていく。

そんな、ボクと出会った女の子に対して、ボクはどれだけ、彼女たちに奉仕することができたのだろうか?

愛するものが死んだ時には、
自殺しなけあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業が深くて、
なほもながらふことともなつたら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなけあならない。
奉仕の気持に、ならなけあならない。

中原中也「春日狂想」

今、紅白歌合戦を観ながら、そういえば、今年結末を迎えたエヴァンゲリオンのシンジも14歳だったんだなぁなどと思いながら。

ある意味、庵野秀明監督の、「他人との関係性の構築の軌跡」を描いた、新世紀エヴァンゲリオンは完結しましたが、ボクの人生は、もちろん、来年に続きます。

今年も穏やかに年末を迎えることができたことに心から感謝いたします。
来年がみなさまにとって、今年よりも素晴らしい年になりますようお祈りいたします!

それでは、よいお年を!!

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