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弱った日、日常の風景に


国鉄型115系湘南色、岡山駅にて

国鉄型、その日常に

小春日和、3月16日JRダイヤ改正、北陸新幹線、敦賀延伸。
写真は、岡山駅、国鉄型115系湘南色。
正面が暗くなった逆光で、尾灯を点けている後追い写真、しかも、駅のホームでちょいと撮っただけの写真。
鉄道写真としては、決して褒められる写真でもないんだけど、この岡山駅の宇野線・本四備讃線用下り7番切り欠きホームに止まる国鉄型湘南色115系、ボクが岡山で生まれた時にはそこにあった、日常の風景。

蛇足ながらちょいと鉄道マニアではない人に向けて解説しておくと、ボクが産まれたのは国鉄がJRになる民営化前で、北海道から九州まで、JRは「日本国有鉄道」であった。
その「国鉄」で走っていた車両の総称を「国鉄型」と言うのだが、この115系で採用されている電車の正面の形は、北海道から九州までほぼ同じ規格の顔(北海道の711系、九州の415系等含む)で製作された車両である。
更にこのオレンジと緑の「湘南色」という色は、関東(正確には東北本線の栃木県黒磯駅以南)から、新潟、長野、それに下関に至る東海道、山陽本線筋でかつて採用され、走っていた色である。
鉄道マニア的に細かく言えば、差異もあるのだが、一般人からすれば、ほぼ同一の、一般的な鉄道の「日常」風景とも言うべき、車両である。

そのかつて全国で観られた「日常風景」の最後の車両が、ボクの故郷の岡山に残っている(また細かく言えば、長野の「しなの鉄道」でも1本だけ残っているけれども・・・)。

過去に走っていた鉄道車両の一部は、鉄道博物館などに収蔵されたり、あるいは一部の保存鉄道などで見ることもできる。
しかし、岡山には「移動手段」という、鉄道の本来の使命であり、「時間になると、走ってきて、乗って、移動できる」という、鉄道であれば当たり前の日常を味わうことができる、最後の国鉄型車両が走っているわけだ。

「嗚呼、願わくば、この最後の国鉄型車両の『日常風景』を思う存分味わいたい、せめて、写真を趣味とする人間として、写真に残したい・・・」
という思いがふつふつと湧き上がってくるのだが、当然ながら、制約がある。

岡山駅~児島駅を2往復乗った。岡山駅~相生駅も乗った。

岡山平野を走る
115系の窓枠と、変わらない、駅のホームの待合室

でも、どれだけ乗っても足りない。
金も時間も足りない。

祖母の家、その日常に

そんな中、岡山に帰って、祖母の一周忌、家主のいなくなった祖母の家を片付ける。

庭に転がる鍋。祖母が水を撒くひしゃく代わりに使っていた。
応接間のレトロな照明器具
台所
祖母が料理した道具たち
神棚
裏の便所

使い込まれた道具、床の軋む音、何とも言えぬ匂い、祖母の名残がもうすぐ消える。

祖母の家までの道。何度も通った道。

生まれた時からそこにあるのが当たり前と思っていた「日常」
お盆やお正月、何気ない休みに家族が自然に集まる場所だった。

お金の問題もある、時間の問題もある。
せめて何か残せないか?煩悶する。
いくつかの思い出の品は残したけど、それ以上、何もできない無力感。

せめて写真を撮ることくらいしかできない。
でも、今思い返すと「あそこを撮っていない」なんてことばかり思い出す。

保育園、その日常に

娘が、保育園を卒業する。

卒園式

もちろん、子どもの成長は嬉しい。
しかし、ボクが一緒に送ったり、迎えに行ったりしていた、何気ない日常が、終わる。

日本全体に目を向ければ、以前から言われている待機児童の問題や、保育士の待遇も決して恵まれているとは言えないし、一部ではあるが、虐待や園バスへの置き去りなどの事件も報じられたり、何より、子どもたちは、ちょうどコロナ禍の真っ只中、自分たちと比較すると、非常に制約もある中で、保育園時代を過ごした。

しかし、そんな中で、うちの子どもは幸運なことに、非常にのびのびと、友達にも恵まれ、保育士とのコミュニケーションも上手く出来て、安心して保育園に預けることができる環境であった。
尽力いただいた保育士のみなさまには、感謝しかないし、大きく育った子どもにも、感謝しかない。

御幣を恐れずに申し上げると、先に述べたような問題点もあるし、個々の園によって異なる面もあるのだろうが、日本の保育園、幼稚園教育現場は、かなりがんばっている、と思う。

正直、亡くなった嫁様の妹が小学校教諭だったり、小学校教諭も多忙を極め、そんな中、昨今は小学校、中学校の「教育現場」も変わろうとしていることは、ボクも、上の子どもを見ながら、身をもって経験してきているのだが・・・
うーん、保育園でのびのびと成長してきた子どもの笑顔を見ながら、嬉しいのと同時に、文部科学省管轄の「小学校」に通うことに一抹の不安はどうしてもぬぐえない。

保育現場の素晴らしさについては、篠原信さんが書いてくれているので、記事を引用させていただきますので、是非読んでいただきたいです。

とはいえ、日常を生きるしか無いのだ!

岡山で祖母の家を片付けて、友人や従兄とお酒を飲み過ぎたこともあり、帰ってから、体調不良が続いていた。

燃える焼肉、燃えるボク(焼肉は非常に美味しかった)

卒園式の後、ボクは熱を出して寝込んでしまった。

ボクにとってかけがえのない、変わりゆく日常の「何か」を残すとしたら、ボクには「写真」として残すことくらいしかできない。

写真を撮ったか?

撮った。
でも、まだ足りない。まだ足りない。
足りないのは何だ?金か?時間か?
はたまた、承認欲求か!?

写真を通じて仲間も増えた。いろいろなことを教わった。

でも何故写真を撮るのか?映像じゃないのか?絵画じゃないのか?
何故岡山じゃなくて、神奈川県にいるのか?
何故以前の会社を辞めたのか?
時間があるがお金は無い。お金はあれば時間もできるんじゃないのか?

何故?何故?何故?

・・・とはいえ、今日、ある程度元気になって思ったんですよ。

洗車して、小さな車ですが、水滴を落とすためにドライブしながら・・・

近所の夕日

とはいえ、岡山にいたのは、18歳までだったんだよな~とか。
前を向いてみれば、楽しい企画もあるじゃん!
これから続いていく日常も、悪いもんじゃない!

あ、弱っている時に、衝動に駆られたけれど、「怒り」「妬み」「嫉妬」を安易にSNSに吐き出したりしなくて良かった、とホッと安堵する。

さ、まだまだ、楽しいことやっていきますよ!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!

https://moonybonji.jp

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