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黒板に描いた反抗~高校時代の黒板落書きアーカイブス~

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1995年、高校2年生のころ、ボクが教室の後ろの黒板に描いた絵である。
「REBEL」(反抗)。
ボクの反抗期は今に始まったことではなく、中学生のころ、クラシック音楽と中島みゆきさん以外の音楽と出会ってから、今までずっとRock 'n' Rollし続けてきたわけである!?

高校2年のころ、NHKソリトンsideBに、小西康陽さんと野宮真貴さんが出演していて、衝撃を受けてレコード屋さんに走り、「オーヴァードーズ」でPIZZICATOFIVEを初めて聞いた。

高校2年の夏休みには、東京の大学に行っていた従兄の家に泊まらせてもらって、約1週間の東京旅行をしてきた。
ケラリーノ・サンドロヴィッチさん、田口トモロヲさんらが出演した、伝説の映画「スーパーカミング」を、吉祥寺バウスシアターで、高田渡さんが前座で演奏してくれる、超豪華な演出で観た。衝撃だった。
今は無きシネセゾン渋谷で、ミケランジェロ・アントニオーニの映画「砂丘」を観たら、渋谷の夏の太陽が、アメリカの荒野の太陽のようにギラギラ輝いて見えた。
とにかく、岡山の片田舎の少年は、東京の刺激を全身に浴びた。

高校の教室では、洋楽好きな友人達の間で、QUEENが異常なくらい流行していた。その中の誰かが、MTVでRADIOHEADの「CREEP」を見付けた。ボクらはトム・ヨークのギターのカッコよさに釘付けになった!

漫画では、スラムダンクの時代が終わり、稲中卓球部が流行っていたが、ボクは、一部で流行の兆しがあった、松本大洋さんをみんなに紹介すると、「花男」「鉄コン筋クリート」は瞬く間に友人たちの間に広まった。

授業とは関係なく、先生が高校のころハマった本を紹介する時間があった。
国語の先生が、そこで村上龍さんの「69」をボクらに紹介しちゃったので、ボクは「69」に影響されまくって、バリ封、、、はしなかったけれど、映画を作ろうと盛り上がった。
(結果として、みんな受験で忙しくなって、ボク一人で高校時代に映画を撮ることになるのだが・・・)

バリバリの理系クラスだったのだが、ボクはだんだん勉強する毎日が退屈になってきて、ある日、後ろの黒板に絵を描き始めた。

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最初は黒板の隅から。
太陽とメシアが出現。

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しっかり、記念撮影している。。。

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光合成万歳!!
左の花になった女の子には、密かに誰だかの似顔絵になっていた気がする。。。

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カラーで描くようになり、大きくなって、だんだん調子に乗ってきたころ。
先生の反応は、ほとんどが、あまり深く触れず。
いつも、「消しとけよ!」と一言。。。

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万事快調。
絵柄は、松本大洋さん、もちろん、「万事快調」は、PIZZICATOFIVEの曲から影響を受けている。

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いちいち記念撮影する、若くて細いボク・・・

秋に体育祭があり、各クラスで仮装して、応援合戦みたいなことをする。
ボクらのクラスは、あまり纏まりが無いまま、ディズニーの「ピーターパン」に扮することになった。
(そのあたりの詳細は、当時書いた「アンダーグラウンド」という文章に詳しく残している。いつか掲載しよう、いや、誰も読みたくないか!?)
その応援用横断幕のピーターパンの絵は、ボクが中心になって描いたんだけれど、「ピーターパン」自体に不満があったボクは、その横断幕の裏に、RADIOHEADの「STOPWHISPERING」のメッセージを残っていたスプレーで書いた。

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先生は一言、「片付けとけよ!」と言っただけだった。。。涙

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