「2020」が終わらない
やっとオリンピックが終わった。
元々、オリンピック開催にはいろいろな意味で反対の立場で、できるだけ何も語るまい、と思っていたんだけれども、開催間際になって、ボクにとって悶々と、非常に後味の悪い話題が降りかかってきた。
小山田圭吾氏のことである。
いじめについて
まず、小山田氏が過去に犯した同級生への陰惨なイジメ行為、いや、犯罪行為を擁護することはできない。
そして、このnoteにも何度か書いたが、ボク自身、小学校時代に「いじめ」を体験してきた身として、
いじめは決して許されるものではない。
ただし「いじめについて」の中でも書いたが、人間が集団生活、社会生活をする中で、いじめに通じる「差別」「仲間外れ」「弱いものいじめ」は、決して無くならないとも思っている。
ボクがよく読ませていただいている、マレーシア在住の野本さんの記事に似たご意見が書かれていたので、引用させていただきます。
学校であれ、軍隊であれ、市民であれ、どんな優秀な人間を集めようとも、人間の集団を形成させたとき、「いじめ」は、ほぼ必ず発生する。
未だに日本の教育方針として、「いじめを無くそう」、「いじめが無い」ことを前提に話が進められる。
ある日、いじめの被害者だったクラスメートが突然自殺しても、その後の学校や教育委員会の調査で、「いじめは無かった」という結果が出てくる。
そんなはずはない。被害者の遺族が何度も何度も必死に再調査を依頼して、あるいは裁判まで起こして、やっと、「いじめがあったかもしれない」という調査結果が出てくるのである。
日本では、「担任していたクラスでいじめが起こったら、その教師は減給される」とか、「担当していた地域でいじめが起こったら、その教育委員会の担当者が処分される」といった噂を聞いたことがあるが、そんな、教師や役人を罰しても、問題は何も解決されないじゃないか!!
「いじめ」を発生させないことよりも、「いじめ」が発生した時にどのように対処するか、の方がより重要だと思う。
渋谷系を目指して神奈川県で止まったボク
音楽は、クラシックと中島みゆき、あとは八代亜紀しか知らず、スポーツマン第一主義の地方都市の小学校でいじめられたボクだったが、いじめられない為の手腕、処世術として、スポーツがまるでダメな分、少し背伸びをしてでも、文化的には、大人の世界に憧れを持っていた。
小学校を卒業するころには、母親の影響で、ビートルズに始まり、カーペンターズ、サイモン&ガーファンクル、そしていつの間にか、中学校の終わりごろには、その年のグラミー賞候補の曲を聴きあさるようになり、SNOWやDr.ドレーからHIPHOPを知った。
中学校3年のころには、DJを始めた友人の影響で、スカやレゲエを知り、その一方でニルヴァーナの「Nevermind」を聴いて、「今一番カッコイイ音楽だ!!」と打ち震えたのを覚えている。
「ファッション」と「音楽」が結びついたのは、ちょうどその頃、「ファッションパンク」が流行ったのがきっかけだった。学生服のシャツにまで安全ピンをぶら下げたりしながら、The Clashを聴いた。
しかし、1995年、高校生の時に、NHKの番組「土曜ソリトンSide-B」で「渋谷系」が特集された。
お名前を出して非常に恐縮ですが、ずっとずっと憧れて、今も心の師であり尊敬する、小西康陽さんや、写真やイベントで非常にお世話になっている常盤響さん、その他、ボクが、DJイベントやライヴなどで、楽しい時を共有したたくさんのミュージシャン、DJ、その多くが、90年代に「渋谷系」と呼ばれた文化に携わった人をコアとしたメンバーを中心に今まで成り立ってきた。
ボクは「フリッパーズギター」については、熱心なファンではなかった。
しかし、小山田氏の主宰した「トラットリア」レーベルの代表的バンド「BRIDGE」の音楽を、CDが擦り切れそうになるくらい!?聴きこんで、高校時代の女の子の一人ひとりイメージが、全てBRIDGEの曲で言い表すことができるくらい!?!?好きである。
それに、今までもイベントなどでは、何かの機会に「フリッパーズギター」と小山田氏の音楽に馴染み、その後も、NHKEテレの「デザインあ」の音楽担当に至るまで、ここまで小山田氏に関連した音楽が近くにある人生だった。
・・・とはいえ、「渋谷系」が当時の巨大なムーブメントであったかのように語られることもあるが、残念ながら、地方都市岡山の片隅の高校においては、渋谷系が大好きな人間なんて、クラスの中に、1人~2人の特異な存在であった。
大多数のクラスメイトは、ミスチルやドリカムやスピッツが大好きだったし、B’zやWANDS等のビジュアル系、安室奈美恵やglobe等の小室系、OasisやJamiroquai、Deep PurpleからPrinceやQueen等々、洋楽系にハマっている人も多かった。
結局、地方都市の高校生にとって、「渋谷系」はあくまでメインのムーヴメントではない、言ってみればその言葉通り「サブカル」なのである。
しかし、クラスメイトのほとんどが雑誌に描かれた流行のファッションを取り入れながら、程よい距離感で音楽等の「カルチャー」を楽しんでいたのと比較して、実際の東京都渋谷区から物理的にも精神的にも遠く、そして、体育会系への強大なコンプレックス、ルサンチマンを抱えて、おしゃれでクールでポップな「文化」を渇望していた、何も特徴がない地方都市のしがない高校生だった「ボク」にとって、「渋谷系」とは、音楽のジャンルでありながら、音楽を超えた、「カッコよさ」であり、「ファッション」であり、「生き方」≒「哲学」の指標そのものであった。
高校時代に、「東京へ行こう!!」≒「首都圏へ行こう!!」という思いが強くなり、横浜在住となり、その後も今に至るまで、神奈川県に住んでいる。。。
岡山時代も、岡山の市街地中心部までバスか自転車で30分の郊外に住んでいたので、結局、東京へのこの距離感が、心地よかったのかもしれない。
若いころは、「もっと東京の刺激が欲しい!!」なんて思ったこともあったが、まぁ、今後も、東京都内に住むことはないと思う。
ファッションは鋼の鎧である
音楽に励まされる、音楽から力をもらう・・・
素晴らしいことである。
着る服=狭義の「ファッション」を変えて、心機一転、気分も変わる、心が軽くなる・・・
良いことだし、確かにそんな効果をもたらしてくれるだろう。
しかし、例えは良くないのかもしれないが、着ている服からは、その人の中身、個性、考え方、気持ち、心は、わからない。
人は、広義の「ファッション」=流行、文化に乗ることで、多数派≒強者の仲間入りをしたような気になってしまう。
ファッションがその人にとっての鋼の鎧になってしまうのだ。
ボクは、「渋谷系」というファッションから力をもらったし、大いに楽しませてもらった。いや、これからも、純粋に楽しみたいのだ。
「渋谷系」の良いところは、ファッションの「鋼の鎧」のような重い一面を感じさせない、正にポップでキッチュな良い意味での「軽さ」こそ魅力だったのではないかと思う。
ただ、その「軽さ」ゆえに、ボクら渋谷系ファンたちは、「サブカル」という分野で包括されてしまった、クイック・ジャパン誌やロッキング・オン誌のいじめ記事まで、軽薄に捉えてしまったとすれば、それは、我々が重く受け止めなければならない。
ある意味、御幣を恐れず、非常に重い言い方をすると、我々も一緒に責任を取らなければならないのだと思う。
今回の小山田氏の一連の件は、もちろんボクは、人を裁くようなことを申し上げるつもりはないが、「いじめ」という面はもちろんであるが、「渋谷系」という文化にもたらした傷も、非常に大きいのだ。