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「祭りばやしが聞こえる」木村栄文監督ドキュメンタリー番組に見る、日本

1977年、福岡県のRKB毎日放送制作、木村栄文監督のドキュメンタリー番組「祭りばやしが聞こえる」が、RKB毎日放送公式Youtubeで公開されています。
福岡の的屋の大親分、福岡神農会野田会長の引退直前の姿を追いながら、当時の的屋稼業を丹念に記録したドキュメンタリー作品です。

不勉強ながら、監督の木村栄文さんは、ボクは存じ上げませんでしたが、RKB毎日放送で、九州の地元のドキュメンタリーを制作し続けた、その道では有名な方だそうです。

そして、共同で制作に携わっている森崎和江さんは、ノンフィクション作家で、実は、ボクの写真作品「ムーニー劇場」の「炭坑の唄が聞こえる」の作品を制作するときに、森崎和江さんが筑豊の女性炭坑夫に取材した著作「まっくら」を読ませていただき、その内容に非常にインスピレーションを受けました。

ムーニー劇場「炭坑の唄が聞こえる」より
ムーニー劇場「炭坑の唄が聞こえる」より

放送作家としても活動されていたとは存じ上げず、今回「祭りばやしが聞こえる」の中で、インタビュアーとして出演されていたお名前を拝見し、とても驚きました!


啖呵売

1977年、ボクが生まれる1年前の実録なのですが、ホント現在とは隔世の感があると言いましょうか。

まず、山田洋二監督「男はつらいよ」の寅さんや、落語「蝦蟇の油」で知られる「啖呵売」を実演する的屋がこんなに残っていたことに驚き!

ネクタイ、包丁、のこぎり、花が咲くという怪しい苗、薬草の効能やら、まさに口八丁手八丁のみで商売する占い師まで、現在の感覚だと、どう考えても怪しい?騙されてる?と思ってしまう出店がたくさん!!
そして、映像を見ると、お客さんの方も、その啖呵売の実演をエンターテインメントとして楽しんでいる様子が伺える。

うーん、正直なところ、ボクは祭りの出店での啖呵売というのは見た記憶がありません。ホント、「男はつらいよ」の映画の世界。
スーパーの実演販売は、ギリギリ見たことがあります。
子ども心ながら、今考えると怪しい陶器の置物を、スーパーだか百貨店だかで、実演販売していました。
記憶にあるということは、うちの母もその口上を聞いていたということで、かなりたくさんのお客さんが取り囲んで、一種の芸のようだった記憶があります。
その実演販売の系譜は、ある意味、テレビの通販テレビショッピングに受け継がれたのかなぁ。
祭礼をはじめとするイベントでの的屋の屋台は、現代でも盛んですが、昭和50年代以降、啖呵売は一気に消滅した感があります。
この「祭りばやしが聞こえる」の中にも、包丁売りの後継者を育てる描写がありましたが、彼のその後が非常に気になります。

ちょっと、屋台の啖呵売と、テレビショッピングとの関連性なども調べてみたくなってきました。

的屋と極道

福岡神農会野田会長の件では、野田会長から的屋集団の跡目に盃を交わす盃事の貴重な記録が描写されます。
「盃を交わす」というだけで、現代の感覚からすれば、極道、ヤクザ者の習わしと考えられがちですが、この「祭りばやしが聞こえる」の中では、再三にわたり、「的屋は極道と違う」ということが言われます。

正直なところ、ボクもフィリップ・ポンス「裏社会の日本史」辺りから日本の極道の歴史を読んでいたりしたので、違うものとはわかっていながらも、「カタギ」の者と比較して、的屋も極道も極めて近いものと見なしてしまいがちでした。

しかし、この「祭りばやしが聞こえる」では、野田会長が極道である博多羽衣会の親子盃の見届け人として、ある意味「利用」される顛末等も、具に記録しながら、「的屋は極道と違う」という、野田会長をはじめとする的屋に関わる人々の声を伝えています。

因みに補足しますと、全国的にも、福岡、北九州は、若松地区を中心として、古くは炭坑夫の斡旋や八幡製鉄所労働者の斡旋等により特定危険指定暴力団に指定された工藤會等をはじめとする、極道、ヤクザ、後の暴力団の勢力が非常に強い地域です。
その地域において「福岡神農会」として、極道と差別化した的屋組織を守ってきた、野田会長の強い意志は、並大抵のものではなかったと思われます。

同時に、と申しますが、逆に、と申しますか、ボクが感じたのは、盃事をはじめとする的屋の仁義的儀礼は、現代の視点からすれば「極道に近い」とも思ってしまいますが、的屋稼業に昭和50年代まで残っていた同業の仁義を軸にした関係性は、もしかしたら、商人、職人を中心とする、中世(江戸時代)以前の町人文化の中においては、「カタギ」、現代における「一般大衆」の因習、風俗概念と、それほどかけ離れたものではなかったのかな、とも思いました。

的屋稼業では、血のつながった親子よりも杯を交わして結ばれた親分子分の関係が軸になります。
血縁や地縁に頼らぬ個人が、旅回りの商人として生き抜くとき、血のつながり以上に強い絆を、旧い日本は必要としました。

「祭りばやしが聞こえる」より

祭礼と日本人

日本各地、神事を中心とする祭礼に出かけ、屋台の食べ物に舌鼓し、啖呵売の口上にエンターテインメントとして群がって、「ハレ」の日を楽しむ日本人にとって、かけがえのない存在であった「的屋稼業」。
この「祭りばやしが聞こえる」は、日本の祭礼における的屋稼業の伝統的記録として、非常に重要であると考えます。

以前に、日本の「祭礼」について、岸野雄一さんの「民主主義のエクササイズ」の論を中心として、noteに書きました。

現代日本における「祭礼」の変革と同時に、民俗学者宮本常一さんの考えを師事するボクとしては、日本における「共同体」の変革を意識せざるを得ません。

いままでもちょこちょこ書いてきましたが、ここで全てを述べると膨大になってしまうのですが、ザックリ申し上げると、宮本常一さんが著書「忘れられた日本人」で申し上げられておりますが、血縁、地縁を意識する「縦の共同体」ではなく、年齢層、同業者など、「横の共同体」で繋がった、近世以前の共同体の、日本における民主的役割の重要性をもう一度見直すべきではないか?ということです。

もちろん、ボクは、諸手を挙げて、近代以前を賛美するというのではありません。
しかし、明治以降に創られた封建的なものを、日本の伝統的なものと見間違えて、それを一律に「悪」として、共同体を徹底的に破壊したことに関しては、危機感を感じます。
現代日本におけるいびつな近代化として、「個人自由主義化」と「格差社会」が同時進行で急速に広まり、個人が「孤独」という絶望に陥ってしまうことに、非常に危機感を感じます。

やっぱり変わっていくでしょうね、ここ10年もしたら、この業界もやっぱり変わっていくんじゃないですか?
あるいは、暴力団に取られる形になるんじゃないですかな?
せやけど、それは、最も警戒せにゃならん、てこと。
的屋というのは商売人じゃから。
暴力団みたいに人に迷惑をかけてしよんじゃないんだから。
ところが、暴力団と間違われるようなことがあるんは、的屋の若いもんの中には暴力団を真似たいような傾向があるね。
そりゃいかんことや。やっぱり的屋は的屋でね。

「祭りばやしが聞こえる」より

現代日本において、的屋稼業はどうなっているのでしょうか?
例えば、現代のイベントで見られる「キッチンカー」等を的屋と同等に語ろうとすれば、恐らくどこかの団体からクレームになりそうです。

しかし、この「祭りばやしが聞こえる」に描かれたような的屋稼業の繋がりは、「悪」ではないと思いますし、そこを丹念に記録したドキュメンタリーの秀作であったと思います。

そういえば、別にお金をもらっているわけではない宣伝ですが、2024年6月のNHK「100分de名著」は、宮本常一さんの特集だそうです。

畑中章宏さんの解説、とても楽しみです!

ボクも、このnoteの更新頻度を上げていきたいと(言うの何回目w!?)思いますので、どうぞよろしくお願いしまーす!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!

https://moonybonji.jp

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