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NHK連続テレビ小説「虎に翼」今思うこと

久しぶりにnoteに帰ってきた。
思えば2024年猛暑の夏、6月に「ムーニー劇場」の撮影を終えて以降、猛暑とパリ五輪による本業の多忙を言い訳にして、燃え尽き症候群気味であり、なんとなく憂鬱が晴れない思いもあったり、だらだらと惰性で過ごしてしまったように思う。
せっかく昨年ダイエットした体重も元に戻ろうとしている。

こんなことじゃダメだ!!


NHKドラマ制作陣の総力が結集した「虎に翼」

日本国憲法第14条第1項
すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

日本国憲法

2024年5月31日放送のNHK連続テレビ小説「虎に翼」第9週「男は度胸、女は愛嬌?」(45)は、主人公寅子(伊藤沙莉さん)が夫を戦争で失った悲しみの中、焼き鳥を包んでいた日本国憲法公布を知らせる新聞紙の第14条を読む場面で始まる。

そのままストーリーは進行し、15分の連続テレビ小説の尺の中で、13分を過ぎてようやくタイトル音楽が流れる。

それ以前から、ネット上や職場の噂などで、「今回の連続テレビ小説『虎に翼』はスゲーぞ!!」と、日に日に評判になっていくのを横目で見ていたが、ちょうど仕事でも家でも、連続テレビ小説の放送時間が何かとバタバタしている時間だった。
まぁ、今回も、伊藤沙莉さんはボク個人的に好みの女優さんだったし、何となくテレビで流して横目では見ていたのだが、この5月31日の放送は、「ん?んんーっ!!」と、目を離すことができなくなり、観ながらぐんぐん引き込まれた!
その後SNS上などで友人知人含め、評判も爆発的に増えたように思う。

これは、ただならぬ連続テレビ小説である!!

NHKオンデマンドに登録していたボクは、これ幸いとばかり、それから約1週間で、第1話から45話まで全てを一気に視聴した。

もう既に「虎に翼」もあと1か月弱を残すところとなっており、それに、個々のエピソードへの感想を書くと非常に長くなるので、今回は割愛する。(その後、X旧Twitter上では、視聴後の一言感想を時々つぶやいているが)

ただ、今の備忘録として、ボクが一番言いたいのは、

多人数で作り上げる映像エンターテインメントとして、その英知を結集しながら精緻に作り上げられた、NHKとして今現在制作できる最高のドラマ作品じゃなかろうか、ということ。

もちろん、脚本家吉田恵里香さんの力は大きいし、モデルとなった女性法曹パイオニアの三淵嘉子さんの足跡も大きい。
しかし、この「虎に翼」に込められた、テーマ、モチーフ、ストーリー、セリフ、キャスティング等々、数々のディテールを見るにつけ、数多くの人が検討、検証をしながら精緻に組み上げていった足跡を見ることができると思う。
そして、プロデューサーでもディレクターでも演出家でも脚本家でも、決してその誰かの才能が突出したり、そこに寄りかかったりすることは無く、整ったバランスの上で作品が成り立っている、非常にハイクラスな共同制作の妙を見た思いがするのである。

伝わる人に伝わればいいや、わかる人にわかればいいや、ではない。
伝えたいことを、伝え方を熟慮し精緻に組み上げて、伝わる人を最大限にしていくために多くの人がその努力をしている、そのことが、非常に伝わってくる作品である。

ボクの映像制作挫折記

「映像を多人数で作り上げる」というのは、ボクが自主製作映画を撮って気付いた、というより大きく躓いた部分でもあり、今でも映像に携わりながら、何度も考え直す部分でもある。

ものごころついた時から映画を観てきたが、ボクが一番注目していたのは、「その映画は”誰が”作ったのか?」ということだったように思う。
そんな認識の中で、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、それに、チャールズ・チャップリンを知る。
特にチャップリンの、「脚本」「監督」「制作」「作曲」まで、一人で担う制作方法に憧れた。

高校の頃から自主製作映画を撮り始めて、大学で本格的に映画、映像制作に打ち込んだが、その時もボクの念頭にあるのは、ゴダール、キューブリック、黒澤明、小津安二郎、タランティーノ、トリュフォー、アントニオーニ、ヒッチコック、岩井俊二・・・挙げればきりが無いのだが、「映画監督」というものに憧れ続けたし、映画監督の「作家性」による映画手法ばかりを友人たちと話題にし、議論しながら映画を撮ってきた。

90年代のインディーズムーブメントの隆盛や、音楽においても、テクノ、ヒップホップ、レゲエ、今までのアイドルポップやメガヒットとは一線を隔す渋谷系など、文化、趣味趣向の多様化のちょうど黎明期だったことは大いに影響があったと思う。

ボクにとって「映画」は、絵画、音楽、写真、文学と並んで、アイデンティティの承認欲求を満たす「表現手法」の一つであり、そんな強い意志や熱情を起点にして映画を制作することに、何の疑問も抱いていなかったし、実際に大学時代の自主製作は、「脚本」「カメラ」「音声」「監督」「演出」「制作」「編集」「音楽」「衣装」全てを一人で担っていた。
もちろん、出演者は友人にお願いしていたのだが。

さすがに、周囲の学生映画の現場でも、ちゃんと分業をしている人はたくさんいた。

しかし、ある意味ボクは「全部自分でやる」ということに、自己陶酔していたし、自分一人では、作品のクオリティの部分でも、限界があることを客観的に見えていなかったし、加えて、映画さらにはその源流となる演劇について、本格的に学んでこなかったので、「監督」「脚本」「演出」「衣装」・・・役割分担をする「意義」について、客観的に勉強してこなかった。
ある意味、馬鹿だったと思う。
ボクの「全部自分でやる」制作体制に疑問を持ったり、揶揄する友人もいた。

ただ、自分一人による意思決定の速さと、出演者と自分だけで撮影が成り立つ、フットワークの軽さというメリットもあった。
そして、ちょうど映像編集もパソコンによるノンリニア編集が出てきたころでもあり、その編集技術を習得することで、アマチュアの学生が、「映画製作を全部自分でやる」という手法である程度のクオリティのものができるようになったのも事実である。

だが、しかし!

社会人になって、映像制作の現場でバリバリ働く気でいたボクは、ケーブルテレビの「営業部」配属になり、おおいに腐った。

しばらくして、地域情報番組の制作に関わることもできるようになったが、いわゆる思い描いていた、カメラを肩に担いだ「映像制作」最前線の役割ではなく、地域住民やステークホルダー(馬鹿か!?って感じのビジネス用語だよね!要はキーパーソン)へのネゴシエーション業務や、制作予算管理、映像も含めた企画の進捗管理など・・・
今考えれば、前向きに学べばたくさんのことを学ぶことができる環境ではあったと思う。

しかし、映画のアートとエンターテイメントを融合した作家性ばかりを見てきたボクにとって、テレビ映像制作の分業制の現場は、全くの異世界に見えたし、ボク自身もそれを理解しようとしなかった。
ボクはそれを「理想と現実の乖離」としか思えず、漫然と日々の業務をこなすことしかしなかった。

それならば!!

そんなやりきれない思いを、自分の自主製作映画にぶつけようと思った。

だが、しかし!

学校を卒業してみると、「ぜんぶ自分でやる!」と思いながらも頼っていた、出演してくれる人もいない!!(←もちろん、当時のことなので、無給でお願いできる人。そして、学生時代に、演劇関係の役者さんなどに人間関係を繋いでいなかったことを後悔・・・と言いますか、当時は「何で自分の周りに人がいなくなったの!?」というアホな疑問を感じていただけでしたが・・・)

孤立無援の状態になって、「一番ボクとスケジュールが合いそうな人は誰?・・・あ、ボクだ!!」
そう思い立って、自分を主人公として映画「23」を制作するも、結局自分一人では完成できず、友人マシマさんの力を借りて「Kenji」として2007年、29歳にして、映画「Kenji」完成。。。

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Youtube、Tiktok・・・映像が一人または少人数で気軽に表現できる時代だからこそ

長々、自分の反省の弁を書き記してしまい、申し訳ない。
しかし、ここまで書きたかったのは・・・

「何を時代遅れなことを言ってんすかw?テレビなんてオワコンですよ!YoutubeもTiktokもある時代、映像を発信することなんて、一人でもできるじゃないっすか!?」

その通りである。

だがしかし!

この時代にこそ、映像を多人数で、時間をかけて丁寧に作る意味って何だろう?
多人数で、その英知を結集しながら丁寧に精緻に作り上げられた映像とは、なにだろう?

NHK連続テレビ小説「虎に翼」は、その一つの答えを出してくれたのではなかろうか?

ただ、決して「虎に翼」が完璧な映像作品であるとも思っていない。
前にも書いた通り、伝わる人を最大限にしていくということは、ある意味アーティスティックな作品性を削る行為でもあると思う。

例えば、説明的過ぎるセリフや、多少強引になる出演者のキャラ設定等々・・・この「虎に翼」でも、そんなツッコミどころが無いわけではないと思う。

だがしかし!

そんな「作品性」を犠牲にしてでも、この連続テレビ小説を視聴してくれている多くの人々に「伝えたかったもの」を、制作陣一人一人の力を結集して作り上げている、そのことに、ボクは今、最大の賛辞を申し上げたい!

「映像は一人で作れない!」ってことで、滅茶苦茶に打ち砕かれて、ケーブルテレビの映像制作現場周辺で駆けずり回って、その後、今も映像制作にギリギリしがみついている人間として・・・

・・・「虎に翼」持ち上げすぎたかな?

ここまで長々お読みいただいた方ありがとうございます。

いや、例えば、女の子を親に持つ「父親」として、寅子の父親直言のセリフについて・・・とか、数々のエピソードについて、個別に言いたいこともあるんだけれども、それはまたの機会に。

ちょっと、子どもの夏休みも終わって、王兵(ワン・ビン)監督の「苦い銭」も観たし、90年代、ボクが自主製作映画を目指すきっかけでもあった石井聰互改め、石井岳龍監督「箱男」も観たし、民俗文化映像研究所「越後奥三面」も観たので、書きたいことは山ほどありますので、追って、早めに書いていきます!!


ムーニーカネトシは、写真を撮っています!
日々考えたことを元にして、「ムーニー劇場」という作品を制作しておりますので、ご興味ございましたらこちらをご覧ください!
https://moonybonji.jp




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