マジパン思い出話第十回 苦闘の四人時代 ~さよならシマムラさん~
四人になって、マジカル・パンチラインはどういう展開をしていくのか。さとれな卒業のショックを振り切り新しいマジパンを見せるには、一刻も早く新しいリリースをすべき、と僕は考えていました。が、特にそういう動きはなく、東京アイドル劇場での定期公演が始まった程度でした。
ただこの年のゴールデンウィーク、再びマジパンは関西へとやってきてくれたのです。それが、アイドル史に残る三大クソイベのひとつとして名高い、ミナーラアイドルフェスでした。
奈良市内に新しくオープンしたミナーラというモールで行われたフェスなのですが、タイテがいっこうに発表されない、発表されたタイテがぐちゃぐちゃで裏被り頻発、アイドルのライブなのに有線のマイク、機材トラブルでステージが始まらずタイテが一時間押しで最後のグループがタイムアップで出番が飛ぶ、などの様々な伝説を残しました。ただ、マジパンが出演したのは三日目のみでしたので、そのころには運営も落ち着き、大きなトラブルはなかったのですが。前日入りしたメンバーは奈良古代ミルク鍋に舌鼓を打ち、沖口さんのこの印象的な表情(?)も激写されました。
四人でのステージは、パワーダウンを感じさせない華やかなライブで、とても盛り上がりました。しかし、それでもやはり心の奥で、さとれながいない一抹の寂しさは覚えていましたが。
この日は遠征特別価格ということで、ツーチェキを2000円で撮ることができました。よーし、と奮発し、浅野さん以外にも、清水さん、小山さんと撮ることに。このころ、マジパン全員から認知をもらうことを目標としていて、すでに認知のある沖口さんは後回しになってしまったのでした(沖口さん、ごめん)。
小山さんには、前のワンマンのときに、実は二推しであることを伝えていました。何気にこの日が初めてのチェキ。清水さんとは、最近読んでいるというテニプリやハガレンの話題で盛り上がったことをよく覚えています。
そしてもう一人、このとき初めて言葉を交わしたのが、ポニーキャニオンの社員にしてマジパンの運営、シマムラさんでした。メンバーだけでなく、運営さんとも仲良くしていきたいと思ったからです。
しかし、結果として、この日がシマムラさんとお話をした最初で最後の機会となりました。
7月21日、岐阜・SEKIGAHARA IDOL WARSでのことです。
「マジパンの物販で、CDを売っていない、生写真しかグッズがない」
そんなツイートを目にしました。そのときは、嫌な感じを覚えつつも、たまたま売っていなかっただけだろうとしか思っていませんでした。しかし、次のような噂を耳にし、悪い予感が当たってしまったことを悟ったのです。
「最近現場に、シマムラさんの姿がない」
そうなのです。リーダー佐藤麗奈の卒業という衝撃の直後、さらなる苦難がマジカル・パンチラインを襲っていたのです。
マジカル・パンチラインと、レコード会社であるポニーキャニオンとの契約が、デビューから丸二年をもち、終了しました。
第二回で触れたとおり、マジパンとポニーキャニオンとの関係は、アイドルとレコード会社という浅いものではありません。BOXはメンバーが所属している芸能事務所に過ぎず、マジカル・パンチラインというプロジェクトの担い手は、ポニーキャニオンでした。
それなのに、いったいなぜ契約が終了してしまったのか。
理由のひとつは、ポニーキャニオンがアイドル部門から大きく撤退したことでしょう。この少し前、マジパンが初めて人前に姿を現した思い出の番組である「ぽにきゃん!アイドル倶楽部」も、100回を越える長寿人気番組であったにも関わらず、終了しています。レーベルメイトであったベイビーレイズJAPANは解散、さんみゅ~は独自レーベルからCDを出しました。バンドじゃないもん!やAnge Reveは契約が続きましたが、どちらも運営は別にあり、マジパンのようにポニーキャニオンが主体となってタッチしているわけではありません。いずれにせよ、アイドル部門を大きく縮小させたことが、マジパンとの契約切れの一番の要因でしょう。
ただそれでも、この時点でマジパンがもっと大きくブレイクしていれば、契約が終わることもなかったはずです。また、マジカル・パンチラインというプロジェクトはあくまで佐藤麗奈とポニーキャニオンのタッグであり、佐藤麗奈が卒業した時点で、これ以上の投資はできないという判断になったのかもしれません。
ポニーキャニオンとの契約が切れたことで、ポニーキャニオン社員であるシマムラさんもまた、マジパンから離れることになりました。個人的には、心のどこかで「シマムラさんであれば、会社を離れてでもマジパンとともに歩んでくれるのでは」という気持ちがありましたが、家族がいらっしゃる立場では、流石にそんな選択はできなかったでしょう。
しかし、オタクにそう思わせるぐらい愛される運営であった、というのもたしかです。ランダムチェキで「運営」クジを引いたオタクたちは、こぞってシマムラさんと撮っていました。「マジカルクエスト」というドラクエのような世界観のポイントサイトを企画したのもシマムラさんです。CDを購入したり現場へ足を運んだりするたびにポイントがもらえ、それを貯めることで、グッズがもらえたり、メンバーとボウリングオフ会をしたりすることができました。公式Twitterの中の人で、ファンにも気さくに絡んでくれました。
マジパンというグループのよさは、オタクと運営との(決して馴れ合いではない、いい意味での)距離の近さであると思っています。その基礎を作ったのは、疑いなくシマムラさんでした。先日も、第一子が誕生されたというツイートに、何人ものマジファンのおめでとうツイートが並んだものです。すでにマジパンから離れて、一年以上が経っていたというのに。
元バンドマンのイケメンで、メンバーの兄貴分のような存在でした。グループを売り出すためのビジョンとやる気を持ち、人柄は真面目で誠実。誠実すぎたがゆえに、佐藤麗奈のスキャンダルの対処を誤ってしまった面はあるかもしれません。また、元バンドマンで音楽に拘りがあったため、オタク受けのいい標準的なアイドルソングを生み出せなかったのも事実でしょう(シマムラさんの元で「Melty Kiss」が出たとは思えません)。しかし逆に、ギミックに溢れた魔法世界やロック色の濃い癖のある楽曲、人工知能と組んでアイドルソングを作るという斬新な発想は、シマムラさんだからこそのものでしょう。結成時まだ十七歳だったさとれなを信じ、メンバー選考も彼女の判断を尊重するという選択は、なかなかできることではありません。
マジカル・パンチラインというグループを作り、走らせていた両輪は、佐藤麗奈とシマムラユズルでした。しかし、デビューから二年、マジパンはその二つを相次いで失うこととなってしまったのです。
マジパンとポニーキャニオンの契約が切れたことは、表向きには特に発表されませんでした。浅野さんのブログで、ポニーキャニオンへの謝意らしきものが示されたのみです。
しかし、シマムラさんの姿が現場にないこと、CDが物販から消えたことなどから、ファンはそれと察しました。一刻も早く次のCDを出す、どころではありません。リリース云々以前に、運営母体を失った根無し草状態に陥ってしまったのです。
そうして、特に新しい動きもなくTIFを迎えました。その三日目、最初のステージのあと、驚きのニュースが飛び込んできます。なんと、メンバーが新しい衣装を着ているというのです! ひょっとして新曲がリリースされるのか、と期待して衣装を確認し、僕は逆の意味で驚くこととなりました。
なぜならその純白の衣装は、明らかに市販の服を組み合わせただけのものだったからです。
マジカル・パンチラインは、リーダーがいなくなりました。さとれなファンが来なくなり現場から人が減りました。曲は代わり映えしません。グッズも生写真しかありません(清水さんデザインのステッカーが一瞬出回りましたが、すぐになくなりました)。新曲や大きなライブの告知もありません。
せめて少しでも、変化を見せたい。あくまで芸能事務所のマネージャーでしかないKマネと、四人の雛鳥たちにできるのは、市販のものであれ新しい衣装を用意するぐらいだったのです。
それは、悪あがき、としか言いようがありませんでした。そんな手しか残されていないほど、追い詰められている。メンバーの頭にもファンの頭にも、解散、の二文字が色濃く浮かんでいたことでしょう。運営母体がなく、先の見通しは立たず、明るいニュースもない。目の前のライブをこつこつ頑張っても、それに果たして意味はあるのか。この頑張りはいったいなにに繋がるのか。後にメンバーは、このとき「解散」という言葉を口に出すことすら不安でできなかった、と語っています。
しかし、そんな苦境とは裏腹に、メンバーのパフォーマンスは実はこのとき、大きく伸びていたのです。もともと、小山さんが歌姫として覚醒しており、浅野さんも歌唱の幹として安定したパフォーマンスを見せていました。それに加え、佐藤さんがいなくなったことによりメンバー一人一人の自覚が増したことも大きいでしょう。
正直に言って、結成一年目のマジパンは「顔は可愛いけれどパフォーマンスは……」と思われていました。そのイメージを、後々まで引きずってしまっていたのが足を引っ張った面もあるように思います。しかし、このころの夏フェスでは「あれ、意外と歌えるじゃん」という評価がちらほら見えていました。ぽにきゃん!アイドル倶楽部でお世話になっていたアイドルオタクの吉田尚記さんも、以下のようにツイートしています。
二つ目のツイートからはこのころの集客面での苦戦が伝わりますが、それをオブラートに包みつつ、引き上げようとしてくれる姿勢が非常にありがたかったです。また、@JAMでは、沖口さんが公式ナビゲーターMAYの一員に選ばれました。これも、@JAMの橋元さんのマジパンへの気遣い(と期待)だったのではないでしょうか。
それに加え、マジテレ、マジラジという二つのレギュラーは、佐藤さんがいなくなってもポニーキャニオンから離れても、これまでと変わらずマジパンを起用し続けてくれました。さらに、浅野さんの「テレビで中国語」や、沖口さんの「バラ売り」での活躍、清水さんの玉泉院のCMなど、少しずつ個人仕事も増えていきました。カラオケバトルで小山さんが、アイドルクイズ王大会で浅野さんが活躍したように、TIFでも一人一人が爪あとを残していました。
また、一担当マネージャーとしての職能の枠をはるかに超えて、物販で売り子をしたりチェキを撮影したり公式Twitterの中の人を引き受けてくれたりと奮闘していたKマネの存在は、今思い出しても感謝しかありません。
TIFの初日は、オフィシャルのTシャツをメンバー自らアレンジして着ました。二日目はジャーニー衣装、三日目が先述の白衣装です。先が見えない苦難の中、せめて衣装だけでも異なる姿を見せようというメンバーの気持ちが見えるチョイスでした。
どれだけしんどくでもできることをやろう、少しでもいいものを見せようというメンバー一人一人の努力、マジパンを買ってくれた周りの大人たちの支えで、マジカル・パンチライン最大の危機であったといえる2018年夏を、かろうじて乗り切ることができたのです。
そうして迎えた9月下旬、再びマジカル・パンチラインの航海は、新たに大きな舵を切ったのでした。
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