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第三巻~オオカミ少年と国境の騎士団~ ③-6
6
そして、さらに何事もなく時は過ぎ、紫蘭月四日の夜となった。
騎士団の本部には、ほとんど詰めているものがいない。隊長すらいない。いるのは、副団長のヒースと二、三人の青年だけ。みんな、なにも起きないからあきたのだ。そろそろ王冠泥棒問題も忘れられているというか――あきてきた、というほうが正しいか。
都から離れた国境の町に「王家の宝を盗んだ盗賊が隠れているかも!」という推測は、大いに話題と刺激を与えたのだが……。紫蘭月に入り、その可能性が薄れてくると「こんな町にいるわけないんだよねー、あはは」的な方向に話題は転がり、人々はだんだんと興味を失っていったのだ。たとえるなら、「流行が終わった」感じだ。
現にこうしてオードの夜警にくっついてきているランも、「見回るだけって、つまんないね」と不届きな意見を口にした。
「王立騎士隊の中にも同じことを言う輩がいた」
「へー、騎士にもそんな人いるんだ」
「ああ、ヤツはそのあと窓拭き係にさせられた。窓を拭いているほうが退屈しないだろう、という隊長の計らいで」
「へー」
「そもそも、剣を振るわないに越したことはないのだ。平和がいちばんなのだから」
確かにそうなのだが、ランとしては、せっかくだから、オードが剣を使って大活躍するところを見てみたいのだ。
「ねえねえ、ルージンのところに行って、なんかごちそうになろうよ。オレ、お腹すいたー」
ランは急に話を変えた。
「オレさ、チーズ持ってきたんだ。これでなんか作ってもらおうよ」
荷物の中から紙でくるんだ円形のチーズを取り出す。厚さは親指の先ぐらい、大きさはランの手のひら大はあるものだ。
「それ、どうしたんだ」
「今日、鉱山の親方からおやつにもらったんだ。こないだミーファを助けた話をしたら、『おまえ魔の月の夜に出歩くなんて勇敢だなあ』って」
「豪快なサイズのおやつだな」
「うん。チーズをまるかじりして、ワインを飲むのが鉱山で働く男の流儀なんだってさ」
手にしたチーズは一箇所、歯形がついて欠けていた。ランは休憩時間にちょっとずつ食べていたのだが、「せっかくのチーズだから、あとでルージンになにか作ってもらおう」と思い、とっておいたのである。そう考えるに至ったのは、オードとアージュ、アージュとアルヒェのそれぞれの距離感というか微妙な感じを受けたからであった。
(オードのお祝いをしたときみたいに、みんなでおいしいものを食べれば、きっとみんな笑顔になれるよね?)
ランはそっと少し前を歩くアージュを見た。
「ねえ、アージュ。ひと休みしない? ルージンにおいしいものを作ってもらおうよ」
「……あんたは食べることしか考えてないんじゃないの?」
「えーっ、そんなことないよ」
ランが口を尖らせると、オードがとりなすように言った。
「ここからなら、療術師の家も近い。ルージンはいろんな国をまわっているようだから、一度話をしてみたいと思っていたのだ。グレスタに立ち寄ったこともあると言ってたし」
というワケで、ランたちはルージンを訪ねることにし、町はずれにある療術師の家に向かったのだが。
家の近くまでやってきたとき、裏の方で「グルルル……」という唸り声がした。
獣がのどを鳴らしているような――。
嫌な予感がして、そちらの方向に目をやると、屋根の向こう――月の光を背景に、小山のようなものがもそもそと動いているのが見えた。
「や、山? 動いてるけど?」
驚いたランが目を見張る。
すると、その山からコウモリのような巨大な翼がバサリと伸び、長い首が夜空に向かって、
「グアオオオオ……」
と、ものすごい唸り声をあげたのだ!
「もしや、ドラゴンなのか?」
「もしかしなくても、ドラゴンよ!」
オードの言葉にアージュが鋭く切り返す。
そう言えば、騎士団のヒースが言っていたではないか。「このあたりでは、紫蘭月になるとドラゴンが現れる」と。
気がつけば三人とも、姿勢を低くし、息をひそめていた。
「あたし、ドラゴンなんて見るの、初めてよ」
「私もだ。しかも、あんな大きな魔物が町の中まで入ってくるとは……信じられん」
三人はそーっと家の裏に回った。
すると、ドラゴンの前に誰かいるではないか。
「ルージン?」
思わず大きくなってしまったランの声に、オードとアージュもハッとなった。
「うそっ? ドラゴンに襲われてるの?」
「いけない、一刻も早く助けなくては!」
怖さも忘れ、三人が物陰から飛び出すと、ルージンがゆっくりこちらを振り向いた。
「おや? これはこれは、みなさんおそろいで。そんなにあわてて、いったいどうしたの?」
「どうしたのって、悠長に言ってる場合じゃないでしょ! 今すぐ魔物から離れんのよっ!」
アージュはわめくが、ルージンは落ち着き払っている。
ドラゴンも、月の光を大きな瞳に反射させたまま、おとなしく三人を見下ろしていた。
……これっていったい、どういうこと?
妙な空気が三人の間を流れていく。
ルージンは右手におまんじゅうのような薬を、左肩には皮袋をかけ、悠然と微笑んでいた。
「え……っと、ルージンが持ってるその薬、たしか獣用だって言ってたよね? ルージンはやさしいから、具合の悪いドラゴンの治療をしてたとか?」
ランがそう言うと、ルージンは「くっくっ」と肩を震わせて笑い出した。
「君は本当に素直でいい子だね、ラン」
口調は丁寧だが、その声はいつものルージンではなかった。
これまでのやさしい面差しはどこへやら。瞳はきりりとつりあがり、唇には不敵な笑みが浮かんでいる。
「……ルージン?」
「ぼくは料理人であり、療術師でもあるけれど……実はもうひとつの顔があるんだよ」
ルージンはクッと笑い、頬をすり寄せるようにして首を垂れたドラゴンの頭を撫でた。
「ぼくは魔物使いなんだ」
一瞬、なにを言われたのか、ランとオードはわからなかった。
いち早く反応したのは、アージュだ。
「魔物使いですって!? ふざけんじゃないわよ、退魔師の敵じゃないの!」
「おや、この国で退魔師なんて言葉を知っている人間に会えるとは思わなかったよ」
その言葉に、アージュはグッと拳を握り、ルージンをにらみつける。
「でも、安心していいよ。ぼくは心やさしい魔物使いなんだ。魔物を使って、どこかの国を攻めたり、そんなことはしないよ。ま、興味もないけどね」
「じゃあ、魔物を使ってなにすんのよ!」
「ちょっと、ぼくの役に立ってもらうだけさ。たとえば、こんなふうにね」
言うなり、ルージンは跳躍し、ドラゴンの背にひらりと跨った。
「な、なにをするつもりだ?」
オードがすらりと剣を抜く。
「なにって、空を飛んで国境を越えるだけだよ」
ルージンが右手に持っていた薬を投げると、ドラゴンは長い首をくねらせて上手に食いつき、ごくんと飲み込んでしまった。
「それは……?」
「うん、獣用の薬なんて噓。本当は魔物を手なずけるためのエサさ」
にっこりと笑い、今度は皮袋の中からチョコレートケーキを取り出す。ルージンに初めて会った日にランがあれ食べたいとねだったものだ。
「そうだ、ラン、これ食べたいって言ってたよね。あげてもいいよ、今」
ルージンはそう言って、ケーキの外側にナイフを入れた。
すると、ケーキがくるりとはがれ、中から白い円筒状の紙が現れた。
ルージンは、はがしたケーキの生地を惜しげもなく地面に捨てる。そして、
「では、これから手品をお目にかけよう」
円筒状の紙を取ると――意外なものが出てきた。
「それって……!」
「もしかして、盗まれた王冠じゃないの!?」
それは青い宝石がいくつもちりばめられた、うつくしい王冠だった。
青蘭月の末に、ディスターナの王宮から盗まれたという王冠である。
「正解。ちなみにこの青い宝石はディスターナそのもの……人魚の涙を表しているらしいよ」
ルージンは指先で、中央にはめこまれた雫のかたちをした青い石をそっと撫でた。
「ディスターナの伝説を知ってるかい? かわいそうな話だよね、あれ」
ランたちはアルヒェが読んでいたパンフレットを思い出した。「涙が島になるわけないじゃない」とアージュがツッコミを入れたヤツだ。
「ルージンが盗賊だった、ってこと?」
ランが茫然とつぶやく。
ルージンが悪い人だったなんて、まだ信じたくないのだ。
「盗賊なんて、がらの悪い言葉で表現しないでほしいな。怪盗って呼んでくれよ」
「怪盗――……」
「そう、ぼくは気が向いたときに、ほしいものを手に入れる。それにスリルとロマンがあれば、なお結構なんだけどね」
ルージンは完全に、この状況を楽しんでいた。
「この町の青年団、いや騎士団だったっけ。お粗末すぎてまるで楽しめなかったけど、最後の最後で君たちのような、ちょっとは骨のあるヤツに出会えてうれしいよ」
ニッと笑った赤い唇から、無邪気な笑みがこぼれ落ちる。友だちを裏切った後ろめたさなど、まったく感じていないらしい。
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「この町に来て国境が封鎖されていると知ったときは困ったなと思ったけれど、それならそれで華麗に脱出してみせるまでさ。ね、そうだろう?」
その言葉に応えるようにドラゴンが声をあげ、あざけるような瞳を三人に向けた。
「ドラゴンで国境を越える――なんて、まるで子どもの頃に読んだ絵物語さ。絵になるし、なにより、ぼくのうつくしさが引き立つ。見物人がいてよかったよ」
「うつくしさ? 見物人? ふざけんじゃないわよ!」
「ミーファを助けた夜のことを覚えてる? あのときぼくは、国境越えに使うドラゴンを探していたのさ」
ルージンの告白にオードが剣を構えたまま、冷静な声でつぶやいた。
「そうか……少し変だな、とは思ってたんだ。ミーファの母親は騎士団本部に駆け込んだのに、君は『お母さんの待っている家に送り届けないとね』と言っていた」
つまり、ルージンは、ランが「ミーファって子を探しに来たの?」と訊いたときに、機転を利かせ、とっさに外にいた辻褄あわせに利用したのだ。
「君たちがぼくに利用されたことに気が付かなかったのは、華麗なぼくに、天が味方をしてくれたってことだよね」
「なーに、気取ってんのよ! この二枚舌のヘビ男!」
「ヘ、ヘビ男だと!?」
「簡単に行かせるものか! その王冠は置いていってもらおう!」
次の瞬間、その言葉が合図になったように、オードとアージュがドラゴンに向かって飛びかかった。
「このぉ――っ!」
跳躍を得意とするアージュが一気に勝負をつけようと、剣を振りかざして、ドラゴンの右の翼を斬りつける!
グオオオッ!
ドラゴンは暴れ、翼をばさりとやった。
その風圧でアージュが後方に吹っ飛ばされる。
「アージュ!」
「……ふざけんじゃないわよ!」
アージュは剣を杖に立ち上がり、ふたたびドラゴンへと向かっていく。
「うざいんだよ、おまえ」
その瞬間、ぴしりとアージュの剣に蔓のようなものが巻きついたかと思うと、剣を奪い、空中に放り投げてしまった。
「――っ!」
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一瞬、なにが起こったのかわからずアージュがハッとして、剣が放られたほうを見上げると。
「君も放り出してあげようか?」
アージュの手首に、シュルッと鞭が巻きついた。
魔物使いであるルージンは鞭を扱うことを得意としているのだ。
「ぐっ!」
身体を引っ張られないように、アージュが踏ん張る。
「アージュ!」
オードがとっさに駆けつけ、素早い剣さばきで、その鞭を叩き切った!
「まったく、君はとんだ食わせものだな、ルージン!」
「こしゃくな! それなら、あの騎士から丸呑みにしてしまえ!」
ルージンが剣を構えるオードを指さす。
それに応えたドラゴンが鋭い牙を剝き出しにして、オードに長い首を向ける。
ばくんっ!
が、ドラゴンは横っ飛びに飛んだオードを捕らえ損ね、あまりの勢いにあごを地面にめり込ませてしまった。その勢いで、もうもうと土煙が立つ。
「甘い!」
言うなり、オードはドラゴンの頭に飛び乗った!
そして、そのまま長い首を駆け上がり、ルージンに向かって剣を振り上げる。
「君もなかなかやるね。だが、まだまだだ!」
ルージンがしならせた鞭をオード目がけて振るう。
ひゅんっという風を切る音に、オードは反射的にドラゴンの背から飛び降りた。
地面に片膝をついて着地すると、くやしそうにつぶやく。
「……そう簡単にはいかないか」
オードは一度、剣をシュッと振ると、どこかに隙がないかどうかドラゴンを見据えつつ、その周囲を走り出した。
アージュもオードが戦っているうちに飛ばされた剣を拾いに走る。
一方、ランは。
「え、えーと?」
オードとアージュがかっこよくドラゴンと戦っているそのそばで、ひとりおろおろしていた。ランだけ武器を持ってないのだ。
「オレ、どーしよー?」
木の棒かなにかでドラゴンを叩く? いや、そもそもそんなに都合良く、棒が落ちてるわけがない。第一、棒きれくらいじゃどうにもならないだろう。
「なんかない、なんかないっ?」
ダメもとで、荷物をぶちまける。
中からは、鉱山を掘った際に出てきた、じゃがいもやなすのかたちに似た石がごろっと出てきた。おもしろいと思って拾っておいたものだ。それから食堂で失敬したスプーンと夜食用に持ってきたパン。それから、紙にくるんだチーズ。
「えーい!」
ランはドラゴンに石を投げつけ、スプーンもついでとばかりに放った。
が、ドラゴンの身体には傷ひとつつくどころか、衝撃もたいして与えなかったようだ。
「スプーンじゃなくって、フォークかナイフだったら突き立てられたかもしんないのに~」
「バカっ、そういう問題じゃないでしょ!」
無事に剣を拾ったアージュのツッコミが入る。
「だって~~」
ランは他になにかないかと見やって、ふと、チーズに目を留めた。
まん丸くて黄色い、お月様のようなチーズ。
「そっか! これを黄蘭月だと思えばいいんだ!」
今までランは何度か黄蘭月以外の月でも、月に見立てて根性で変身したことがあるのだ。
ランはじっとチーズを見つめ、
(オレはオオカミだ~、オオカミだ~~)
と、自分に暗示をかけてみた。
が、一向になんの変化もない。
(どうして? 金貨のときはうまくいったのに!)
そこでランは気がついた。
(このチーズ、まんまるじゃない!)
昼間、親方からもらったとき、かじった歯形がついていたのだ。
(しまった~っ! 食べるんじゃなかったあ!)
後悔しても、もう遅い。
しかし、他に暗示をかけるものはない。
(いや、これはまるだ、まんまるなんだ~~っ!)
自分で自分に言い聞かせ、チーズをぐぐぐーっとにらみつける――そして。
――オオーン!
ランは銀色の毛の、立派なオオカミに変身していた。
驚いたのは、ドラゴンの上にいたルージンだ。
「オオカミ?」
ルージンはオオカミのすぐそばに落ちているランの服に目を留め、瞬時に悟った。
「そうか、ランは呪われた血を持つ者だったのか。だから、夜、出歩いても平気だったんだね」
ランはドラゴンの前に走り寄り、燃えるような瞳でルージンをにらみつける。
「ひどいな、君たちはぼくを騙していたんだ」
オオーン! オン!
ランの遠吠えを、
「ひどいのはどっちよ!」
とアージュが訳して叫ぶ。
(そうだ、そうだ!)
と思いながら、ランはドラゴンに飛びかかり、前足に爪をむんずと突き立てた!
グオオオオオ!
ドラゴンはまるでうるさいハエを追い払うかのように、前足でランをなぎ払った。
(うわあああ!)
ランは吹っ飛ばされ、家の壁に激突した。
しかし、そんなことでへこたれるランではない。
ランはすぐに起き上がるとドラゴンの背後にまわり、思いっ切り尻尾に嚙みついた。
グゥオオオオオ――ンッ!
驚いたドラゴンが、ランを振り落とそうと尻尾をめちゃくちゃに動かす。
「うわ!」
「きゃー!」
オードとアージュが暴れるドラゴンのそばからあわてて飛びのく。
(ま、負けるもんかぁっ!)
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頭がぐるぐるまわる。
どっちが上で、どっちが下か、もはやなにもわからない。
まぶたをぎゅっとつぶり、固い尻尾に牙をたてて、ランは必死に耐えた。
「くそっ、ぼくのドラゴンから離れろ、この呪われた血を持つ者め!」
その瞬間、ドラゴンがひときわ激しく暴れ、バランスを崩したルージンの手から、王冠が滑り落ちた。
紫の月光を受けながら、きらきらと落ちていく王冠を、
「でかしたぞ、ラン!」
オードが剣先で王冠の輪をひっかけ、シャッとひと回しすると、
「アージュ!」
に向かって放った。アージュは飛びつくように王冠に腕を伸ばし、地面に落ちる前に見事受け止めてみせた。
「くそ、早く取り返すんだ!」
ルージンの命令に、ぐわっと大きな口を開いてドラゴンがアージュに襲いかかる!
「させるか!」
その首に、オードの鋭い一撃が食い込んだ!
ギュワォオオオオ……!
痛みに身体をのけぞらせたドラゴンが、耳をつんざく悲鳴をあげる。
「くっ、ぼくとしたことが……。ここまでか」
ルージンの悔しげな声が、アージュとオードの上に降ってきた。
くやしかったら取り返してみなさいよ、と普段のアージュなら言ったろうが、これ以上ドラゴンと戦ってタダで済むはずがない。
それは、対するルージンも同じだったらしく、ドラゴンの首筋を軽く叩くと、ふたりの前から後退させる。
「……君たちは、最後の最後までぼくを楽しませてくれたね。そのお礼として、王冠は置いていくよ」
濃い紫色の月を背に余裕の表情でルージンが笑うと、バサリという羽音とともに猛烈な砂嵐が吹き荒れた。
「きゃっ……!」
ドラゴンが飛び立つときに起こした風で、アージュは危うく吹き飛ばされそうになる。
「ま、待て、ルージン!」
しかし、オードの声が空しく響いたあとには、ドラゴンが暴れたせいで傾いてしまった療術師の家と、その近くで目をまわして倒れているオオカミの姿があるだけだった。
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「うー、まだ頭がぐるぐるするよぉ……」
翌日、頭を両手で押さえながら、ランはアージュと一緒に、ルージンから奪い返した王冠を持って騎士団の本部を訪れていた。
「そうか……。見回りの途中に王冠泥棒に出会うとは……」
「昨晩のおもての騒ぎも、その泥棒が手なずけたドラゴンのせいだったなんて」
「気になってはいたんだが、ちょうど持病の腹痛のせいでおもてに出られなくてな。くそ、惜しいことをした」
「なにが持病よ。単に怖かったくせに! まったく、バレバレなのよ」
アージュがあきれたように言い放つと、青年たちはあわてたように、
「と、とにかく! 昨夜の状況はわかった」
と話をまとめにかかった。
「人相の悪い男がフラフラと町の中を歩いていたから、呼び止めて質問しようとしたら逃げ出した。そこであわててルージンの家の前まで追い詰めたら、ドラゴンを呼び寄せて攻撃をしかけてきた」
「で、騒ぎを聞きつけたルージンが家の中から飛び出してきて、男は王冠を落として逃走。そのままルージンは男を追いかけていってしまった、と……。そういうことだな?」
「う、うん、間違いないよ。ね、アージュ?」
「ええ、そうよ。いろいろ大変だったんだから」
ランとアージュはぎこちない仕草でこくこくとうなずきあった。
ルージンが王冠泥棒だったと知れば、彼に助けられたミーファが悲しむだろう。
そう思ったランたちは、本当のことを言うのをやめたのだ。
「そんなこと言ってるが、本当はおまえたちが王冠泥棒だったんじゃないのか?」
若者のひとりが意地悪く言って、ふたりの顔をねめつけた。
「誰ひとりとして、昨日の騒ぎは見てないし、おまえたちの自作自演だったってことも考えられる。本当は国境を封鎖されて、逃げ場がなくなったから仕方なく……ってんじゃないのか?」
「なっ……?」
あまりに失礼な物言いに、アージュがたちまちキレた。
「失礼ね! あたしたちが泥棒だったら、あんたたちみたいなへっぽこ騎士団、バッタバッタと切り捨てて、国境越えでもなんでもしてるわよ!」
「く……っ」
アージュの剣の腕前を思い出し、男が悔しそうに唇を嚙む。
「そう言えば、もうひとりの剣の名手……オード君の姿が見えないが。もしや、魔物との戦いで命を落としたのか?」
ヒースの質問に、ランは思わず胸元を見下ろした。
今は昼間なので、鍵になったオードはランの首にかかっているのだ。
けれど、それを素直に告白できないし……と、ランたちが困っていたら。
「そうか、肯定も否定もしないということは、そういうことなのだな?」
早合点した青年のひとりが、黙って立っていたランの手を両手でがしっと包み込んだ。
「すべて言わなくていい。彼は、実に立派な騎士だった……」
そのとたん、湿っぽい空気が本部の中に漂いはじめた。
「実に惜しい人を亡くした……。彼は、この町の騎士に本当の勇気とはなにかを教えてくれた、偉大な人物だったのに」
「今後は俺たちが、この町で、騎士様の偉大さを未来永劫語りついでいくよ」
中には、目元にハンカチをあてて「よよよ」と泣き崩れる者までいる。
(本当は、死んでないんだけどなー)
騎士たちの大げさな悲しみ方に、ランたちが引きつった笑いをこらえていると。
《勝手に殺さないでもらいたい》
オードが不機嫌な声を出した。
「今、騎士様の声が聞こえなかったか?」
うつむいて、鼻をすすりながら泣いていた青年が、ぱっと顔を見上げてあたりを見回す。
「き、気のせいよ。それはきっと、オードを思う、みんなのあたたかな気持ちのせいね!」
アージュが適当なことを言ってごまかし、
「それより、ディスターナの王宮から出る報奨金ちょーだい」
いつもの抜け目ない顔に戻って、ヒースの前に手を出した。
「え……? 報奨金?」
思いも寄らないことを言われたので、青年たちはきょとんとした顔で互いを見つめ合った。
「報奨金って、王冠を取り戻した者に支払うっていう、アレ?」
「でも、それって王都に届けなきゃいけないんだろ?」
「おれたちに言わないで、自分たちで届ければ?」
たちまち面倒くさがる青年たちに、アージュがムッとした顔になった。
「あたしたち、王都から来たのに、また戻るなんて面倒くさくてイヤよ。手柄はあんたたちのものにしていいから、ちょっとの間、立て替えてよ。報奨金はあとからもらえるんでしょ?」
「それはそうだが……」
「町長に相談してみるか?」
結局、そのあと町長がやってきて、またいちから事情を説明し――半ば強引に、アージュは謝礼を巻き上げることに成功した。お金の代わりに、鉱山で採れた銀で作った大量の銀食器を受け取ったのだ。
「そうそう、鉱山って言えば、ランとアルヒェのお給料ももらいに行かなきゃ。それから、あたしとオードが騎士団で働いた分も、今すぐちょーだい」
オードは戦って死んだんだから、ちょっとくらいおまけしてくれてもいいわよね? と、アージュがにぱっと笑ってみせると。
「あー、それだけど」
ヒースがアージュの微笑みに負けないくらいの笑みを浮かべ、こう言い放った。
「騎士団って、青年団が善意で結成したもので、金目的で作ったわけじゃないんだよね」
「は?」
「だから、お給料はナシ! 一切ナーシっ!」
「……な、な、なんですってー!?」
瞬間、アージュの髪が逆立った。
活躍した分、しっかりお給料をもらえると思っていたのに!
すると、青年のひとりが椅子から立ち上がり、胸の前で手を組んで天井を見上げた。
「きっと、亡くなった騎士様も、『私は金品をもらうためにやったわけではない』と言うと思うよ。ぼくらは、その高い志を受け継がなければいけないよね……」
「――ぐっ」
ダメ押しとばかりに言われ、アージュは黙り込むしかなかったのだった。
「……まったく、なによ! タダ働きがしたくて騎士団に入ったわけじゃないのよ!」
アーキスタに向かう道の途中。
アージュは未だにぶつくさと文句を言っていた。
《もうそれくらいにしたらどうだ? あとで銀食器を売れば、ランとアルヒェが鉱山で稼いだ分を合わせて、相当な額になるじゃないか》
オードが横から口を出すが、
「けど、いくらあっても困らないのがお金じゃないの!」
アージュのムカムカはなかなか収まりそうにない。
「それにしてもドラゴン、すごかったねー! 今思い出しても、胸がどきどきしちゃうよ」
お気楽なランがそう言うと、
「ドラゴンかぁ……一度でいいから、見てみたかったような気もするなあ」
アルヒェは、ほんの少し元気をなくしているようだった。
あんなに意気投合したルージンが、怪盗だと聞いてショックを受けたのだろう。
いらぬ疑いを晴らすために、アージュとランは町を出る前に副団長のヒースに事の真相を話したが、やはり彼も「あのルージンが?」と驚いていたのだから。
「……ドラゴンの話だったら、あたしがいくらでもしてあげるわよ」
今まで怒っていたアージュが、ふと口調をやわらげて言った。
「ものすごかったのよ、あの大きな牙とか、長いしっぽとか」
「そっか……。ありがとう、アージュはやさしいね」
「へ? ちょっと、なに言ってんの、アルヒェったら!」
「……? アージュ、なんかあわててない?」
「あんたは、いちいちうるさいのよ!」
「……あてっ!」
そうこうするうち、四人は切り通しの前までやって来ていた。
岩をくりぬいて造られた細い道が、ずっと先まで続いている。
《ここが、今朝まで封鎖されていた国境……。この先が、アーキスタか》
ディンガの町の人々は、ドラゴンを撃退し、王冠を取り戻したランたちに、「アーキスタに行くのは白蘭月まで待ったらどうだ?」と言ってくれた。
けれど、国境封鎖も解かれ、呪われた血を持つおかげで魔物も怖くないランたちが、いつまでもディンガに居残る理由はない。
たくさんの町の人に惜しまれつつ――騎士団の面々にはホッとされつつ――、四人はディンガをあとにし――アーキスタへと足を踏み入れたのだった。
(3巻・第三話-7 へ続く…)