月の名前を持つ友達、蝶の名前を持つ私

小説を書いてくれた友達、彼女の名前からは月が出てくる。
私が親につけて貰った名前からは蝶が出てくる。

芋虫が蝶に進化していくには、月のリズムが大切だと聞いた気がする。
そもそも、生物には月の引力がとても大切なものなんじゃなったっけ。

月の光に導かれ~って歌もあるけど、まるで月の光のように私をある意味で導いてくれていたのが、彼女の存在だった。
私は彼女に憧れていたのだ。

月と言うものが太陽に負けず劣らず生物に重要な影響を及ぼすように、彼女の存在は太陽であり、月であった。
彼女がいなければ私はあの時自分を伸ばすことができなかっただろう。
亡羊さの中に埋もれてしまうところを逃れられたのは、一重に彼女と対等でいたい、彼女の編集者になりたい、彼女の特別になりたい…そんな意欲があったからだ。
彼女と同じ高校に入りたかったが、結局私は一つ下の高校だった。

彼女の強さの根本は何だろうと考えた時に、彼女には圧倒的な太陽、父親の存在があるのだと気づいた。
私の父親は、闇だ。
この人には力がない、と気づいたのと、私と共に病んでいく弱さを持つ父親には憤りすら感じた。
私には、何もないのだと、思った。

幼いころは、何もない私が、家も結構裕福な子たちと対等以上に闘えていることが誇りだった。
だが、だんだん家庭環境と言う底知れない力を発揮するものにに苛まれていった。

そんなこと言ってると母子家庭とかの人はどーすんのさ、となるんだがな。
ただやはりそういう環境の人とはまた違った問題があるのだ、私の人生には私の人生の苦しみと問題があったのだ。

月の力は狂気をも呼び醒ますという伝説があるものだが、私もその狂気にやられてしまったのかもしれない。
彼女の小説の一節に、こんなセリフすらあった。
『狂った方が幸せなこともあるのだな』

この台詞には、私の狂気を呼びさまされてしまったように思う。

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胡蝶しん月(アサギスト名)
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