旅の多様性“茶畑に行きたい!”静岡の旅
小学生の時の一大イベントといえば夏休みの岐阜への帰省で、新幹線に乗り窓側の席でお弁当をほおばりながら車窓を眺めていた。
東京から神奈川に入り住宅地が増えて、山梨に移ると畑や瓦屋根の家、四方を山に囲まれた平地に広がる住宅地や鉄橋が見えてくる。
新幹線の速さに対して、景色はゆっくりついてきた。当時の私は、その土地の風土や何百年もの間営まれてきた見知らぬ誰かの生活に想いを馳せながら、異国情緒のような興奮や哀愁を感じていた。ベランダで黄昏る女性、階段に一人で座り煙草を吸う男性、窓ガラスの割れた廃墟。 全てを鮮明に記憶しようと、必死にDSiでシャッターを切った。笑
富士山を通過し、茶畑が見えてきた。
緩やかな傾斜に広がるパウンドケーキのような規則的な形や、低木ならではの解放的な景色、気分をぱっと明るくするような鮮やかな緑は私にとって何よりも魅力的だった。
一般的な乗客が感動するポイントは堂々と聳え立つ富士山なのだろう。アナウンスにつられ、皆一斉に外を見ていた。
しかし私は誰かにとって“当たり前”の空間や、むしろ廃れてしまった物に魅力を感じる事が多い。バブル期には賑わっていた廃墟となったテーマパークや廃旅館。かつてそこにあった人々の営みや廃墟に至るまでのストーリーを思うと愛おしいという感情が湧いてくる。
茶畑は静岡の人々にとって見慣れた風景かもしれないが、私にとっては帰省の1番の楽しみであり、美しく特別な物なのである。そして大きくなったら必ず自分の足で赴き、その空気を全身で感じたいと思っていた。
そう願ってから、気づけば十年が経っていた。
二十歳になった今、偶然お茶に関わる友人に出会った。
“茶畑に行ってみたい!”
小さい頃の小さな夢が現実味を帯びて大きくなり、私はすぐに静岡に行く事を決めた。
このように、旅行をしようとして目的を決めるのでなく、ふと目的を見つけた時に旅行するというのが私のスタイルである。旅行先を選ぶために観光地を検索するのも良いが、普段の生活での小さな疑問や昔持っていた小さな憧れなどを思い出してみてはどうだろう。
小さなきっかけから、自分の本当に求めていたものが見えてくる事はよくある。
実際静岡を訪れて、まず感じたのは空の広さと穏やかでスローな空気感。前日までコーヒーの大会で追い詰められていた私の肩の荷が一瞬で降ろされた。その時私は、見知らぬ土地で誰にも干渉されない空間が欲しかったのだなあと痛感した。
そして旅は偶然を楽しむものだと言うが、目的を持って旅をしても未知なる発見は山ほどあるのだ。
念願の茶畑を訪ね、生産工程やリアルな状況に触れて、良いものを価値を守りながら消費者に届けたいという将来に通ずるところまで掘り下げて考えることが出来た。他にも山程感じたことはあるが、とにかく大収穫だった。
“茶畑に行きたい!”という小さな願望からここまで世界が広がった事に私自身も驚いている。
本当に自分が行きたい場所はどこだろう?
本当に自分が見たいものはなんだろう?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?