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バラバラな偽りの家族 続編

こんばんは。
今朝は少しだけ肌寒かったな。ここから秋が深まるのかな?
朝、病室の電気が付くと、暖房も付くので部屋は暖かい。
なので半袖で過ごしてるmakoです。

夕方の先生訪問で、来週の水曜か木曜日なら退院しても良い。
と言われて1日でも早い方が良いから水曜日でお願いします!と。
やった!
後、残り1週間。
やっと希望が見えました。
長い休養期間…。
こんな生活始めての経験です。
退屈っちゃ退屈だけど、残りの1週間は今より楽しんで過ごして行こうと思います。


母の妹夫婦と一緒に暮らす様になってから、なんとなく普通の生活が始まった。
何故、普通かと言うと、母の妹の旦那さんは普通にサラリーマン。
一般的な生活パターン化されて過ごす事が多くなった。
だから、商売屋の生活と一般的なサラリーマンの家庭の両方とも、ここで体験した。
母の妹を、お姉ちゃん、旦那さんはお兄ちゃんと呼んでいた。
(ここから、お兄ちゃん、お姉ちゃんと呼んで行きます)
お兄ちゃんも休みの日になると、あちこちにドライブに連れて行ってくれたり私達姉弟を可愛がってくれた。
お姉ちゃんはお料理が得意で、色々な物を作り食卓は賑やかで楽しいひと時だった。
義父と母、私と弟。
妹夫婦。もうすぐ産まれて来る赤ちゃん。
みんなで囲む食卓。
その日の出来事。
たわいもない会話。

夜中の怖さがない生活は、安心で心地よい居場所だった。
この時、私は小5、弟は小1。
ごく普通の家庭を味わっていた。
いってらっしゃい。
いってきます。
おかえり。
ただいま。
おはよう。
おやすみ。
家に誰かいて、迎えたり迎えられたり。
たったこれだけの事だが、とても幸せだった。
居場所のある安心感。

この頃、両親の店は会社になった。
お姉ちゃんは店の経理の仕事しながら、私達の面倒をみて母から給料を貰っていた。

小6になった5月、お姉ちゃん夫婦に赤ちゃんが産まれた。
目がクリクリとした可愛い女の子。
家族みんなのアイドルになった。
お兄ちゃん似のアイドルは皆の癒しだった。
私も、可愛くて率先してオムツ変えたりミルク飲ませたりした。

当時、あちこちで団地が建設されていた。
マイホームを夢みる若い夫婦など、家賃の安い団地に入居希望が殺到していた。
(そこでお金を貯めてマイホームを建てる)
そんな中、お姉ちゃん夫婦が団地入居が当選した。
倍率高いので当選しないだろうと思っていたらしい。

ここから又、不思議な生活が始まる。

箱根から降りて三島からのバイパス道路
この道は沼津のリコー通りまでしか無かった。
道幅はあるけど、ただの空き地。
子供の頃は、ここのバイパスの空き地が遊び場。
今では、とても混むし大事な道。
なので、当選した団地に行くには細い道を通るか、海岸線沿いの国道を通るしか行く術がなかった。

私達、姉弟はこの団地で一緒に暮らす事に。

だが、ここの団地から学校まで車で30分かかる。
バスで行く場合には、徒歩10分、バスに乗り駅へ行き違うバスに乗り換えて学校に行くのに1時間以上かかった。
こんな感じだったので、朝は義父か母のどちらかが迎えに来て、来れない場合にはバスで通う。
学校帰りは、自宅に帰る。
仕事終わりにお兄ちゃんが迎えに来る。
たまに、団地に帰らず家で弟といる場合も。
なんとも不思議な生活。
自宅があるのに、そこは空虚。
なぜなら、義父は愛人宅にも生活拠点があり、母は自宅以外にもアパートを借りていた。
一度だけ連れて行かれた。
どう言うこと?
あの自宅は夕方になると、家族が集まるが実態がない。
毎日ではないが、店の経理をしていたお姉ちゃんも自宅にいる事があった。
そこで食事を皆でして、皆それぞれ散って行く。
なんとも偽りの家族。不思議な生活。
一見すると、私達家族は華やかで幸せな家族に世間では見られていただろう。
あちこちに預けられ、家はあるのに家に住むこともない。
家族が居るのに、居ない感覚。
居場所は出来たが、心の拠り所がない。

そんな時、衝撃的な事実を知る事になる。

心に不調和音が聞こえる時、目眩も起こして熱を出しお腹を壊した。
病院へ連れて行ってもらう。
こんな事が多くなった。
昔の保険証は家族全員の名前が記載されていた。
何故か?私の名前は弟の下にあり、養女と記載されていた。
ん?
養女?
私が?
貰われた子?
拾われた?
頭の中で、色々な事がぐるぐる。
(当時、施設から養子や養女としてイギリスを舞台にした漫画が人気だったので
養女の意味はよく理解していた。)
小6で、自分の生い立ちを振り返る。
私の中では、母に何度も何度も置いてきぼりになっていたし厳しくされた。
この時は、母はきっとママ母なんだと思った。
だから、私に厳しく、弟には優しいんだと。
そんな疑いを抱きながら、気づいた事を誰にも言えない日々が暫く続いて大人達の行動や言動を観察していた。
嘘や誤魔化し。
欲望、エゴ、建前と本音、偽り。
作られた表面上の幸せ。
皆それぞれの正当性を主張して、自分の悪い事は誰かのせいにしているのが見えて怖かった。
でも、そんな自分でさえ、母を含めた大人達のせいで苦しまされている。
誰かのせいにする事で自分を救おうとしていた。
そんな小6だった。


義父が愛人と車に乗ってる所を見た…と、友達から良く聞く事が多くなったある日、私も目撃した。
金髪の若い女。
母はこの事を知っていた。
だから、あのクリスマス前に家を出た。
私達を置いて。
そして、自宅以外にアパートを借りた。

そんなある日、その愛人が私宛に電話をよこした。
義父は今ここにいる。(本当はいない)
赤ちゃんが生まれるのよ。
もし産めないなら、私は飛び降りて自殺する。と。

私を使い苦しめて義父を手に入れようと…。
その攻撃的な言葉で私は泣いた。
電話口で泣く私に、お姉ちゃんが気づく。
もう電話は切れてる。
泣く声は次第に嗚咽化する。
自分の心を保つ事が出来ない…
そして、お姉ちゃんに尋ねる…黙って心にしまった養女の件。
私は誰の子?
誰なの?
教えて。
本当の事を。
なかなか応えてくれない。
尚いっそう不安になる。
お姉ちゃんも泣いた。
私の訴えに応えるのか応えないのか?悩みながら。
2人で泣いて泣いて、私の疑問に応えた。
そうだったのか。

私の思っていた事と真逆だった。
納得出来ない出来事、経験…
思い込み
憎しみ
どう受け入れば良いのか?
この事実を知り私は、周りの大人達とどう関われば良いのだろう。
小6の私が出した答えは、自分の感情を押し込み大人達を都合よく理解して自分を納得させる。
あの時の私は子供だった。
うん、まだ子供だったんだ。
誰かに守って貰いたい。
そう無理して大人ぶってた子供。

そして崩壊に向かうバラバラな偽りの家族

何度も何度も繰り返し自分と対峙して会話して来た。
思い出す事も苦しく、感情に嘘を付いて来た。
嘘で納得した私の感情は、尚一層、私を苦しめる。
こんな事を数年続けて、少しずつ手放してきた。
自分のネガティブな感情と向き合う事が、どれだけ苦しくて耐えがたい感情が湧き上がる事か。
でも気づいて欲しい。
もう過去は過ぎたよ。
そこには居ない。
もう良いじゃない?
囚われた気持ちは、もういらない。
辛く悲しい過去があるから、強くなる。優しくもなる。
だから、見える景色もある。
何度も言うよ。
自愛からの慈愛。
誰かの生きるヒントになれば幸いです。

今日もありがと💕













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