何のために稼ぎたいのか考えた/結論:夫ファースト
先週はドタバタとお仕事をしており低浮上でした。
一昨日・昨日と寝まくって体力を回復したので、久々にライティングの案件をお受けしようかなぁ、と考えていたのですが、ここで懸念。
明日、おいたん(夫)が休みで家に居るんだよな。ってことはあんまり集中して作業できないかも?
おいたんは、メンタルが不安定でほったらかしておくと死にたくなってしまう人。かと言って私とベタベタ一緒に居るわけではなく、隣の部屋で寝てばかりいる人。でも、私が作業に没頭していると寂しそうにして挙句の果てには死にたくなってきてしまう困った人。
うーん。ライティング案件もやりたいんだけどなぁ。でも納期明後日じゃ明日やるしかないんだよなぁ。
と、ここで立ち止まって考えました。
私は何のために稼ぎたいのか。
自己実現、とかもありますけど、何より大きな原動力はおいたんの存在なのです。おいたんとの楽しい結婚生活を自分たちの力(お金)だけでやりくりしたいから頑張ろうとしてる。
私はまだ生活の一部を福祉に守られている人間で、完全なる自立は出来ていない。主治医の判断でまだ福祉に守られているわけだけど、いつか主治医も私を天晴と思うくらいに稼いでみせたい。
病状は、最近安定して来てる。じゃぁ、稼ごう。と、短絡的な私は思う。
数年前、その思いが強くなってブラック企業で働きすぎてメンタルが再度崩壊して振出しに戻った。
それは教訓として忘れてはいけない体験だ。
その時も、おいたんは私を支え続けてくれた。無職になった私を、せっつく事も無く見守ってくれて、職業訓練にも行かせてくれた。
私が個人事業主になる、と宣言した時も、応援してくれた。
そのおいたんに寂しい目をさせてまで、今急いでその案件受けなきゃいけないのか。
もしかしたら、その案件は明日も明後日も出されて納期が三日後とかになっているかもしれない。
目の前の大事な人をないがしろにしてまで、仕事してしまうのは本来の目的を見失ってしまっているって事なんじゃないのか?
先週は、仕事仕事でおいたんにちゃんとしたご飯も作ってあげられなかった。日々の出来事を話す余裕すら無かった。
よし、今日と明日はおいたんのために時間を割こう。
おいたんと、「暇だね~☆」と言い合う何にもない静かで平和な日常を楽しもう。
今日の午後はそのおいたんと川に釣りに行ってきます。
魚が釣れても釣れなくても、おいたんの笑顔を見れるだけで私は幸せなのです。