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捨てられなかった日記
今後数年の間に引っ越しをする予定でいるので、それなりに本格的な断捨離をはじめました。台所はだいぶ片付いた。けれど、他の場所は物が溢れたままです。
そんななか、4年前と3年前の日記を見つけた。引き寄せコーチのMACOさんが出したスケジュール帳で、短い日記もつけられるようになっているもの。
軽く見返すと、驚くくらい今の自分と考えたり願ったりしていることが同じで驚いたしショックを受けた。進歩なさに凹む・・・。けれど、多少進歩したように思える部分もありました。当時の願いは、「こう思われたい」「こうしてほしい」といった内容の望みが多かった。完全に他人軸です。「相手がこうしてくれたら私は安心」ということばかり。今も基本そうなんですが、多少そういう望みを持ってる自分を客観的に見れるようになりました。けど、当時なりに頑張っていたように思います。傍から見たらいい年してそんなことばかりと思われそうな自分ですが、私なりに頑張っていると少しだけ思えました。
過去の日記はあまりにも進歩がないし、恥ずかしいのもあるし、せっかく断捨離しているし、捨ててしまおうと思い何か月分かの日記はシュレッダーにかけました。でも、あるところに目が留まって、そこから他の部分も読んでいくと、思い出がいっぱいつまってて捨てられなくなりました。
今の私は父親と仲が悪いというか怖いんですが、4年前、3年前の自分は尊敬してるような言葉を書いてた。本当に、ここ数年でこじれてしまったんだと実感しました。父の気持ちもわからなくはないけれど、怖くって、電話しようと思うと胸がバクバクします。それでも何度かがんばって電話したりしてますが、こんな怖いのにどうして私が電話しなきゃいけないんだろうと思ってしまい、最近また間が空いてる。父は仲良くしたいらしいのに恐怖心が消えなくてやっぱり怖い。その罪悪感もある。話すと意外と平気な時もあるけど、突拍子もないこと言い出して、それに賛同しないと罵倒してくるから怖いし嫌だ。私ひとりに全てを押し付けてくるのも嫌だ。だけど、向こうからはもう電話しないとある時言い出したから、それからは、私からするしかなくて、毎回嫌だ。一人暮らしで心配だけど、話したくない。この堂々巡りです。
父のことを考えるという意味では日記は貴重な資料のように感じました。その他にも読み返したい思い出があったから、数か月分シュレッダーにかけた残りの日記はとっておくことにしました。
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