『Love so sweet』の良さについて語る
まずは全集中して聴いてみてください。
メロディ、歌声、伴奏、コード進行、曲全体の構成、MVの意味……
頭をフル回転してみると、1回じゃ足りないと感じてきます。
……いや、神曲すぎる、、、、、、!!!!
日本人なら95%くらいは認知度ありそうなこの曲ですが、本当に良さに気付いたのはここ最近の話でした。
私はコード進行とかそういう音楽理論系の話には疎いので、そういう知識は都度インプットしつつ、この曲の良さについてだらだら書いていきます。
①ふたりっきりの恋と、それを見守る存在
まず歌詞全体を見渡してみると、ある共通項が見つかります。それは、「空」関連のワードが多いこと。
太陽、月、雲、空、虹・・・
単語だけで列挙しても、偶然にしては不自然なくらいに"頭上"を彷彿とさせる歌詞です。
では、この曲において「空」はどんな役割を担っているのでしょうか?
それは、物理的に離れている二人を繋ぎ止める役割です。そう、この曲は遠距離恋愛をしている二人の曲なのです。
特にここの歌詞が好きです。
このフレーズだけで「手」という単語が2回出てきますが、この「手」の持ち主は異なります。空に手を向けるのは恐らく彼。そうすることでかつて頑なだった彼を変えてくれた、やさしい彼女の手を思い出すのです。
この二人を心理的に繋ぎ止める役割を果たすのは、大きな空という訳ですね(あとここ、にのあいデュエットなんですが、この二人の関係性が道明寺くんとつくしちゃんの関係性を彷彿とさせたりしませんか?花男ほとんど見たことありませんすみません)。
そしてさらに、「空」以外にも彼らを見守る存在がいます。
それは、MVの中の嵐マネキンたちです。
ショーウィンドウの中に綺麗にポーズを取らされた嵐5人は、ひとりの男の子の恋の行方を見守ります。
お母さんに手を引かれていた男の子はやがて青年となり、立派に恋愛をする歳に成長していきます。ガールフレンドとのデートを楽しみ、結婚し、子どもが生まれ、街全体が大きな幸せに包まれる様子が印象的なMVです。
その少年の成長過程を見守るのが嵐マネキンなのですが、よく考えたらなぜ嵐をマネキンにする必要があるのだという疑問が浮かびました。普通だったら松潤が恋の主人公になって、誰かと恋をする様を描いたりするのでは?
私なりの解釈ですが、きっとここに「空」がリンクしているのではないでしょうか。「空」と「マネキン」に共通しているのは、定点であることだと思います。
恋をする二人は空を見上げてお互いの存在を確かめ合い、その時に空も定点で二人のことを見守っているよ、という意味合いのMVと歌詞なのではないかなと思いました。
もっと真面目に歌詞を分析すると、時々一人称が誰なのかわからない部分(love storyまたひとつ など)があるのですが、ときどき定点からのつぶやきが入っているからこそ、誰もが自分に当てはまると感じる、超人気曲になったのではないでしょうか。
②私がいちばん好きな歌詞
考察もクソもないですが、私がこの曲の中で一番好きな歌詞を載せます。
ここです。ここ!!!!!!
こんな純粋で、美しい歌詞、ありますか?歌詞だけ見ても十分良いですが、ここに松潤のメロウな歌声と、Cメロからの多幸感いっぱいの盛り上がりが、完璧にリンクするんです。
Love so sweetはサビ前で転調して2番のAメロでまた調が戻っているのですが、ここはサビの調のまま突入しているので、AメロBメロよりも愛しさや胸いっぱいのせつなさを感じるフレーズになっているのではないかなと分析しています。違っていたら優しく教えてください。
このフレーズだけで、遠距離恋愛中のもどかしさ、歯がゆさ、それゆえに膨らんでいく相手への愛がじんじんと伝わってきませんか?そしてその気持ちが、美しい花へと姿を変え、きっと君の住む街に降るだろう、なんて普通考えません、よ!!ほんとに!!!どれだけ愛おしいんだ~~~~
最近まで脳死で聴いていたので何も感じなかったのですが、ガチで聞くとガチで泣けます。私は車の中でガチ泣きしました。
③おわりに
なんかもっと、上手く書けるかと思ってたら、全然思ってることが書けませんでした。消化不良です。
曲を聴いてるときは、うわ~~~これヤバい!文字にしたい!と思ってるのに、いざ言葉にしてみるとびっくりするくらい陳腐になってしまって、自分の語彙力と表現力の無さに悲しくなりました。
この曲のコード進行がすごい、とか、実は桑田佳祐のオマージュになっている、とかほんとに調べてみると面白かったのでリンク貼っときます。Love so sweetに足向けて眠れなくなります。