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人間は「いきもの」だと気づく。有給de美術館〜ルーヴル美術館展 愛を描く〜

行きたい行きたいと思いながら、結局いつも駆け込みになってしまう展覧会の鑑賞。
今回はたまった有給を使って国立新美術館へ。

晴れの日の国立新美術館は最高だ。

快晴☀️

今日おぼえたことば「リベルティナージュ」

18世紀ごろ、フランスの知的エリートたちのなかで流行した、奔放な性生活を肯定する考え方を「リベルティナージュ」と言うらしい。
イギリスでいう摂政時代の人の考え方の拡大版みたいな?「リスペクタビリティ」とは全然違うようだ。

今回のメインの作品、フラゴナールの《かんぬき》。


女性のどちらとも判別できない表情。
判別しようとするのが間違いで、そもそも感情は白か黒じゃなくて複雑なマーブル模様ってことなんだろうか。

うまく運ばなかったらこの男性は社会的に死ぬ()気がするけど、そんなことは全然考えてないだろう。
結局のところ人間はこういう激情で動く生き物だから。

リベルティナージュでは、そういう意味では人間の「いきもの」としての側面が、あるがままの姿であるとされているのかな。

ロココ、若者にウケるかも?

以前、ロココは何で現代で流行らないのか?と考えてみたことがある。

そのときは、豪華絢爛な調度品や煌びやかな衣装など華美でどっしりした印象が、あまりZ世代の価値観と相容れないんじゃないかという自説に落ち着いた。

でも、リベルティナージュの概念は結構ウケるのではないか?

愛情の形が人それぞれであることや、一度生まれた愛情が消滅したりあるいは形を変えたり、永遠を保つことの方が少ないこと。
ここ数年、「変化するからこそ美しい」的なメッセージを持つ音楽や映画が流行ったのも、変化や多様な価値観に対する寛容さが増してきたからかもしれない。

慈愛、性愛、親愛、ときに自己愛など、様々な種類の愛情が複雑に絡み合うことも「まあ、そういう考えもあるよね」「そういう時期もあるよね」「だって人間だからさ」的な感じで受け止めている人って多いような気がする。

最終的に、「無欲な人なんているわけないじゃん」とか、「人間ってもうちょっと自由でいいかもね」みたいな思想に辿り着いているような気もする。
ロココは人間の望みをまっすぐ示しているのかもしれない。
まあ、真っ直ぐすぎる望みは、時にトラブルのタネになるんですけど、、、。

好きだと思った作品

今回一番長く観たのは、《パオロとフランチェスカ(略)》。

確かに、天国に行けずに彷徨うのは苦痛かもしれない。でも、

こんなふうにお客さんが覗きにこない世界だったら?
ずっと2人きりなら悪くないかもしれないなんて思ってしまった。
けど、煉獄だし、と思い直した。

彼らを見つめる観客がいるからこそ一層悲恋が際立つ。

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