ロココって、もっと流行ってもいい気がしませんか?
メトロポリタン美術館展、スコットランド国立美術館展と、名品揃いの展覧会が続いていたこんにち。
2つの展覧会に「ロココ代表」で登場していたのが、フランソワ・ブーシェ。
メトロポリタン美術館展では、《ヴィーナスの化粧水》が複数のグッズになっていた。
私は半透明のブックマーカーが作品の雰囲気とマッチしていたのが気に入って購入し、今も愛用している。
しかしスコットランド美術館展は、あんな大きな連作を展示しておいてブーシェのグッズが全然ない。驚き。
インスタやTwitterを見ても、特にモネとルノワール、ドガに注目している人が大変多かった。
印象派は若い人にもあんなにちやほやされているのに(言い方は良くないが)、、、。
この空前の印象派のブームは、以前もnoteに書いていたことである。
そして、「うまくいきそうなのに、なんでロココって現代の若者文化と調和しないの?」と思ったのである。
そもそもロココ美術とは
フランス革命前の、いわば浮き足立った貴族文化を反映した様式である。
巡礼と言いつつ恋人たちのムードでいっぱいの《シテール島の巡礼》、ヴァトー。緑の中の鮮やかな筆致にもかかわらず官能的な《ブランコ》のフラゴナールなど。
前述した《ヴィーナスの化粧》、《水浴のディアナ》のような優美な神話画、もしくはスコットランド美術館展のために来日した《眠る女庭師》のような牧歌的な主題が流行した。
その後、この極端に飾り立てることを好む風潮は、道徳的な堕落を揶揄されて衰退していくことになる。
ロココ美術とZ世代の文化は調和しないのか?
明るい色調と軽く滑らかで繊細な筆致が特徴のロココ。
また、当時の衣装も華やか。
私個人的には、ブーシェの柔らかな「青」がとても好きだ。
流行を生み出すのに視覚情報がかなり重要になっている、この現代にも受け入れられそうな気がするが、、、いわゆるZ世代(私もZ世代だが)の価値観・消費行動を考えるとどうだろうか。
ここで着目したいのは、多様性を受容することに起因する、個人的な関心の尊重である。
例えば、ゴッホの後期にかけての《ひまわり》や《種を撒く人》や、モネの《睡蓮》の連作は、もっぱら画家個人の興味関心を昇華したものである。
私は、Z世代は「無常観」の世代だと思っている。
瑛人「香水」や優里「ドライフラワー」のヒットからも分かるが、変化に敏感であり、またその変化の美しさを肯定的に受け止めることができる。
そして、印象派の大きな特徴である「瞬間の美」の切り取りはこの「無常観」と合致し、画家と鑑賞者の関心が共鳴しているのだと思う。
加えて、Z世代は経済的に保守である。
この奔放な貴族文化は、実は現実主義的なZ世代の若者が求めるものとミスマッチなのかもしれない。
権威や不動を愛するパトロンのために歴史画や肖像画を描く時代とは、感覚が大きく違ってくるのだ。
ロココが流行るときは来る?
以上のような理由でロココはZ世代に流行らないのだと思うが、個人的にはちょっと残念である。
このなんとも言えない気楽な印象と、繊細で柔らかな表現は結構癒されるものだと思うからだ。
ロココが流行る時は、景気が良いときなのかもしれない、、、なんてことも思う。
古典芸術(舞台なんかも含めた)の衰退が心配される現在、このロココを流行らせることができれば、例えばルネサンスやバロックなんかの芸術も再興の糸口が見えてくるかもしれない。