二浪目のこと(後編)

後編です。そこまで具体的には書きませんし、長くないです。

付き合ったのが7月のことでした。基本的に僕の日常はあまり変わりません。早稲田の図書館に行って、勉強して、週に3回バイトに行くだけです。2週間に一回くらいデートをする。そんな日程です。バイトがかぶる日には帰りに30分から1時間くらい話しました。今となっては自信をもって言えないのですが、ちゃんと好きでした。

ありふれたことを沢山しました。

浴衣で花火大会に行く。
二人でプリクラを撮る。
鎌倉で食べ歩きをする。
観覧車に乗る。
スカイツリーに行く。
映画館で恋愛映画を見る。
箱根の日帰り温泉に行く。
誕生日プレゼントを貰う。
プレゼントを渡す。

そんなベタなことを多く経験しました。それ以外にもありふれたことをしました。多分幸せとはこういうことなんだろうなと思います。特にプレゼントを選んでいる時が楽しかったです。今もそうですが、長い時間考えて選ぶことが好きなようです。

12月になりました。受験が迫ってきています。秋の東大模試の結果が返ってきました。それまで僕は勉強と両立させているつもりで付き合っていました。東大模試の結果は思いっきりE判定でした。昨年の同時期はB判定をもらっていました。何より焦ったのが、僕の中ではしっかりとかけた答案だったことです。苦手な英語はいいとしても、昨年合格基準に乗っていた世界史も日本史も国語も数学もまるっきり得点が入っていませんでした。手応えがなくてダメだったことは何度もあります。ただ手応えがあったのにダメな結果が返ってきたことで、勉強の焦点がズレていたことに気づきました。一人で勉強することの難しさを知りました。あと2ヶ月しかありません。

クリスマスが近づく頃でした。僕はその結果を見た日に彼女に連絡をしました。「話がある」と。

別れて欲しいと言いました。3月まで待ってもらうという選択肢もありましたが、僕は自分の都合で相手の人生を止めるのは嫌でした。これもワガママなのはわかっています。僕がその時に優先したことは東大に受かるため、東大で野球をやるために最善を尽くすことでした。その時の僕にとってそれよりも優先順位の高いことは何一つありませんでした。極端なことを言えば、家族が全員いなくなってでも僕は東大で野球がしたかったのです。それくらいあの時の僕の思考はぶっとんでいて、模試の結果がそのスイッチを入れてしまいました。

そうして初めての彼女と別れました。

その後一人で勉強する日々に戻りました。11月にはバイトは辞めていたので、彼女に会うこともありません。僕はただ必死に勉強し、焦点を戻すために2ヶ月を捧げました。3回目のセンター試験を乗り切り、東大受験に挑み、そのころにはちゃんと戦えるように戻っていましたが、ちゃんと落ちました。落ちた時に、憑き物のような「東大で野球がやりたい」心は小さくなっていました。終わりの見えない地獄はそこでようやく終わりました。やまない雨はないと言いますが、本当にやまないのではないかと思うほど降り続く雨を経験した人はどれだけいるでしょうか。

受験の結果をLINEで報告しました。

2浪目のことを僕は一人で戦ったかのように振り返ってしまいます。
でも違います。あの一番激しい時期の雨の中で一緒に傘を指してくれた人がいたからやり切ることができ、こうやって今生きているのだと思います。
もう同じ傘に入ることはないでしょう。
いつも傘をさしてもらうだけ立場で、さしてあげることができなかったなあ、という気持ちを持って生きています。

以前、大学を卒業したことを報告しました。僕が大学を卒業できたのは大学にいながら大学を目指していたあの時期があったからなので。あの時期を乗り越えられたのはその子のおかげなので。

返ってきた言葉の一部がこうでした。

「一人では生きていけないから、困った時、辛い時は支え合って生きていかないと!」

その子からもらった傘をどこかで別の誰かに使う日が来ることを願いながら、僕は文章を書いています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?