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同期(下)

お店に入った。
話を聞く限りどうやらまたやらかしたらしい。
僕は言う。

「どう考えてもお前が悪いよ」

彼氏が怒っているらしい。そらそうだ。

「うん、だから男と二人で飲みに行っちゃダメって言われてる」

「は? じゃあこの飲み会は?」

「あぁ、よしのた〇きは許可出てるのよ。ほら。」

LINE画面を見せてきた。彼氏から《よしのた〇きお疲れさま》と送られてきた画面。

なんだかよくわからないけど、お互い顔も知らない男から信用されているらしい。あとお前もフルネーム呼びかよ。

思えばこの女と話す時はいつも楽しかった。そうそうこの感覚だ。
何を言っても返してくれる。こっちも返せる。
笑ってない時間がないくらいだった。

今までこんな相手はいたっけ?
僕の友達はたいてい元々仲間だ。同じチームで長い時間を共有した人ばかりだ。
純粋に利害関係なく、ここまで話せる人間がいただろうか。地位も名誉も肩書も気にしないで話せる。
この関係に名前をつけられるのか。

僕が勝手に【同期】の名前をつけて保存していたこの関係はもうすぐ終わる。僕が会社を辞めることで【同期】ではなくなる。

「私、よしのた〇きと間違えることはないから」

その女は笑顔で言う。
その顔は初めて話したあの懇親会の時と同じ笑顔だった。


「私もあの会つまらなくて、真面目じゃない人を探してたのよ」
「それがよしのた〇きだったんだよね」

「(俺は至って真面目な人だよ。)」

そう思いながら、まだ少し痛む身体でハイボールを飲んだ。

別れの時がきた。また会えるかどうかもわからない。環境が変わると人間関係は変わってしまう。
もう【同期】じゃなくなる。

新橋駅に向かって二人並んで歩いていく。
時々肩がぶつかる。でも僕は間違えない。言わなくていいことは言わない。ポケットに手を入れ続ける。

「寂しくなるね」

そんなこと言わないでくれ。名残惜しそうな顔をしないでくれ。
片方の手袋を奪われた。お互いどういう心境かわからない。わからないし、考えるのをやめた。
ただひたすらゆっくりと改札に向かって歩いていくだけ。

改札を通過した。
その女は僕があげた誕生日プレゼントを嬉しそうに握っている。
手袋を返してもらった。だから名残惜しそうな顔をしないでくれ。俺も何を言えばいいのか、何をすればいいのかわかっていないんだから。
最後に握手をしようとして、
軽くて弱いハグをされた。

(間違えることの多い軽い女のハグってこんなに弱いもんなのかな。)
なんてことを思いながら少しだけ返した。

「うん、じゃあまたね」

僕はそう言って、手を振って、その女のいない方へ歩き出した。

新橋駅烏森口の改札から総武快速線までは一直線で長い道のりだ。

20mくらい歩いた。

僕は不意に振り返ってしまった。

その女はまだこっちを見ていた。
笑って手を振っていた。

(やっぱり一度も触れなかった俺は至って真面目だと思うよ。)
そんなことを心で言って、もう振り返らなかった。

僕は大人になったから知っている。
「またね」と言って別れた相手とまた会えるとは限らないことを。
じゃあこの恋慕とも友情とも言えない謎の感情に名前がつくこともないんだろうか。あのハグはなんだったんだろうか。


一つの詩がフラッシュバックする。。。。

『花に嵐のたとえもあるさ、サヨナラだけが人生だ』

・・・・

一人での帰り道。
半月より少し大きい名前のない月の下を歩きながら、一ヶ月前に人事から来たアンケートを思い出していた。

〔あなたがこの会社に入社してから嬉しかったこと、楽しかったことはなんですか?〕

嬉しいことも楽しいことも僕は何も思いつかなかった。一つのことを除けば。

〔あの女と話している時だけはいつも楽しかったです〕

そう入力したあと、静かにBackSpaceを押した。

結局、僕はその欄を空欄で提出した。

・・・・

【同期】だった僕とその女。
僕とその女の関係が空欄になった日だった。

【  】

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