県立高校野球部の日常(3)〜行事〜
我が県立高校には大きな3つの行事があった。
文化祭
陸上競技大会
修学旅行
文化祭
文化祭は夏前に行われる。できるだけ受験に影響しないように6月に設定されていた。受験には影響しないが、7月から夏の大会が始まる野球部にはモロに影響する。
3年間通して、文化祭の浮かれムードに飲まれすぎず、かつクラスでのポジションを保ち、何より普通に高校生として楽しみたい、など様々な感情のバランスをとって行動することが求められた。野球部的には。
1年生の頃はまだ入学したばかりで人間関係も曖昧で、何より部活でほぼ文化祭準備を手伝えないまま終わってしまった。
打ち上げに参加することもなかった。
文化祭は2日間あり、1日目の夕方に中夜祭というものをやる。体育館に3学年のほとんどの生徒が集まって、何かやるらしい。
なぜ「らしい」かというと僕らは中夜祭参加したことがない。
体育館は裏門を入ってすぐのところに位置し、野球部の下グラは裏門の目の前にある。目と鼻の先で楽しそうなイベントをやっている中、僕らは普通に練習をする。
文化祭の日、他の部活はどこも活動をしていない。
僕らだけ、いつも通りクソでかいエナメルバックに大量の飲食物とユニフォームを詰めて登校する。16時くらいに心地よい疲労感と非日常の高揚感で中夜祭へ向かう同級生を横目に、「ごめん、練習行く。」と言って、憂鬱な気持ちでグラウンドに走る。
1、2年の頃は憂鬱だったけど、3年になった頃にはなんの感情もなく、グラウンドに向かっていた。ライトフェンスの向こうにある体育館までボールを打とうと思っても、非力な自分には届く気配もないことが虚しかった。2個下の弟は入学した段階でフェンスを越していたことも少し虚しかった。
2日目の後、大抵クラスの団結は深まり、打ち上げに行く。
「今日は文化祭だったから早めに切り上げるぞー」
と言った顧問の声が響き、20時ごろに練習が終わる。
「こいつ、早めって言葉の意味わかってるのか??????」とブチギレながら、打ち上げに参加してる同級生に電話をかける。大抵もう終わっているか、そろそろ終わりそうか、のどちらか。
僕らは寂しく家に帰る。
次の登校日、どこかの男女が仲良くなっていたり、僕の知らない共通の話題でクラスが盛り上がったりしている。
それを眺めながら、母親が作ってくれた弁当を1時間目の後から食べ始める。しょっぱかった気がする。
陸上競技大会
我が母校には体育祭がない。その代わりに陸上競技大会がある。市内の競技場を貸し切って朝から夕方まで行われる。100m、400m、棒高跳び、投擲競技、長距離(ロード)、その他諸々の競技を一人最低1個以上行う。
野球部は結構活躍する。足が速い人は100mの決勝に出てるし、ロードにはうちの代の化け物長距離マンがいるし、高跳びにはなんか張り切っているアメリカ人みたいなやつがいた。
僕は短距離が速くない。人より得意な長距離もサッカー部、陸上の長距離専門に勝てるほどでもなく、誰にも見つからないくらいで微妙に頑張っていた。
小学校で終わったはずの“足が速いとモテる理論”は高校になってもまだ適用されることを知った。100mは一番見やすい位置で行われて全校生徒が見ている。女子も見ている。羨ましい。はあ。
ロードと400mとかいうイカれた組み方でエントリーして、そんなに活躍できるわけでもない僕は上の観客席から100mを眺めていた。
好きな女の子が100mにエントリーしていた。文化部なのに足が速くてなんだかさらに好きになった。僕も足が速いとモテる理論を普通に適用させていたんだな。
陸上競技大会の後も大抵打ち上げはある。
今思えば高校時代の打ち上げは最強だ。
・同じクラス
・育ちが良い
・気心を知っている
・共通の話題がある
・学歴が担保されている
・毒親の確率が低い
・そもそも大抵人がいい
・サイゼリヤで充分楽しい
合コン、婚活パーティー、マッチングアプリなんか相手にならないくらい最強の出会い・交流の場だった。コスパは最強。
陸上競技大会の時期は野球部の公式戦が終わった後だ。帰って練習しなくてもいいだろ、打ち上げに参加できる、そう思っていた。でも僕の記憶に1,2年の打ち上げの映像が残っていない。
もしかして僕らはあの日も練習をしたのか?
グラウンドに帰って練習したか、競技場の周りで練習したか、どちらかだった。なんだか泣けてきた。練習の記憶しかない。あとで泣こう。
そういえば、打ち上げの後に好きな子にあだ名がついてて、経緯を何にも知らない僕は蚊帳の外だったことがあった。マッチョってなんだよ。
修学旅行
僕の代が1年生の時、2年生が修学旅行に行った。顧問は僕らの代の担当教師なので、学校に残って楽しく(苦しく)13人だけしごかれた。
1年後、僕らは2年生になり修学旅行先へ向かう。顧問ももちろん同行している。ということは1個下の代は顧問なしで練習することになり、その極楽浄土ぶりを羨ましく思いながら、新幹線で大阪方面に向かった。
僕らの代はどの行事にも、どの学校生活にも顧問が付随する。時々ハメを外したくても外せない。やっぱりどう考えても一番悪いタイミングで入学してしまったようだ。
大阪に着いた。進学校の生徒とはいえども、非日常に浮かれている。
顧問はなんだか機嫌が悪かった。生徒がうるさかったり、広がって歩いたりして一般市民に迷惑をかけていることが気に食わなかったらしい。まあ正しいけど。
僕ら野球部は集合をかけられた。
「お前らはあいつらとは違ってわかってるよな?ちゃんとマナーを守って修学旅行に臨めるよな?」
僕らはプレッシャーをかけられて、「はい」以外の言葉を出せなかった。
野球部全員の背中から「野球のことを忘れて、はしゃぎたい。。」という無言の言葉が放たれていた。
初日の宿が甲子園の近くだった。僕らは当然のように甲子園の周りに行き、朝練をした。
おかしい。僕の知っている修学旅行はこういうのじゃない。グループ行動して、なんかいい感じになって、夜の部屋で好きな子の話で盛り上がって、誰かが告白するみたいな、あれじゃないのか??
僕の1日目は野球部の同級生と二人部屋。一言の会話もせずに(今更話すことがない)、21時には寝た。合宿じゃん。朝起きて甲子園まで走ってトレーニング。合宿じゃん。
とにかく顧問の機嫌を損ねないように過ごしていたら、いつの間にか野球部のうち2人も修学旅行中に彼女ができていた。
ああ、結局彼女ができるかどうかは個々の裁量でしかないのね。
僕の修学旅行は他人の恋を眺めていただけのものだった。
まあそれでも楽しかったからよし。
夜の大部屋。
スマホライトの上にいろはすを乗せる。いろはすの水とペットボトルを通して光は乱反射し、幻想的な空間が広がる。男子だけでその光を丸く囲んで話した。
あれはたぶん、いや紛れもなく、青春だった。
<続く>
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