
大内氏實録・現代日本語訳その1 - 835文字
はじめに
私が大内氏と関係あるかは置いておいて、調べれば調べるほど、大内氏が過小評価されてきたことを受け、なるべく客観的な視点から大内氏の業績を広めていきたいと考え、まずは、この明治18年3月に出版された本(大内氏實録)を現代日本語訳していこうと思います!
あまりにも多いので、少しずつアップしていきます!

原文
凡例
一
我周防の大内氏は、多々良氏にて、蕃種なりといへ共、関西にては一二とかぞえられる蕃族にて、中古王綱解紐の際より、干戈に従事して、數州を併せ領し、兵威頗る畿内に震ひ、名聲勝へ海外に轟きけり、就中義弘の南北両朝合一の議を習旋し、義興の足利義植を輔佐して、将軍に復任せしめ、義隆の後奈良天皇のご即位料を調進して、大典を舉行せしが如き偉積あり、いかでか一部の實録なかるべき、しかるに前史これをなほざりにして、編纂する所のこれなし、豈遺憾の至らなぞや、清石年頃これを慨の餘り、おほけなくも思ひ立て、如此は物せしになん。
現代日本語訳
凡例
一
我が周防の大内氏は、多々良氏という出自で、蕃族(地方豪族)ではありましたが、関西地方においては一、二を争うほどの有力な地方豪族でした。中世において朝廷の統制が乱れた時期より、戦いに従事して数々の国を支配下に置き、その軍事力は畿内にまで影響力を持ち、その名声は海外にまで轟きました。
特筆すべきは、大内義弘が南北朝合一の調停を行い、大内義興が足利義植を補佐して将軍職への復帰を実現させ、また大内義隆が後奈良天皇の即位に必要な費用を献上して即位の儀式を執り行わせたことなど、数々の偉大な功績があります。
このような重要な家系であるにもかかわらず、どうして実録が存在しないということがありましょうか。しかし、これまでの歴史書はこれを等閑にして、編纂されたものが存在しません。これは誠に遺憾なことではありませんか。
私、清石は近年このことを残念に思い、僭越ながらこのように記述することを決意した次第です。