日清戦争まとめ - 841文字
1871年11月12日
幕末に欧米諸国との間に結ばれた不平等条約を改正するために欧米へ使節団を送る。1873年9月
法律・教育・財政・軍事を学び帰国
西郷隆盛は、『朝鮮へもっと強力な武力進出を図るべきだ』と主張し始めており、板垣退助や後藤象二郎も支持していたが、使節団の帰国があり、彼ら(岩倉具視・大久保利通・木戸孝允ら)は反対した。国内の改革を先にすべきだと言った。1874年5月
琉球や岡山県の漁民が原住民の高砂族に殺されたり、物を奪われたりしたのを清国に抗議するが無視された為、台湾へ出兵。1875年9月
朝鮮との国交交渉が思うように進まないことから、江華島を占領し、開国を迫る。1876年2月
朝鮮政府は屈服し、日朝修好条規を結んで開国。内容は、日本が欧米諸国と結んだように、朝鮮に不利な不平等条約であった。1877年
ここから4年ほどの間、貿易の額はおよそ10倍になっている。1882年
国王李太王の父、大院君の一派が清国の軍隊の後押しで、日本人の排斥を叫んで、日本の公使館を焼き討ちにしたので、日本も軍隊を送って対抗。(壬午の変)
朝鮮政府が謝罪することで一応落着する。1884年
独立党が日本軍の後押しで、クーデターを起こし、一時政権を握ったが、清国がすぐに軍隊を送って、事大党(保守党)を応援した為、クーデターは失敗(甲申の変)1894年
朝鮮で大きな農民の反乱が起きる。(東学党の乱・腐敗した政府と経済的に支配を強める外国への反対を叫ぶ農民との乱)
反乱を鎮めるために、清国に出兵を求め、日本政府に緊張が走り、日本も朝鮮出兵する。
日本は、清国に対し、両国が共同して朝鮮国内の改革にあたることを申し入れ、拒絶されたため、軍事行動に移る。1874年8月1日
日本は清国に宣戦布告。1895年3月末
戦力差は歴然で、北京まで危うくなり、清国は降伏した。1895年4月17日
清国は、朝鮮を完全な独立国であると認める。日本に台湾等を譲り渡す。当時のお金で、約3億円の賠償金、
日清講和条約が結ばれる。
以上