見出し画像

恋愛と家族愛

愛するって難しい。

ロマンチックな話ではないです。

知り合いのご夫婦の話、いや、元ご夫婦でした。
ご主人が、事あるごとに「妻のことはもう愛していない」って言いまくっていたんですよ。
ひどいですよね。
で、奥様が、ある日忽然と、姿を消されました。
お別れのLINEはその直後に来たそうです。

夫婦の間のことは、誰にもわからない。
だから、何が原因かは断言できません。
色々聞こえてくる話はありましたが、ただ、客観的にそこだけを切り取って判断するならば、
明らかに、ご主人の言い方がおかしい。
となるわけです。

何が目的なのか、分からないんですけどね。
要するに、気のおけない仲であり、自分のことを理解してくれているはずだから、という奢りが招いた結果なのかな、と。

だから、ご主人はびっくりしたわけです。
突然出ていかれて。
え、なんでなんで?
と慌てた。
挙げ句、(本心はどうだかしれませんが)「あの女は裏切り者」呼ばわりです。
結局、そういうところなんでしょうね。

ただね、ご主人だけを責めるために、この話を書いているわけではありません。
もし、きちんと話し合いが行われていて、それでもなお変わらなかったのだとしたら、それはかなりの比重でご主人が悪いのかもしれません。
だけど、なんらかの障害や気質が原因の可能性もあるかもしれません。
そう思えば、ご主人を一方的に責められないのは確か。

「愛していない」
それと、これは本当なのかな?って疑問が湧きました。
思い当たる方は少なくないと思うのですが、家族愛はあるのに、恋愛対象としてもう見られなくなったから、愛していない、と言い切ってしまうパターンがあります。
家族として愛してはいるのです。
なのに、性欲がわかないから、ときめきを感じないから、だからもう愛していない、と自分でも思い込んでしまうという・・。

世のご夫婦、パートナーの方々が、まったく同じとは言いません。
ですが、人は同じことを繰り返していくと、いつか飽きてしまいます。
刺激がなくなって、新鮮さが欲しくて外に目移りしたり、今回のケースのようにお別れしてしまったり。
そういうことが多々あります。

もし、おふたりがお別れをする前に、第三者が間に入ってお互いの感じている「愛」について語り合い、理解することが出来ていたなら、結果は違っていたのかもしれません。

コミュニケーション能力は、もとから身についているものではなく、学習によって獲得していくものです。
そう思えば、相手が何か変なことを言っても、「ああ、この人はまだ能力を磨いている途上なんだな」と許せることもあるかもしれない。
そう考えることで、自分が愛されていない、魅力のない、無価値な人間だという自己肯定感の低さも軽減されるのではないでしょうか。

日本人は、つくづく「愛する」という言葉の使い方が下手くそですよね。
もちろん、精神性で長所はたくさんあると思っていますが、表現力という観点から見た場合、下手だなぁ、と感じます。
これは、自分のことも含め、です。

いいなと思ったら応援しよう!