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入院前の遺書

入院する前、死のうと思って書いた遺書を
ここに乗せておきます。

これが発動されなくて本当に良かった
と今では思います。

これを原点にして死にたかった私が死に、
これからの私が
生きやすくなりますように。

※注意⚠️

1.閲覧注意です。気分が悪くなったら
すぐに閉じてください。

2.ぐちゃぐちゃだったので読みやすくなるよう言い回しを工夫したり、当時の状況を説明するために追加した文章もあります。

3.個人情報保護のため、会社名や所属する部署については文字を変更してあります。


こころの準備はいいですか?




それではどうぞ。




遺書

辞退者が現れたので、
うちに来ませんかと言われたとき、
本当に私でいいの、と思って、

「発達障害だと診断されたが、
入職しても大丈夫か」とメールした。

その時、断られることが怖くて、
特性をカバーできるよう
精いっぱい努力するつもりです、
大学時代でもそうやってきました、
とちょっと盛って書いた。

すると後日、人事課長から
「テストで合格したのだから問題ない」
と言われて、本当に嬉しかった。

メールを受信した直後、
すぐにお受けします、と電話した。

はじめての仕事、
はじめての一人暮らしになるし、
はじめて車を買って、
職場まで運転することにもなる。

全部がはじめてのことだらけで
不安だったけれど、
私は幸先がいいから
うまくいくんじゃないかと気持ちが弾んだ。

入社式に出席したとき、
新卒に向けての話の中で人事課長から
「(仕事に)合わなければ
すぐにやめてください。
それで心病んで…とかなっちゃったら
大変だし、」
という言葉をもらった。

その言葉はほとんど、
他でもない私個人に向けての言葉だな、
と瞬時に分かった。

でも同時に、私はすぐ辞めないんだぞ、
ここで頑張るんだぞ、
と強く決心した気持ちで話を聞いていた。

そして心の中で、
採用受理前に送ったメールの文面通り、
発達障害のせいで
迷惑をかけることはないよう、
そして仕事ができないのを言い訳せず、
なんとかカバーして普通の人に見えるよう、
うまくやろうと決めた。

でも現実はそう甘くなかった。
仕事中はずっと、
自分の馬鹿な前頭葉を
ずっとフル回転していて、
オーバーヒート状態だった。

パソコン本体がフリーズして煙が出そうになるくらいの熱がおでこの内側にこもって、
ぎゅ、とつねられているような
鈍痛がしていた。

それくらいがむしゃら状態だった。
だけど、いくら気を張って集中しても、
いくら120パーセントの力で努力しても、
私のワーキングメモリは、
性能が向上するどころか、
むしろ変わらず壊滅的だった。

すぐにやるべきこと、
手順を忘れ、初歩的なミスを繰り返した。

結局私は、
自分の特性で自分の足を
引っ張りまくることになった。

なんだっけ、なんだっけ、
なんだっけ、どうすればいいんだっけ、
どうやるんだっけ。

脳内で馬鹿みたいにパニックになった。
それは初めてのことだからじゃなくて、
前にも体験したことがある既視感いっぱいの、
いつもの発作のようなものだった。

なんだっけ、なんだっけ、
なんだっけ、あれ忘れた、
これ前にも聞いた、あ、また忘れた、
えーと優先順位は次はどちらが正解なんだ、あ、また仕事頼まれた、ちょっと落ち着いて、
ちゃんと注意して、
あ、でもこれは置いといたら
また記憶が消えちゃう、
どうすればいいんだっけ、
あ、また間違えた、ここ直さなきゃ、
でも、あ、どうすればいいんだっけ、
あれ、そういえば
さっき言われたことなんだっけ、

あ、あ、あ。

仕事中は、ずっとこれが脳内に垂れ流しで
胃の辺りが痛んだけど、
大きく声に漏れ出しそうなパニックを、
なんとか出さないように
平静を装うことで必死だった。
(十分ばれてたと思うけど。)

こうなってはいつも大変だから、
最初からパニックにならないように工夫した。沢山工夫して事前準備を怠らないようにした。

でもどんなにメモを取っても
大事なところにちゃんと付箋を貼っても
マニュアルを手順通り書いても
電話の受け答えを家で何十回練習しても
毎回毎回指示された毎に優先順位を書いても
変な対応をしないように
普通の人がする会話のフレーズを覚えて
自分をずっと演じようにも
ストラテラと一緒に何かで調べたときに
「脳の働きを良くする!」と知って買った
ビタミンBとプロテインを日頃から摂取しても
ワーキングメモリを増やそうと
脳トレのアプリを入れて沢山練習しても
努力の仕方が間違っているんだと思って
発達障害の働き方系の自己啓発本を読み漁って
それを参考に動いても
毎日忘れ物がないか玄関口でチェックしても
玄関口に貼ってあるホワイトボードに
「今日も偉い!」と自分を慰める言葉や
帰宅したら
「うれしいご褒美(お菓子)があるよ!」と
書いて自分を奮い立たせて労わっても。

やっぱりずっと何かしら私はだめだった。
もちろん、うまくいった日もあったけど、
そんな日ほど、
電気を付けっぱなしにしたまま出勤したり、
たまった洗濯物が干せなかったり、
ゴミの日にゴミが出せなかったりと、
今度は家のことができなくなった。

「普通」の演技状態の私のまま
人と関わることに消耗していることプラス、
どんなに本気で頑張ってみても、
やっぱりどうしても大事なことが
抜け落ちていって、
タスクがちゃんとできなかった。

そんな日が積み重なるたび、
「なんで自分はこうなんだろう」と責めて、
日に日に自分のことが嫌いになって、
精神状態が少しずつ蝕ばわれ、
悪くなっていった。

助けを乞う気持ちで職場の人に
「どうしたら仕事早く覚えられますかね」
と聞いてみても、
その回答は、「慣れ」しかないから絶望した。

それでも、これだけ私は頑張ってるから、きっと何とかなるはずだと思っていた。

ある日、精神的に本当に苦しくて限界も感じて
きつかったとき、
発達障害者支援団体の方にメールで
「仕事のことで死にたいです」と書いたら、
今まで私が取り組んだことのある
アドバイスとともに、
必要ならば仕事先と私の間に取り入って
私の症状を説明してくれると
書いて送ってきた。

もちろん、それではだめだった。

そんなことをしたら、
閉鎖的な私の職場は私の事をすぐ噂する。
ただでさえ、人数が少なくて皆が皆の顔を
認知して、知れ渡っている環境なのに。
だから、人事課の人が私の障害について
私の所属する部署に行き渡っていることを
信じて、向こうから私の配慮を促してくれる、そんな温かい気配をひたすら待った。

(それは、単なる時間稼ぎでしかなくって、
結局今に至っては私から動かないと
意味がなかったとわかったのだけれど。)

その間、本当の気持ち悪い、
ゴミクズな私が漏れ出していないかが
心配だった。でも心配したとて、やっぱり
職場の人とコミュニケーションを取るとき、
私の発言はなにか違和感があるみたく、
少し変わっているというような温度差を
感じる時があった。

その微妙な周囲の感覚にだけは
すぐに察知がいくから、
私はそう感じさせないよう
なんとかしたいのに、
やっぱりなんともできなかった。

そんなときは胃のあたりがキリキリ痛くて、
時間が長く感じられて、
とにかく死にたくなった。
その頃から仕事が嫌だと思うようになった。

ゴールデンウィーク前になって
私のことを苦手意識しているだろう室長との
面談をすることになった。
普段とは違い、一対一の時は優しい感じで
よかったが、
「迷惑をかけていないか心配です」
と言ったら、
「初めてだから仕方ない」、
「そのうち慣れるよ」と言われた。

そういうタイプの励ましの言葉を
投げかけるしかなかったと思う、
私だって室長ならそういう言葉をいうだろう。

でも、私は本当に違うんです、
そうじゃなくて、私は本当に異常なんです、
ゴミの頭だから慣れることはないんですと
言いたかった。

でもそんなこと言ったって
わかってもらえるはずがないし、
言った時点で頭がおかしいと思われることは
明白だった。

そんなこと主張したって、
解釈違いの配慮とは言えない配慮を受けたり、
ひそひそ陰口を言われる。
今までもそうだったじゃんか。

結局、私は擬態している手前、
室長の言葉に納得した表情を作って、
ありがたいお言葉だと
にこやかにお礼を言った。

その擬態すらうまくいってないのに、
またしても擬態していた。

そして、私は
普通の人より劣っているんだから、
もっと頑張らないと、
もっと人より努力しないとだめだと思った。

ゴールデンウィークに入った。
ゴールデンウィーク中は、
友達に会いに行くために東京に行った。
友達は大手に就職していて、
港区の芝公園駅近くのマンションに
住んでいた。

大変そうだったけど、
洗練された都会の空気に
溶け込んでいるようで、キラキラしてみえた。
うらやましかった。

だけど、私も田舎の職場だけど
こんなに大変なんだよと、
少し見栄を張って自慢した。
私が部署の中でも有名な課で
とあるキャラクターの担当をしていると
自慢すると、
「すごーい、花形じゃんか。楽しそう!」
といわれた。

実際は、普通の文書さえ書き損じたり、
初歩的なミスを間違うことで
一生懸命のゴミクズなのに。

それを隠して、
自分がいかに有能な人物なのかを自慢した。
たまたまお父さんが東京に仕事で来ていて
カフェで会った時も、自慢ったらしく、
大きな声で課長から聞いた、
課長が有名な会社の人と
関わった時の話をした。

私が体験したことでもないのに、
というか、そもそもゴミクズなのに
偉そうに自慢していた。
帰るため、高速バスに乗った時、
職場の人が見たら、こんな見栄を張った私、
どう思うだろうと思った。

私から見た私は、
仕事で辛くて死にたがっていた私が
大都会の東京で誰も見てないからって
羽を伸ばしてまるで大きくなったつもりで
有能そうに偽っている、
ただの痛いやつに過ぎなかった。

それを思うと、
自分はなんて薄っぺらくて惨めで、
なんて情けないんだろうと思った。
自分が気持ち悪すぎて一瞬一瞬、
死にたくなってバスの中で泣いた。

ゴールデンウィークの終盤に
美術館で時間外労働があったから、
そこまでの道のりを自分の車で運転する練習を
お父さんと行ったけど「また失敗する」という
不安が絶えなかった。

それを母に話すと後日、
心配して私の一人暮らし先にきて、
車の練習をしようと言ってきた。
二人、私の車と母の車を並走させる形で
運転練習することになった。

私が先頭だった。
家からすぐに出て左に曲がろうとしたとき、
左から車が来てお見合いするような形になって
しまった。

なので、その車の行く道を
邪魔してしまうからと思って、
左に回転していた車を
そのまま後ろにいかせたら、
後ろにいた母の車の全面と
思い切りぶつかった。

ガシャン、という音がした。

その瞬間、頭が真っ白になって、
時が止まったように感じた。

後退させたとき、
母は沢山クラクションを鳴らしていたのに、
その音にも気づかなかった。

本気で死にたくなった。涙がすごく出てきた。なんで親がたくさん練習にも
付き合ってくれているのに、
なんでここまで自分はできないんだろう。
なんでこんなにも自分はだめなんだろう。
自分が嫌になって、本気で自分をなじり、
殺したくなった。

なんでこんなにもできないんだろう。
なんで、こんなに欠陥品、ゴミなんだろう。
地団太を踏んだ。感傷的になった。
でもそんなことをしたところで、
凹んだ車の傷は元に戻るはずもない。

絶望的になって後日、
父に「車で事故を起こした、死にたい」と
送ったら、

「お前の過失だちょっとすれば
大変な事故につながっていた
かもしれないのに云々」ときた。

その時、あ、死のうと思った。
「死んで詫びます」と書いたら

「死ぬとか書いて茶化していて
反省の色が全く見えない云々」的な
言葉が来て、絶望で涙が止まらなかった。

本気で今、死んでやろうか、と思った。
でも最後、時間外労働の業務がある。
それやってから考えよう。そう思って、
美術館の業務をやった。

そこではミスはほとんどなかったと思う。
だけど、最後の最後、かかってきた電話に
間違えた閉館時間を伝えるというミスを
しでかした。当然、館長に怒られた。

「でもまあ、こういうミスもあるから、
次から気を付ければいいよ。」

次から気を付ければいいよって言われた
そのとき完全にすこん、と
何かが抜けた気がした。

あと、何回気を付けたら、
私は普通になれるんかなと思ったら、
もうどうでもよくなった。

あんまり記憶がない中、
館内から外に出たとき母が
迎えに来てくれていた。

車で運転なんてできないと
駄々をこねた私を送り、
そして迎えに来てくれたのだった。
私の顔が無表情で笑顔もなかったから、
元気づけさせようと思ったんだろう、
美術館の近くにあるジェラート屋で、
母はジェラート食べようといってくれた。

送迎してくれたことに申し訳なくて、
お金を出そうとした母に変わって
私が二人分のジェラートを買った。

母はありがとうと言ってくれたけど、
こんな私にお礼なんて言わなくていいよと
思った。

食べたら美味しくて気分が晴れたけど、 
その気分の晴れ方は、諦めに近いもので、
もう、何やっても駄目なんだ、
という気持ちだった。

もう自尊心なんてどこにもなかった。
私は最初からゴミクズで、
それは、これからも一生変わることは
ないんだと、ジェラートを食べながら悟った。

そして現在、明日、仕事に行きたくなくて、
今がどうしても死にたくてお父さんにも
お母さんにも仕事が辛いことを訴えたけど、 軽視されて、むしろこんな状態でも
仕事に行かなくてはいけない方法を
考えなくてはだめで、行かなかったらだめで。

どうするの、って言われた。

もう誰も寄り添ってくれない。
私の辛さに、誰一人、
私の死にたさに、誰一人とて
無関心なんだと思った。

まるで私が一人で壁に向かって
英語を話している感覚だった。

本当に、なんで、ここまでの思いをして
自分は生きているんだろう。

自分はゴミだったけど、
もう、ゴミのまま生きたくないのに、
なんで今もこうやって生きているんだろう。
ゴミを隠して綱渡りの状態で、
いつ落ちるんだろうって周りをびくびく
状況把握しながら生きるのも、もう疲れる。
それで、頑張らなかったら、叱責されて、
陰口たたかれて、厄介者として疎まれるんだ。

綱渡りを頑張るか、頑張らないで疎まれるか。

どっちを選ぶ?

私はもうどちらも選びたくないと思った。

だから、今、これを書いています。
今まで、たくさん生きづらかったけれど
ここまで生きてこられて良かったと思う。
本当に誰にも理解されないまま
よく頑張ったと思う。

今まで生きてくれてありがとう、利英。
ここまで頑張ってくれて本当にありがとう。
神様に早く良く頑張ったねと褒められたい。

抱きしめてくれるかな。


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