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入院雑記最終回 『Fine on the outside』

退院日が決まった、16日だ。

16という数字には、
深夜たくさんの雨が降った翌日の朝、
土が雨水を含んでべちょべちょになった
校庭の景色が浮かんでくる。

フェンスには雑草が絡み合っていて、
青くさくて、でも葉の一つ一つには、
雨水のしずくを乗っけている。
朝だからか太陽の光は少ないけれど、
水たまりに映った雲の陰影を濃くする。

16には私の脳内にそんな背景を映させる。

私は16歳の頃、
校庭の思い出なんて一度もないというのに。

その頃は学校にも行かず、
暗い部屋で一日中、布団に潜りながら
涙が白く乾いた塩を目尻にこさえて、
鼻水と涙で混ざった鼻腔の匂いを嗅ぎながら、
ずっとずっと死にたがっていたのだ。

先生の何気ない棘の言葉や、
ペーパーテストの悪さ、
友達との間に引かれた透明の線引き、
親の過剰な干渉、
それら全ての「普通」に
順応できる強さがなくて、

ただ自分が「変わってる」、
「おかしい」と言われないかを
過剰に心配する気持ちだけが支配していて、
本当に息ができなくなり、通えなくなった。

私は学校に通えない自分に絶望していた。
私は幼稚園の時も、中学校の時も
通えなくなったことを思い出しながら、

布団の中で私は、
なんて自分は塵(ごみ)なんだろう、
と思っていた。

23歳になった今でも社会に適応できなくて、
ゴールデンウィークを明けた平日から今日まで
病院で入院生活を過ごしている。
そう、全ては繰り返しだ。

私はあい変わらず、塵(ごみ)のまま。

辛くて、悔しくて、涙が出た。
もう頑張りたくなかった。死にたかった。

だけど今は違う、気がする。
この退院を機に、私の中での見栄や、
カモフラージュの層がバラバラと崩れて、
本来の私は何なのか、分かってきた気がする。

入院した当初は早く会社に戻らなければと
焦る気持ちと、「でも無理だ、行きたくない」
という気持ちが重なって
常に緊張状態だったが、

今では自分を内省できる時間をもらったんだと、この入院生活に意味を感じている。

そして、
自分が生きづらかった理由や意味を知り、
そして今後、もう適応しなくていいと
自分に許可を出すことの安堵の感覚を、
私は私自身を取り戻す機会を得れた。

この3ヶ月はそういう時間だったんだと、
本当の意味で感謝している。

退職届を書いた。まだ新卒で入社して3ヶ月。
社会不適合者すぎて自分でも情けない。

でも、もういい。これでいいのだ。

私は社会に溶け込もうとすればするほど
異物だと思わされ、死にたくなってしまう。

なら、はじめから外側で、いいじゃないか。

プリシラアーンの” Fine On The Outside”が
頭の中で流れてくる。

1人だけ酸素ボンベの残量が少ないのなら、
「皆だって頑張ってるよ」
の声を押し切って、水に潜るのをやめて
1人だけ海面に出ても、いいじゃないか。

とにかくもう、私は誰かと張り合ったり、
誰よりも抜きん出るとか、世間の声とか、
どうでもいい。
そういうことから、下りることにした。

私さえ生きられたのなら、
もういいじゃないか。

火曜ドラマ「カルテット」の観すぎか、
第一話の唐揚げレモン騒動での
家森さんの口調が私に乗り移った。

「自分たちの皿に取り分けたのちに、
個々に、(レモンを)かけるために
(からあげを)置いたんじゃないか。」

Now I know what I am.

(今でこそ、私は私自身を知った。)

I would love to live my life in the world which is I can breath easily,
even though  everyone see me and think I’m a loser.

(私は自分が楽に呼吸できる、
そんな世界で自分の人生を本当に生きたい、
たとえ人々が私を見て、
私のことを負け犬だと思おうとも。)


今日は11日。だけど、これきりにして
入院雑記は終了しようと思う。

16日まで、私は映画を観て過ごすだろう。
それか本を読んで過ごすだろう。

noteはというと、
入院生活ではなく、自分の書きたい小説や、
エッセイを書くだろう。

最後に、ここまで読んでくれて、
どうもありがとう。

私がようやく私を見つけたこと、
やっと閉じ込めていた蓋を剥がして、
苦しかった私を抱きしめられたこと、

ここに感謝したい。

入院雑記、終了。

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