従者と奴隷、あとペットとオナホ
事前注意と前提
この記事は私の個人的な見解を述べたものであり、誰かの世界観や性癖などを肯定・否定するものではないです。
あくまで主人側の世界観を書いたものなので、受け側の気持ちは一切考えていない読み物として閲覧してください。異論も反論も認めます。
プレイのことはほとんど書いてないのでエロさはないです。知識系の読み物です。
18歳未満の閲覧はお断りします。
従者
Dominant/submissive(ドミナント/サブミッシブ)プレイの中心となる。
人間扱いで主従関係のど真ん中。意味合いとしては主人のために付き従う人のことで、対等なパートナーではなく上下関係。
従者は主人のために行動することを存在目的とする。
時と場合よっては主人の代理を務めることもあるし、主人と同じ場所に座ることも許される下座の人間。従者は人間なので賢さや教養を始めとした品位や能力を要求するし、行動の結果や成果の評価も行う。関係を契約で示し、主人は従者が活躍するための環境を整える義務が発生する。
個人的には給料や生活の保全義務も主人側に発生すると考えているので、当然のように従者としての素質は必要としている。素質がない人間を従者にするのは主人側にメリットがないので、滅多に御目に掛かる存在ではない。
最も近いイメージを以下に列挙する。男→女間では納得・理解・共感に至りづらいものであると考えているが、女→男間では成立しやすいと考えている。
古い会社の上下関係
秘書や執事
軍隊の上官と兵卒
中世貴族の従者
封建制度の武士
主人は複数の従者と契約を交わすことは可能だが、従者が複数の主人と契約を交わすことは不可能だと考えている。
これは他の存在と違い、主人は従者に人間としての忠誠心も要求していると思われるからである。当然でもあるのだが、二枚舌、ダブスタの従者に信用はなく、その価値もない。
我々主人側に尽くすこと、主人の利益になることが喜びであるというservant/サーバント気質を持った人間が与えられる地位でもある。
首輪ではなく、尊敬と畏怖を以て仕えることを誇りとする存在。
褒美として快楽を与えることもあるし、自分の従者であることを自覚させるために調教をすることもある。
躾けを行うことはほぼないのは、躾けを必要とするような存在を従者にすることがほぼないからである。
個人的な観測としては街中にはほぼいない。
生粋のサディストのように、ただでさえ数が少ない存在でもあるのだが、様々な体験談を聞くと仕事関係から派生することが多いという特徴もある。
上司のために働いているうちに関係が発展することが多いように思える。
奴隷
奴隷は主人にとっては所有物の扱いの方が近く、人間だがモノ寄りの扱い。
奴隷は我々を主人と呼ぶが、我々は奴隷を所有物として扱う。
奴隷と主人は上下関係に分類されると考えている。
所有する時は我々主人側になんらかの目的があるので、性奴隷、アナル奴隷、縄奴隷などの種別も存在する。
従者と同じように存在意義は主人のためであることは間違いないが、従者と違って奴隷には人権が存在せず、拒否権などもない。
奴隷は所有物なので、奴隷が得た財産などは全て主人のものである。
主人が奴隷の世話をすることはほぼない、むしろ後述のペットやオナホの方が世話をすることが多いと思う。
所有権を綴る契約よりは、奴隷が奴隷として宣誓する誓約を課すことの方が多いと考えている。宣誓後に主人は奴隷のその全てを受け取る。
自身がその立場とその人権を主人に渡す様は何度見ても美しいし、人間から奴隷に転換する際にその高揚から絶頂する人間もいた。
一見して読者の方々は酷いと思われるかもしれないが、自分を手放し、所有されることでリビドー(快楽)を得る人間は少なくない。
依存気味だが自己主張の少ない人間は奴隷の性質を持っているかもしれない。
主人は奴隷に対して調教や躾け、単なる気晴らしに使うことがある。
個人的なプレイで多いのは「自分が所有されている」「人間扱いしてもらえない」ということを植え付け、加速させること。
あえて痛がることや辱めを与えたり、着飾ることよりも汚すことの方が多いのは、その他の関係性と違って、奴隷は主人にとって最も加虐欲を発散する相手にふさわしいのかもしれないと考えている。
ペット
非人間で愛玩対象。人間ではないので非主従関係で所有物。
我々主人側に愛でること以外の目的は存在しない。
基本何もできないと思ってるので、我々主人側が世話してることが大半。
こちらから要求することもないが、放っておくと野生化してしまうので適宜躾けを行うことはある。
この性質からペットの世話にかかる費用は主人持ちなのが当たり前である。
主人が着飾ったり、甲斐甲斐しく世話を焼いたりするのは人間以外のペットでも同じだと思う。しかしペットは人間のルールを理解できないので、主人と契約を交わしたり、主人が誓約を受け取ることはない。
奴隷と違って、依存気味だが自己主張の多い人間にペットは向いているため、必要なのは首輪と餌だと考えている。
従者はペットの言動が理解ができるわけがない。
構ってちゃんの甘えたがりの性質を持っている人が多く、自己承認欲求が強い人間が多い。飼い主が振り回されている様を見るのも、ペットならではの実例だと思われる。
端的に言えば気分屋でペットの気分次第で飼い主の手を噛むこともあるから、ペットには調教や躾けが重要になる。
しかしペット元来の奔放さや自分の欲に忠実であることから、人間側のルールはお構いなしの対応をすることもあり、躾けを覚えることができないこともあるのを否定できない。
最終的に飼い主の手に負えなくなるケースも多々発生しており、止むを得ずに放逐されていることもよく目にする。
個人的には恋愛系SMはここに分類されると考察しており、サブミッシブと言いつつ最終的に主人を独占しようとしている様を見ると、本当はドミナントの気質の方が強いのではないかと思うこともある。
飼い主として注意すべきこととして「自分が手綱を握ることができるか」「ペットは躾けを覚えることができるか」の2点がかなり重要になる。
自分のペットが他人様に迷惑をかけているのは完全に飼い主側の責任である。餌だけでなく鞭と檻を持つことは飼い主の素養であることは否めない。
飼い主側が「飼うなら責任を持て」と言われることもあるが、自分ルールで活動しているペット側を見ると飼い主側に同情を覚える。
ペットは従者や奴隷よりも暴走リスクが高い関係性なので、飼い主は自分の見る目を養ってペットを飼う際のリスクに備えよう。
オナホ
非人間でモノ扱い。人間ではないので非主従関係で所有物。所有物といっても利用物のようなものでもある。男性なら肉バイブみたいなものだろうがこの記事ではオナホで統一させてもらう。
奴隷やペットに近い存在ではあるが、こちらは完全にモノとして扱うので違うカテゴリとして考えている。
奴隷と似ている特徴としては所有者が貸し出したり、譲り合うことはあるところかもしれない。従者やペットは貸し出し、譲り合いは不可能に近い。
オナホには主従契約も奴隷誓約も必要ない。
そもそも所有することすらあるのか疑問に思うこともある。
前述した3種類の関係性と比べると、最も気軽で最も責任関係が薄いものであると考えている。
オナホはプレイ中心の関係なため、制限や制約などはほぼないに等しい。
プレイ以外では人間として振る舞うこともできる。
所有者や利用者がメンテナンスをする時もあるが、調教や躾けなどを行うことはほぼない。こうしたところから所有者や利用者とオナホの両者は互いに都合の良い存在であると考えている。時間や場所、欲望のタイミングさえあれば気軽に利用し合う関係である。
オナホの具合を良くするために利用者側から手入れをすることもあるし、オナホ側から要求されたことを所有者や利用者が叶えても何も問題ない。
自分の家のインテリアを整えるが如く、本当に自由にして良い。
コスプレなどで着飾っても良いし、汚しても良い。
痛みなんか必要ないし、辱めを強めても良い。
オナホの数だけストーリーがあると言っても過言ではない。
稀にオナホに自我が芽生え、ペットや奴隷になることもある。
従者は求められる素質と元来の気質故にオナホになることは難しいと思われる。
私の個人的な世界観ではオナホとしているが、読者諸兄には一般社会でいうセフレに近いと考えてもらえると理解が早いと思う。
人間扱いはしていないが、オナホの感度が上がる言葉責めなどはどんどんして、惨めで変態な体験をオナホに覚えさせてあげよう。
番外編
恋人・夫婦
言わずもがなの愛情や恋慕の情を中心に展開される同性異性の関係性。
上下関係ではなく横のつながりであり、対等そのものである。
ペットやオナホは恋人や夫婦へと変革することもあるが、従者・奴隷は上下関係の性質ゆえにこの関係になることはない。
上下関係のことを記しているが筆者はこの横の関係はおおいに楽しんで欲しいと思っている。
従者や奴隷にも恋愛を楽しむことはあり得ると考えている。
SMパートナー・セフレ
行為そのものを目的とした関係性。恋愛関係やお互いの立場などに干渉し合うことはないが、長期的な関係を保つために使われる。
こちらも上下関係ではなく横の関係で、対等な関係性である。
恋人・夫婦と同じようにペットやオナホはこの関係になることもあるが、従者と奴隷はあり得ない。
最も多くの人が利用しているのもこの関係である。
性に興味がある人たちは気楽なのが好きという気質を持っているのかもしれないと考えることもある。
愛人
愛人は契約を結び、その対価として金銭的なやり取りが発生するものである。P活や援交などと呼ばれることもある。
お金持ちの遊びとして利用されることも多く、囲いと呼ばれる生活のすべてを保全する関係もあることから、従者契約に近いものであると言える。
ただ従者のように自分の主人のために生きることを求められなかったり、自身の素養や能力などが評価されることはない。
世の中の愛人関係を見ていると、どちらかと言えば対等であることも多い。