わたしの太鼓判を押すのは私。
転職を考え始めて4年が経った。転職活動は時間もエネルギーも必要で、だからこそ労力をかけた分と同じくらいのリターンが欲しい。ところがいざ入社してみたら自分の希望通りの会社ではなかったなんて話もよく聞く。どうせやるのなら、確実に理想を叶えたい。本音を言うと、転職活動せずに転職したい。みんなもそう思っているんじゃない?
以前ある人に転職相談をした時に、転職は評価される場ではない。ただのマッチングだから気負わないでいいとアドバイスされた。そんな気軽なものだっけ?とすぐには納得できず、今もあまり理解できていない。その人は東京の人だった、東京は仕事が多いもんな、田舎は例外。業界も限定されているし、この狭い世界ではやりたい仕事とか向き不向きとか関係なく、ただある仕事に応募するしかない。それが私の常識だった。
でも、コロナをきっかけにオンラインスクールに通い始めて、別のエリアに住む同世代の方達と交流するなかで、今までの価値観は少しずつゆらぎ始めた。田舎にいるからその考えが染み付いてしまったならば、場所を変えることで新しい価値観を育てられるかもしれない。
どうせ影響を受けるのならば、自分の望む方向に影響を受けたい。まずは場所を変えることが私の目標になった。転職への第一歩は書類作成だ。履歴書をささっと書いて、職務経歴書もなんとなく書き上げた。
でも、本当に場所を変えるだけで良いのか。
東京で働けるのならばどんな会社でも働きます。自分の心に嘘をついて相手を騙すような仕事でもいい。理不尽に怒られても誰も守ってくれる人がいない会社で過ごすことも許す。そう割り切って働けるのならば良かった。でも、親元を離れて暮らすのだから最低限の給料は必要だし、職場は私の居場所のひとつだから、自分が安心して働ける場所じゃなきゃダメだ。
希望条件を洗い出すと、入社したい会社のハードルはぐんっと跳ね上がった。そして我に返って、いやそもそもそんな会社に内定もらえるほどのスキルを自分は持っているのかとも思う。場所を変えるだけでよかったはずなのに、考えれば考えるほど、自分の望むものは簡単には手に入らないのかもしれないと怖くなった。
手を取ってほしい。
神様が本当にいて、願いを叶えてくれるのならば、岐阜の小さな町で過ごす私を見つけて欲しい。怖くて一歩踏み出せない私に、「この子は今までとっても頑張って働いてきたのです。誠実にコツコツ働いてくれますよ、私が太鼓判を押します。」そう言って送り出して欲しい。でもそんなことは叶わないから、自分が神様の代わりになって伝えなければならない。
夢を未来のものにしてはいけない。毎日3分だけでも、強く願っていることに手をつけてみてと仲の良い人が言っていた。その言葉を信じて、少しずつ転職活動を再開している。あと半年後には本屋がたくさん立ち並ぶ憧れの街に私は立っているはずだと言い聞かせる。面倒くさいなと言いつつも、やっぱり自分の人生を動かすのは私しかいないのだから。