そうだ、自分で選べるんだった。
この前の日曜日、会社の創業うん周年記念パーティーがあった。
会社の行事なのに日曜日の夕方に開催されると聞いた段階で、社内でひと悶着あったのだが、いったん水に流そう。
私はたまたま、本当にたまたま東京にいく予定があって参加は見送ったのだけど。パーティーの企画のひとつに、売り上げとか目に見える成果ではなく、目に見えにくいことをやってくれている人を表彰する式が行われた。
笑顔がすばらしい人、温かく見守ってくれる人など、めちゃくちゃ抽象的な賞が並ぶなかで、私は見事「整理整頓が得意な人」に選ばれていたらしい。後日出勤すると、賞金として1000円分の金券が用意されていた。
金券は嬉しい、ただ騙しているような罪悪感がある。家庭では一度も片づけが上手と褒められた経験がなく「同僚たちは私のなにを見ているんだろう。」と不信感を抱くくらいに、私は自分が特別なにかができる人間ではないと思っている。だけど100名ほどの候補者のなかから、投票用紙に私の名前が多く書かれていたことも事実。
世界に自分を肯定的にみてくれている人たちと否定的にみている人の両方がいるとして、私は自分のことを好きになれる人の声を信じていていようと思う。
もらった金券を鞄にしまって、1000円で自分が最高に喜ぶものはなにかを考える。本を買おうか、ちょっと高いチェーン店のドリンクを飲もうか、職場で食べるお菓子を大量に買うか。なにを選ぶかは自分の手に委ねられている。
思えば、すべては自分で選べるのだった。ほしいものだけじゃなく、誰の話を聞くかとか、見たい景色や、そこにいたいと思える居場所も。世界は自分の見たいように見ればいいのだ、それで自分を幸せにしてあげたらいい。たったそれだけのことだった。