『混沌』のカードを捨てるまで
年末、あるコミュニティの忘年会に参加した。普段は会社の忘年会を平気でパスする私だが、いま所属しているコミュニティはなにも求めてこないし、強い言葉を使う方がいないので居心地がよくて一緒にいたくなる。
去年の忘年会ではいくつかのグループに分かれて雑談をした。好きなものについてひたすら語り合って、あっという間に時間が過ぎた。今回も同じだろうかと思い参加したが、なんとカードゲームをやることになった。
カードゲームといっても順位をつけて戦うようなものではなく、互いの価値観が分かる「バリューズカード」というゲームだった。家族や働く、誇りなどキーワードが書かれたカードの中から、自分にとって優先度が低いものを捨てていき、最終的に残った5つのカードが私が大切にしている価値観らしい。ふむふむ。
ゲームを進めていくと、自分の価値観カードはある程度固定されてくる。あからさまに違うものはすぐに捨てられるけれど、似ている表現だったり、これからは別の価値観を大事にしていきたいんだ...と葛藤もあったり、ゲームは想像以上に盛り上がった。
1番迷ったのはゲームの中盤。そのとき持っていたカードは「愛・自立・正直・偶然性・混沌」だった。自分の順番が回ってきて、次に新しく引いたカードには「心地よさ」と書かれていた。うっ、と声が出た。しばらく固まってしまった。心地よさはどうしても入れたい、ただ手元のカードで簡単に捨てられるものはない。
いや待てよ、混沌がある。
どうして混沌を捨てることにここまで抵抗があるのだろうか。私は仕事では特にきっちりかっちりしていたい人間だ。そもそも私は出産予定日に1日も違わず生まれてきた。生まれつきのきっちり者の私が、就活の末に流れ着いたのは混沌とした中堅企業。ルールを守れない人間や、バレバレの嘘をつく人間、柔軟というがただのルーズな社風で、私は驚き、嘆き、怒った。心のなかでは毎分叫んでいる「みんな、もっとちゃんとしてくれ!」と。混沌が嫌いだ。
それでも、そんな状況のなかで一生懸命やってきた。ここで混沌を捨ててしまったら、私のこれまでの社会人生活は一体なんだったのかわからなくなってしまう気がした。
混沌は自分の予想のつかないことばかり起こるけど、その理解のできなさが面白かったりする。混沌はつまらない日常のスパイスなのだ。あれほど心地よさを望んでいたのに、心地よさをつまらないものに思えている自分がいる。
でもそこで、ふと私が本当に望んでいるものは混沌なのか疑問がわく。混沌とした社内で、感情を乱しながら自分の職務をこなすことはやりがいではあるが、これからもずっとそうやっていくのかと聞かれたら、絶対に嫌だった。やっぱり自分は穏やかに伸び伸びと働いていたい。いままではそうじゃなかったけど、これからはそんな未来を選びたい。
そこでようやく混沌のカードを捨て、心地よさを選ぶことができた。ゲームが終わった後、私の手元には「愛・自立・正直・偶然性・心地よさ」が残っていた。
なるほど、私が選んだカードは自分が今持っているものではないけれど、これから大切にしていきたい価値観だった。混沌を大切に持っていたのは、大変な状況でも頑張っていた自分を認めてあげたかったからだと思う。だけど、これからは自分の安心できる場所で穏やかに伸び伸びと過ごす日々を選んであげたい。大きな決意とともに、手元の5つのカードを眺めていた。