梅を干して、保護者気分で待つ
春、遠方の地である東京にて友人から手作りの梅干しをいただいた。
その梅干しを食べた翌日、風邪がすっかりよくなったりと、梅干しの無限の可能性に胸を膨らませた私は自作の梅干しをつくる決意をした。
梅干しに限らず、ものづくりには工程というものがある。
梅干しの場合は、ざっくり分けて3段階。
第1段階、生の梅を手に入れる。
第2段階、梅を漬ける。
第3段階、漬けた梅を干す。
シンプルだけど、意外に失敗も多いらしい。だが、せっかく作ったものが食べられないなんて、絶対に嫌。成功率を高めるためには、必要なのは梅干し師匠だろう。
思い立ったが吉日と早速YouTubeで検索し、師と呼べる方を見つけた。それが、梅ボーイズさんである。和歌山県で梅農園を営む梅ボーイズさんは、手軽な梅仕事の方法を伝授してくれるのもよいが、なにより兄妹の仲睦まじい姿をみられるのがよい。学んでいるのに、癒される。一石二鳥とはこのことか。
彼らの農園から生の梅を仕入れ、彼らの言うがままに梅をつけ、いざ最終段階の干す工程に入った。「天日干し徹底解説」という動画を3回視聴し、予習をする。物干し竿に洗濯バサミで干し網を固定し、クシャクシャにしたクッキングシートを敷いて、漬けた梅を優しく置いていく。
ここで事件が起こった。すべて並べ終わるという段階で、干し網を固定していた洗濯バサミが取れて梅と共に落下したのだ。うあああああ、心のなかで悲鳴をあげる。外面では冷静さを保ちつつ洗濯バサミをキッと睨みつけると、安定した場所へ移動させる。そもそも洗濯バサミに頼りきりなのがダメなのだ、と物干し竿に紐を直接括り付ける。紐を引っ張っても落ちないことを確認してから網のなかを見ると、綺麗に整列していた梅は先ほどの衝撃で、網の隅っこに集まっていた。どうか、どうか潰れていませんようにと祈りながら、ひとつひとつ綺麗に並べなおす。よかった、大きな損傷はないようだ。胸をなでおろす。
直射日光を背中に受けながら、ふと思う。いままで冷蔵庫で1ヵ月以上眠っていたのに、いきなり酷暑のなか3日間外に干されるってなかなかの仕打ちじゃないかと。梅干しになるための通過儀礼も甘くはない。そのまま3日間外で干し、完成した梅干しを見ると、ピンっと張った表面には苦悩のしわが刻まれていた。暑かっただろう梅干しを気遣いつつも、記憶にある梅干しのビジュアルに近づいて歓喜。出来立ての梅干しを味見してみたところ、昔おばあちゃんとよく食べた懐かいあのすっぱさが襲ってきた。
さすが塩分濃度20%、まだ干し終わったばかりで尖りを感じる味がする。数年置いておけば、味が馴染んでマイルドになるらしい。まるで人間みたいじゃないか。成熟した大人になるまでは、保護者のように優しく見守ろうと決意して、部屋の隅っこにそっと置いた。
未来のために、という言葉は今の自分に我慢を強いる雰囲気になりがちだ。ムズムズして全力で抵抗したくなる。でも今回の梅仕事のように作っている時間も出来上がりを待つ時間も楽しくて、こんなタイムカプセルを埋めるような心はずむものだったなら、未来のために待つのも悪くない。即レスが好まれる現代で、ゆっくり変化を楽しむ梅仕事にどんどん心惹かれていく。待つ楽しさをひとつずつ覚えて、私も一緒に大人になるのだ。