『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んだら、書き手としてありたい姿が見えてきた
あなたは書き手としてどうありたいですか。
そう問われて、私は固まった。文章を書くにあたって嘘をつかないこと。これは自分とした約束だけど、ひとりの書き手としてどうありたいかは考えたことがなかったから。
好きを分析することは意外と難しい
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』を読んでいる。
やるべきことが積み重なった日々のなかでも、大好きなライティングを自分の人生の中心に置き続けたい。そう思って入会したライティングスクールでおすすめされた本だ。
ライティングの具体的なテクニックだけでなく、ひとりの書き手としてどう読者と向き合うかなど幅広く言及している。ライティング初心者でも読みやすく、書くことに慣れた方も原点に立ち戻るきっかけとなる内容だった。
本のなかで特に印象的だったのが、書き手としてのあり方を見つけるワークだった。著者の古賀史健さんは、あなたはどんな書き手になりたいかと問い、さらにこう続けた。
それは生理的に嫌いな文章に注目することで見えてくる、と。
また私は固まり、頭を抱えた。嫌いな文章をじっくり読んだことがなかったからだ。
読者の最強のカードは「読まない」こと。いままで私は大いにそのカードを利用して、嫌いな文章をえいやと端に追いやり、好きなものばかりを腕のなかに抱きしめてその世界観にひたっていた。
本屋でもインターネット上でも試し読みができる時代。アルゴリズムのおかげで、私たちは「好き」に簡単にアクセスできるようになったけれど、その一方で「嫌い」に触れる機会はぐっと減ってしまった。
お気に入りの本で埋められた本棚をみながら、さてどうしようかとしばらく考える。ふと思い立ってスマートフォンを手に取り、noteのアプリのアイコンをクリックした。自分の興味のあるキーワードを入力して、上から順番に読み進める。
まずはたくさんの記事に触れなくては好きも嫌いも分からないから。いくつか記事を読み、不快だと感じた箇所を言語化していく。これはなかなか面白い作業だった。大きく分けて3つあったので、一緒にみていこう。
私が不快に感じる文章から見えてくる、私の理想のあり方
1番目は、難しい言葉や専門用語を使う文章。
基本の知識を学び終えた方に向けて書かれているのであれば専門用語を使うことは仕方ないことなのかもしれない。
しかし、お金や時間をかけて記事を読んでくれた人に対して、この言葉が分からないような人には読んでもらわなくてもよいのだと見限るように感じてしまう。読んでもらうことを当たり前と思うなよ、と言いたくなるのだ。
2番目は、ネガティブな内容で終えている文章。
そもそも私が文章に触れるきっかけになったのが、幼少期に自分の心を預けられる居場所を見つけられなかったことだ。助けを求めた場所でさらにネガティブな内容に触れてしまったら、私は絶望してしまっていただろう。
こうして何度も文章に救われた経験が重なって、いつの間にか文章は私にとって希望を伝えるためのツールになった。だから、たとえ目をそむけたくなる事実であっても、それだけで終わらせてほしくない。
3番目は、強い言葉が使われている文章。
誰も自分の主張に意見させないぞ、と武器を向けられているような感覚に陥って、おおう...と引いてしまう。そういう文章に鼓舞される場面もあるのかもしれないけれど、読み続けると自分の心の柔らかい部分が踏み荒らされるように感じてぐったりする。
強い言葉は力がある、だからこそ取扱いには十分注意しなければいけないと私は思うのだ。読み手がどんな状況でこの記事を読んでいるかがわからないからこそ、誰も傷つけない言葉を選びたい。
古賀さんいわく、この3つと対となる文章が書き手として表現したいことになるようだ。ということは、私は読者と手をとって「ああいう見方もあるよ、こんなに面白いものがあるんだよ」と語り合う文章を書きたいと思っているのだと思う。
そして自分が誰かの文章に救われたように、私の文章も誰かの心の沖に浮かぶ浮き輪のようにぷかぷかと漂いながらも、心の大切な部分をぎゅっと守る存在でありたいとも思っているのだ。
それを自覚したら、これからどんな内容で文章を書いたらよいのかなんとなく分かってきた気がする。
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、タイトルを見て思いを馳せる。
私の場合、20歳の頃の自分にこの本を読ませてもしっくりこなかっただろうな。
こうしてnoteに記事を公開して、誰かに読んでもらえることが嬉しいと感じ始めたいまだからこそ、内容に深くうなずける。ライティングスクールでさらに知識を深めたら、もっとこの本のよさを味わい深く楽しめるのだろう。
3ヵ月後、ライティングスクールを卒業して読み返したとき、自分はどの部分に心惹かれるのだろうか。知識が変化を呼び、そして変化がまた新しい世界を連れてきてくれることをいまから心待ちにしている。