歴史に残る名演説家の共通点は、「声の使い方」にあると断言します!
野田元首相の安倍晋三さんへの「追悼演説」について
スピーチコーチの視点から、感じたことを記してみます。
一言で言うと、素晴らしい名演説でした!
正直、私は痺れました。
以前、菅さんの弔辞も絶賛しましたが、
また違う意味で、「プロフェッショナルだ!」
と関心しながらも、グイグイ引き込まれて行きました。
その要素を細かく挙げると実にたくさんありますが、
私が特に注目したのは以下の点です。
◯言葉の選び方
◯余計な説明のない短くリズミカルなセンテンス
◯まるで詩人のような美しい文章
◯映像が浮かぶシーンの再現と全体のストーリー構成
◯2人の関係性が感じられるエピソードの盛り込み方
◯自分の感情をさらけ出せる自己開示力
これらの要素により、
安倍さんを心からリスペクトしながらも、
野田さん自身の知性・政治家としての在り方・負けを認める正直さが伝わって来ました。
その完成度の高さに溜め息が出ました。
そして、野田さんのスピーチを、
勝手ながら「歴史に残るくらいの名演説」と言わせていただけるなら、
その要因として、「声の使い方」を1番に上げたいと思います。
どんな素晴らしい「内容」も、
言葉を相手の心に届けるのは「声」なのです。
声により、伝えたいことが、
「理屈」ではなく「音」として聞く者の心の真ん中で響きます。
逆に、声により伝えたいことが半減してしまうこともあります。
例えば、野田さんが語られた、
「シーンと静まり返った気まずい沈黙」や「重苦しい雰囲気」と言う情景描写は、言葉以上に声のトーンからその雰囲気が伝わって来ました。
その場はどんな空気感だったのか、
その時の安倍さんの気配・優しい笑顔を、
聴衆は野田さんの声から感じ取ることができ、イメージすることができました。
息を呑んで耳を傾けてしまうでしょう。
声の変化も見事です。
スピーチの中で安倍さんに語りかける時には
「・・・でしたね」と「ね!」をつけてソフトなトーンでしたが、
一転、演説のクライマックスでは、思い切って声に変化をつけ、
「最後に、議員各位に訴えます」
と、顔を上げ、声のトーンを高くし、張りのある強めの声で、
「政治家の握るマイクは、単なる言葉を通す道具ではありません・・・」
へと繋がっていきました。
感傷に浸っていた聴衆を目醒めさせますよね。
議場の空気が変わったのではないでしょうか?
これこそ、名演説の成せる技です。
この声からは、野田さんの政治家としての「覚悟」の様なものも感じました。
国会議員の皆さんの胸に深く刺さっていることを願います。
どんな言葉も、それを相手の心に運ぶのは「自分の声」です。
良い声とは、決して美声のことではありません。
演説(スピーチ)に必要なのは、
地声を開放し、自分自身を曝け出して語る「勇気」です。
声は、否応なく話す人の思いや内面を伝えます。
改めて、声の大切さを実感させて頂いた名演説でした。
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