愛なのだ
土と日さんにて
夜に開いている
日本酒のお店
11月22日-23日
と2日間
2階の展示に伴い
お昼から夕方まで
お留守番珈琲を
させていただきました
彼の行きつけのお店なので
私も誘っていただきました
間借りをしていると
ああ、ここが自分のお店だったら
そう思う時間が訪れる
こんな場所でやれたら
こんな素敵な場所だったら
人が来てくれるかもしれない
しかしながら
どんな場所か
よりも大事なのは
どんな人なのかということで
以前すごく好きな珈琲屋さんを見つけ
私の中の
お気に入りをした
暗くて
静かで
読書するには
すごく良くて
SNSも見つけ
フォローしたのだけれど
流れてくる
言葉達に違和感を感じ始める
他の店やお客さん(常連じゃない)
の悪口しか流れてこない
そう言えば
そのお店に居た時に
常連さんに
あーだこーだと
他のお客さんの悪口を言っていたのを聞いたなと思い出す
そっとフォローを外し
その後一度も行っていない
その後やっと見つけた
珈琲屋さん
静かで
本を読むのも良い空間で
私の中のお気に入りになった
またしても
SNSをフォローして
流れてくる言葉達
人の好意を
悪意として
変換し
連ねる
怒りの気持ち
もちろん
営みの中で
人との関わりの中で
思う事は人それぞれある
分かるし
共感だってするときもある
その投稿に共感して
逆にお店に来る人もいるかもしれない
しかしながら
そっとフォローを外し
その後一度も行っていない
お店は
場所
味
も大事だけれど
やっぱり
人
なのだ
小さい頃から
母に
「良いことも悪いことも誰かが見ててくれるよ」
と教えられ
前職では
「徳をつみなさい」
と先輩に言われ
人の為に
自分はいくら嫌な気持ちでも
相手の為に
そう思って生きようと
私は0か100かの人間なので
相手が良ければ良いと
しかし
どこかで無理していて
色んな事が重なり
爆発した
そこからは
自分のためにばかりになってしまって
徳を積むというのは
おそらく
ポイント制みたいなもの
なのではないかと思う
今まで積んだ徳は
貯めては使って
使っては貯めて
その貯めに貯めたポイントを
一気に使って
私は昨年
幸せを手に入れたのだ
そこから
徳を積めているのだろうか
自分のことばかりじゃないだろうか
ここ最近
その事について
考える
もちろん
自分の幸せのために
誰かに優しくするのは
すごく傲慢な行いだ
しかし
相手を思って
何かをしたいと思う事は
愛だ
そうだ
愛なのだ
愛ある人に
人は魅力を感じる
土と日に居ると
愛ある人が
集まってくる
夜になると
遠くても
少しの時間でも
3件目でも
終電がギリギリでも
いつも人が集まる
それは
場所
味
もあるけれど
人なのだろう
それは
珈琲屋を始めた時に
思っていた事なのに
また
初心に戻って
立ち止まって
考える
行ったり来たり
だけれど
少しでも進んでいたら良いなと思う
この文章を書きながら
気持ち改めて
と思っていたら
お客さんが入ってきてくださった
前向きな
穏やかな
気持ちでいたい
お客さんにも
私も
そんな事を考えた
2日間でした
本当に
ありがとうございました
合言葉は
ごきげんよう