オジサンからのアドバイスでゲロを吐いたときの日記

年上の学校関係者からあれこれ言われて落ち込んでいたときの私の日記が面白かったから全世界に公開するね。
このとき、どうしても話さなければいけないおしゃべりな人とマンツーマンで半日過ごしたんだけど、その際に本当にずけずけと人生設計について聞かれて、渋々適当に答えていたら、そいつ、私のことや私の将来を勝手に批評してきたの。真正面のデリカシーのない言葉(というより普通に侮辱?)の数々にびっくり仰天して、帰り道にゲロ吐いた。

文句を言いたい。もうこの生きている世界が嫌すぎる。こんなにも社会は生きづらく、窮屈な世界だったと知って目眩がした。大人になればなんにでもなれるというのは全くの嘘で、世間は小さい閉ざされた空間だった。どこにも自由はなかった。常識にがんじがらめになって、そこを外れたら社会不適合者と注意される。一般常識とは果たしていったい何なのでしょう。
意味のない仕事をむやみに作って、意欲もなく渋々と仕事をこなして、そこで得られたお金は社会からむしり取られる。ただ生きているだけなのに。みんな死ねばいい。

生きているだけで誰の役にも立っているわけでもないのに、自分は特別な人間と思い込み、自分の権利を利用してさも正論のように語り始める。とんでもない差別主義者なのに、自分をまっとうな人間と信じてやまない醜い人々がたくさんいた。高度な教育を受けていても、所詮は愚かな人間が始めた愚かな人間の再生産だということを気づかされる。しかし私は寛大な心をもっていたので、彼らはそうでもしないと自分を保っていけないという理解を示したい。

私は他人が決めた価値観の分析対象にされたくない。他人からどうこうと評価されたくない。悪い評価も良い評価もされたくない。それでも人間は暇だから、他人をジャンル分けしようとする。「あの人はこういう性格だからね~」と言う。複雑な人間の心理を理解するな。というか他人の心を理解しようとしないでほしい。私の心を誰かに理解してほしいなど求めていないし、私も誰かの心を理解したいなんて思わない。

私は人と話すことが苦手なのだが、このような考えが根底にあるからなのかもしれない。他人の心を理解しようとも理解したいとも思っていない。このような人間のコミュニケーション能力が高いわけがない。相手に伝えようと思っていない人間が紡ぐ言葉など意味もない。

思い出しただけでも悔しい言葉がいくつもある。自分に足りないのは毅然と反論する言葉だ。みじめなことを言われても咄嗟に言い返す言葉がわからない。学生を指導する立場の人間の倫理観がここまで低いことを想定をしてなかったし、そのような人に対応する訓練もしていなかったからだ。それに日本の一般常識では当たり障りのない会話をして、人間関係を円滑に優先することが大事だ。私はその環境にあまりにも慣れてしまった。それに付け込んでおじさんたちはありがたい人生のアドバイスをわざわざくれる。でも彼らはそうして立場の低い人間のおべっかを養分にしないと生きていけないのだからしょうがない。よかれと思ってアドバイスをくれるのかもしれないけど大きなおせっかいだ。自分よりはるかに若い学生たちのごますりで承認欲求を満たしている。しょうがない。体臭がどんなにきつくても、それを指摘することは一般常識的に失礼に値することを社会に適応し始めている私は知っているので、そのような無礼を決してしない。そもそも彼らは人生のアドバイスというが、それは私にとって本当に役に立つものなのだろうか?私は「バカ真面目で要領の悪い世間知らずのお嬢様」なので、年長者の貴重なご意見として参考にしていただいていたが、自分の頭で考えてみると果たして参考になるのかいささか疑問だ。また、私より大変優秀な方々であることは確かだが、私と彼らの人生とそれに基づく価値観はあまりにも異なっている。共通点を見つけること自体難しい。

専門の分野に関するアドバイスは無知な私にとって大変参考になるが、それ以外のプライベートな部分や人生について口を出さないで頂きたい。これ以上私をそちら側の、加齢臭の臭う方へと引き込まないでほしい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?