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聖母マリアを急に引き寄せたはなし。

まず最初に、本当に申し訳無いのたが私は俗にいわれる「キリスト教」の考え方が少々苦手であり、
イエス・キリストの「アイドル像」も好きではない。
「信じる者は救われる」までは分かるとしても、
「信じない者は最後の審判で裁かれ落とされる」は全く納得が行かない。
たまたまキリスト教を知らずに一生を終えためちゃくちゃ親切で優しく誰からも愛された人も
等しく地獄に落とされるのはかわいそう過ぎやしないか、と思う訳で。

昔からカードリーディングの動画を観るのが好きで、観ているとリーディング中たまに聖母マリアのデッキやイエスの言葉がモチーフのカードなんかが出てくるのだが
それが出てきた時点で観るのを止めるくらいには、全然しっくり来ていなかった。

ある時からパワーストーンと呼ばれる様な石たちが、じつは「鉱物」としてめちゃめちゃ興味深く
パワーなんかよりも(なんかよりも、というのは言い過ぎなんだけどそれくらいの勢い)自然体の形状や美しさを愛でる方にベクトルが向き始めた。
そのきっかけを作ってくれた石屋さんは、石を購入するといつもおまけを付けて送って来てくれる、たいそうありがたいところで
追加で代金を払った方が良いのではないか、というクオリティのものを送ってくださる時もある。
どのくらい前だったか、いつものように惹かれた石があったので注文させてもらい
ちょっぱやで届いて頼んだもの本体をニタァとしながら愛でたあと
そういえば今回のおまけはどんなものなんだろうか、こっちも楽しみだなァと負けじとニヤニヤしながら包みを開けると

いつもとテイストの違う、アクセサリーのパーツの様なものが入っていた。

普段だと同じく石が入っていて、一つ買ったら二つ手に入る、みたいな仕様になっているのだが
今回はパーツ。石では無いものだった。
え、何だろうか……と思ってよく眺めてみて、うわ、と声が出た。

メダイだ。聖母マリアの。「奇跡のメダイ」だ。

「奇跡のメダイ」はググるとすぐ出てくるのだけど、フランスの教会で売っているお守りみたいなもので
持っていると疫病を逃れられる、旅のお守りに持って行くと無事に帰って来れる(時代背景的には戦争に行くとき、帰って来れるようパートナーに持たせたりしていた)という話がある。
そういうものがあるのは知ってはいたのだが、なんせ冒頭の様な考え方の無礼者なので
まず手に入る訳が無いし(「本物」は現地にしか売っていない)、欲しいとも思っていなかった。
いなかったのだが。これは一体。
信じない者に容赦ないんじゃなかったのか。信じないだけならまだしも苦手とすら思っているのに??
(ちなみに疫病が云々とあるが、これはコロナが流行る前に届いている)

ただ、これを見た瞬間何故だか、あ、これはもう駄目だ。降参だ、と思った。
これは逃げられないぞ。さぁ困ったね。どうするかね。
頭の中で少しパニックを起こしながらしばらく固まってしまったのを覚えている。

正直この時の事をどう言葉にすれば良いのか分からないが、もうスピリチュアルがどうとかそういったどころの話では無く
このどうにも強靭な存在、それは聖母マリアに限らず、色々な国の色々な神様や仏様や、そういった類の目に見えないものたちというのは
人間がどう思っているのかは全く関係なく「介入」してくるものなのだ、
と一瞬で悟ったくらいの衝撃があった。
ソッチに目覚めたのか、とオチられても全然かまわないし反論もしないが
これはおそらく、どんな人にも起こりうる話なんだと思う。
よく「霊感はある日突然目覚める時もある」という話を聞いたりするけど
こういった感覚と似ているのではないかなと思う。

もうどうしようもない。今までの「定義」のようなものは手放せ。意味が無い。
遠回しにそう言ってくるのだからもう、降参するしかない。

以降そこまで「聖母マリア」は苦手では無くなったものの、未だに宗教としてのキリスト教やイエスは苦手である。(息子の事苦手とか言ってごめん。)
そう思っていてもやって来る時はやって来るのだ、というちょっと不思議な話。

明日はイエス・キリストの降誕祭。
それにちなんでなんか書こうと思って書きました。
善きクリスマスイブ・クリスマスを。

おしまい。

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