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かなしみのいろ

僕の持つ真っ白なパレットには世界が広がっている
赤、黄、青、黒、白、そして混ざり合って出来た奥行きの深い緑に夕焼けの周りに広がるような橙、危うげなコンクリート色

「それでは色を一色だけ画用紙いっぱいに塗ってみましょう」
少し甲高い声で教師が言った。3限目、美術の時間。
僕はどんな色を塗れば良いか分からなくてしばらく周りの友達の画用紙を眺めていた。
斜め前の奴の画用紙は真っ青な絵の具からそのまま出したような青で染まっていく。
水分をあまり含まずに雑にジグザグに塗られた青色
隣の列のちょっと離れた眼鏡の奴は端から丁寧にすーっと水で少し溶かした緑色を塗っていく
ドキドキしながらちょっと気になってる子の画用紙も覗き見てみる。
あの子はきっと可愛らしいピンク色なんだろうか。
僕の予想は外れたけど、やはり彼女らしい明るい澄んだ黄色で画用紙が彩られはじめていた。

僕は…何色を塗れば良いんだろう
僕のキャンパスに広がる世界にはたくさんの色が踊っている。
この中から一色だけ取り出すとしたら僕は何色になりたいのだろうか。
窓の外に揺れるくすんだ黄色の葉の色が雲ひとつない青空に映えている。
あの色を描きたい。
黒板の横の花瓶の中の水に一つだけ落ちている少し紫がかったピンクの花びらの色も好きだ。

いつの間にか真っ白な画用紙なのは僕だけになっていた。
「はい、みんな出来ましたか⁇ それでは明日までにその色に自分なりの名前を考えてきてください」
僕は完全にパレットの上の世界に取り込まれていた。
「君はあえて真っ白なの?」
僕の真っ白な画用紙に気づいた先生が不思議そうに声をかけてきて、ハッと我にかえった。
「いえ、まだ思いつかないんです」
「そんなに深く考え込まずに自分の好きな色を塗れば良いのよ。明日までには完成させてきてね」
考え込んでいるのだろうか。それより僕は色の世界に取り込まれて動けない。でもその世界に何とも言えない心地よさを感じていた。

学校からの帰り道もずっと色んな色を見た。
この世界には全部で何色の色があるのだろうか。きっと誰も数えることなんてできない。
まだ誰にも知られずにひっそりと息をひそめ続けている色も無限にある気がしてたまらない。

僕は歩き続けたい衝動に駆られて家を通り越してずっとずっと歩いて行った。
朱色の乾いたアスファルトの上を歩き続けて深緑に濁った川を越える。
錆びた鉄色のフェンスの向こう側で部活動をやる中学生の声を聞きながら。
焦点を定めずにひたすら色の世界に身を委ねながら歩き続けた。

でも、ふと強い感情にかられて僕の足は止まった。同じ風の匂いを嗅いだことがある気がした。その場所から見る風景を僕ははっきりと覚えている。
ねずみ色の電柱とその斜め奥に広がる小さな畑に揺れている十数本のコスモス
あの日このコスモスの景色を一瞬見た後僕の世界は何の色も無いブラックホールに吸い込まれた。
ブラックホールに落ちる前に一瞬だけ見えたのもこすもすいろ
母のセーターの色
電柱の足元には今も数本の花が添えられている。
僕の記憶のつぎはぎの部分には無機質な白色
そしてひたすら赤と黒の錆びた色
その後に嗚咽の声の黒色

僕の頭の中の白いキャンパスには色んな色が広がっていてその世界は無限だ

「私はここから見える青空の色を塗りました。この色の名前は『青空』です」
「私の色は大好きな『レモネード』です」
次の日の4限目、美術の時間
画用紙に描いた色の名前の発表会が行われている。
僕は画用紙を持って立ち上がった。でも何色かと問われると何も口に出来ない。
僕が描いたのはまだ誰も名前がつけられていない息を潜めていた色の一つなのだろうか。
「あら、綺麗なピンク色ね」
先生は声を弾ませて言った。
「この色はどんな色なの?」
レモンなら薄黄色、情熱なら赤色
僕が口にする名前を言ったときみんなはどんな色を思い浮かべるだろうか。
「これは、かなしみの色です」
息がつまるような灰色でも、ブラックホールの黒色でも涙の青でも透明でも無い
このコスモスが僕のかなしみの色。

その時々の感情は絵の具となって僕のパレットに色をさす。
でも一つとして同じ色は無くて毎瞬間ごとに無限に新しい色で彩られ、パレットの上で混ざり合いまた新しい色を織りなす。
その中で淡く消えていく色も新しく生み出される色もあっていつでも僕は一色じゃない。
それでもどうしても何色とも混ざらない凛として差し迫る、自分だけにしか感じることのない色を誰もが持っている。

それがかなしみの色だとしてもいつまでも僕の心にじんわりと溶け続ける色なのだろう
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