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わたし多分好きだった。

わたし、多分好きだった。
気付くのはいつだって終わってからだ。
パッと目を引かれた綺麗な服が飾られたショーウィンドウの前を行っては引き返して、毎日見に行くくせに決して買うことはしないじれったい時間。
そしていつのまにかそれは誰かの手に渡っていて、無くなった後に、それがたまらなく欲しかったことに気付く喪失感。
誰かのモノにならなきゃ本当に好きだったとは気付けないくせに。

重なって溶けてしまいそうなほどに距離を縮められると、その目は薄い真っ黒な布で覆われたように見えなくなる。
ポスターみたいに遠くで眺めているあの人がいちばん美しい気がするんだ。
そうやって傷つかないための美学を貫いて、誰かのものになった後に、忘れるための涙を流すのは得意だった。

美容師さんにバッサリと髪を切ってとお願いすると、リフレッシュですか?って聞く鏡ごしの笑顔に、何かあったの?が含まれている。
髪をばっさり切ったあとの女の子に、周りの人がこぞって可愛いというのは、短い方が似合うからじゃなくて、その表情が晴れやかだからだ。
女の子同士なら、その可愛いに、ちょっとの勇気を讃える意味もある。
そんなことを分かっていながら、長い髪の毛にハサミがスッと入る感覚が好きだった。自分の穢れと過ちを床にパラパラと落としながら、露わになっていく首筋を掠めるハサミの冷たさで何となく赦されていく気がする。

今まであった重たいものが無くなった帰り道に初めて、外の空気が冷たかったことに気付く。
その足で、ずっと前を通り過ぎていたお店のワンピースを手に取った。
試着室でワンピースを纏った自分は知らない人のようだった。それはきっと、もの珍しさという名のトキメキなのだと知りながら、怖いものを無くしたわたしは迷わずにそれを自分のモノにした。

そのワンピースを着て会ったその人は、そのワンピースの可愛さを褒めてくれた。褒めるのならばワンピースじゃなくて、そのワンピースが似合うわたしを褒めて欲しかったなんて、かわいいわがままは喉の奥にそっと飲み込んで、ありがとうと微笑んだ。昼下がりにカフェのお洒落なペーパーボトルが似合う人だった。
欲しい。横に並んで座ったその人は、手を伸ばせば触れられる距離にいた。
ポスターのように遠くもなく、視界を真っ黒に染めるほど近くもない。
怖いものを失ったわたしは迷わずに手を伸ばして、そして、その人を自分のモノにした。


首筋にかかった髪を結べるようになった頃、その憧れのお店は、知らない間に違うお店に変わっていた。
そんなことにもしばらく気づかないままわたしは毎日前を通り過ぎていた。
すっかりと身体に馴染んだワンピースを着たわたしは通りすがりのウィンドウに映る自分の姿をチラリとも見ることも無くなった。
そういえば、あの時、ワンピースが似合うわたしを褒めて欲しかったと言うのを忘れたまま、その人に言う機会を自ら断ち切った。
それらは全部、ときめきを失ったわたしのモノだった。

わたし多分、好きだった。
でもわたしが本当に好きだったのは、ぜんぶ、手に入れる前の憧れの姿と、それにときめく心だった。
それだけだった。
気付くのはいつだって失ってからだった。

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