海水を飲む
膝を擦りむくと誰かが大丈夫?と言ってくれる。
擦りむいた傷口から血が出てると誰かが慌ててティッシュをくれる。
「大丈夫?」と優しくその血を拭き取られているときだけ、ぼくは誰かのあたたかさというものに触れている気がしていた。
生まれてくるその瞬間、人の運命は決まっているんだよと昔に誰かが教えてくれた。
本当にその通りなのだ。ぼくの運命も、既に僕の身体に埋め込まれたプログラミングされたディスク通りに動いている。そして、そのディスクには決して間違って他人の運命を生きることがないように大きくぼくの名前が油性ペンで黒々と書かれていて、神さまは何度もその中身チェックしてから生まれてくる前の胎児の身体にひとりずつ埋め込むんだ。
誰かに愛される人間と、愛されない人間は、生まれる前から神様が決めている。
誰が誰を愛し、そして誰が誰を憎むのかも神さまは全てを知っている。
けれど、愛と憎しみは表裏一体だ。人間は本当に器用じゃないから、愛が余るあまり強い憎しみに変わったり、愛されると嫌いになったり、愛という感情は割れ物注意の箱に入れて厳重に管理されないと、それはいつか身体を蝕む化け物になる。
賢い神さまはそれをよく知っているから、愛の成分をそのディスクに入れない人間を作るのらしい。
そのディスクの持ち物は、愛というものを知らない。愛することも、愛されることもプログラミングされていないその脳みそは、愛という言葉は検索されずに、何ものかも分からずにそのディスクは再生を終えることになっている。
そうすれば、愛という憎しみで血を流す人々はスクリーンの中の世界で、ぼくはそれをただじっと見つめる観客になれるのだ。
僕は神さまに、愛の成分を与えられなかった人間らしい。
誰かがぼくの頭を思いっきり叩いた後に、それはぼくに正しいことを教えるための教育で、愛ゆえだと言われてもぼくは愛を知らないからただ、その人をぼくの頭を叩く怖い人だとしか思わない。
誰かがぼくの頭を優しく撫でて微笑んだとしても、ぼくは愛を知らないから、その人はどうしてぼくの頭を撫でながら涙を流しているのか分からない。
ある日、ぼくが近所の駄菓子屋で食べたかったお菓子を盗んだ時、駄菓子屋のおばさんはぼくを哀れんだ目で見つめるだけで、ぼくのことを責めなかった。
物を盗るのは悪いことだと法律で決められていることは知っているから、ぼくは紛れもなく悪いことをしたはずだ。それなのに、その人は、ぼくから盗んだお菓子も取り上げず、ぼくを可哀想な子だと言った。
ぼくがどうして可哀想な子なのかはいくら考えても分からなかった。それでも、可哀想な子というレッテルは、盗みという罪を犯しても許されるほど、そんなにも強力なものなのだろうか。
その日、可哀想な子と引き換えに手に入れたお菓子は何故だか全然美味しくなかった。
それからぼくは、駄菓子屋のおばさんだけではなく度々、可哀想な子という名札をぶらさげる代わりに、ちょっとした罪を許された。
可哀想な子として生きることはぼくのディスクに埋め込まれているのだろうか。
「可哀想な子」と言われて頭を撫でられる時はむずむずするような言いようもしない感情に襲われて、思いっきり怖い人に頭を叩かれるときの衝撃と痛みが恋しくなった。
そういえば、同じクラスの女の子がぼくのことを「好きだ」と言った。とても可愛らしくて頭がいい子だった。でも、ぼくは好きだということがどんなことなのか分からない。彼女はぼくに、「わたしのこと、好き?」と聞いた。その子のことを嫌いだとは思わなかった。その子と話している時間は楽しくて、「好きだよ」とその音を真似してぼくが答えると女の子は嬉しそうにぱっと頬を染めた。けれど、ぼくには分からなかった。
いつか、好きとはどんなことかと尋ねるぼくに、その女の子は「好きとは許せるということだよ」と言った。
それならどうしてその女の子はぼくの言葉と行動に傷つき、泣いたのだろうか。
その子はぼくに、「誰も愛せないなんて可哀想な人」と言ってぼくの前から立ち去った。
ぼくはその子に酷いことをしたおぼえも犯罪を犯したわけでもなかったはずなのに、彼女の前では「可哀想な子」というレッテルが悲しいことなのだと知った。
ぼくがぶら下げて生きてきた可哀想な子は、誰かの哀れみを買う餌だった。
本当に許されていたのは、可哀想なぼくではなくて、その罪から目を背けることが正義だという哀れみの感情ゆえだった。
哀れみの感情を向けられることが、ぼくの感じていた誰かの優しさだった。
それでも時々無性に誰かに優しく傷を撫でられたくて、ぼくは時々自分の身体に傷をつけた。
キリリと痛むその傷は、酷く血を流すほどに誰かの哀れみを買うものだ。
感情に麻酔をかけながら生きるぼくはそんな傷など痛くなかった。
痛くないはずなのに、湯船にその傷が沁みるとどうしてか傷よりも心が割れるように痛くなった。いつのまにか湯船に沈み込みながら流す涙は、冷たくなくてお湯の中に溶け込んでいく。噛みしめるように喉の奥をギュッと締めると頭がチカチカして苦い何かがせり上がってきた。
苦しくなって湯船から思わず顔を上げた拍子に飲み込んだ温かいそれは喉を痺れさせるほど痛くてしょっぱくて、それでも空気を欲して息を吸い込むたびに胸が痛むのは、海で溺れているようだった。
何度も飲み込みながら水を吐き出すたびに、心に水が溜まっていって、次第にぼくはこのまま水に溶けてしまいたかった。
どこかを掴むことも道標もなく沈んでいくしかない身体で何度も何度も水を飲みながら、初めてぼくは誰かに助けて欲しいと思った。
ぼくは愛を知らない人間として生きてきた。
飲み込んだしょっぱい水の後に、ようやく新しい空気を吸い込んだ瞬間、昔に一度だけ、悪いことをしたぼくの頭を強く叩いた怖い人が、その後にぼくの頭を優しく撫でた手を思い出した。
ぼくは自分の頭を自らの手で撫でながら、怒られた後の優しさという感情を知った。
ぼくのディスクで検索しても決してその感情の名前は出てこなかった代わりにぼくはまた、喉の奥にしょっぱい水を流し込んだ。
それは何故だかとても温かかった。