ミニマム賞味期限

インスタグラムに更新するたびに、たくさんのいいねと「憧れです」のコメントが届く部屋。
シンプルイズベストで、白を基調とした空間に淡いオレンジの間接照明をぼやかした部屋。
その部屋の一部を切り取って、あくまでそれが部屋の全てのように見せる。

スマホのカメラ画面いっぱいに広がった部分で構成される世界観で、わたしは世の中の憧れをかっさらう。
『本当に素敵です。見ているだけで癒される!』
『この白のラックはどこのお店のですか?』
『ほんとに好き!いつも応援してます!』
投稿すると5分も経たないうちにいくつものハートが光ってポコポコとコメントが届きはじめる。そのひとつひとつを眺めながら、いいねをつけるわたしの口角は自然に上がっていた。
『#ていねいな暮らし』のハッシュタグ検索をすると上部にわたしの投稿が出てくるようになった。
ていねいな暮らしのハッシュタグには、あえて「丁寧」ではなく平仮名の「ていねい」を使うのがしっくりとくる。「丁寧」とは、注意深く細かいところまでゆき届くとか心を込めるとかそういう意味合いがあると思っているけど、わたしの「ていねい」とは、丁寧の表面上の体裁だけを整えることだ。丁寧の仮面を被ったていねい。
真っ白な家具のどこか一部分が汚れてしまったら、一気に生活感が出て写真に映えなくなるから使えない。
そうでなければ、最後まで丁寧に使い込んだ証である古傷がたくさんついた家具がひとつもないこの部屋の軽々しさを肯定できない。

『シンプルってインテリアの基本ですよね。わたしにも真似できそう』
そう言った女の子のコメントにだけあえて、ハートを返さなかった。
誰にでも真似できそうなシンプル空間こそ、その空間に馴染まないような目を引くものがあってはならず、生活感も殺しながら、徹底的に無駄を省かなければその空間は成り立たない。
彼女はその難しさを全然分かっていない。少なくとも、その女の子が頻繁に投稿する目を引くデザインの某ブランドバッグやデパコスは彼女が理想としているわたしのシンプル空間にはそぐわない。それらをどこにやるつもりだろうか。
自分の投稿にハートとコメントをつけてくれたファンの一言にもいちいち難癖をつけたくなるわたしの心こそ無駄だらけだった。
部屋の片隅に丸めた毛布が倒れ込んでいる。
かき寄せてぐしゃぐしゃになった薄い毛布を膝に乗せて最初の酎ハイの空き缶を足の指先で転がすと、カランという空しい音がした。昨日半分残したスーパーの夕方タイムセールのカニカマサラダをつまみながら口をつけた2本目のビールはすでにぬるくなって、とっくに美味しいピークを逃していた。
缶ビールが美味しいのって、冷蔵庫から出したその瞬間だけだということをいつも後から思い出して、まるで「旬の人」みたいだなと思った。

「もうこれ流行は過ぎたよね〜」
半年前に、幼馴染の由佳が引越しの手伝いをしに来てくれた時のことだ。
わたしはなかなか物を捨てられない性分だから、引越し先に持っていく物の取捨選択を手伝ってほしいとお願いしたのだ。
クローゼットから手当たりしだい出した服が積まれた山の中から、由佳が素早く段ボールに洋服を放り込む。
段ボールには、由佳の独特の丸文字で「捨てる」と大きく書かれていた。
「この胸元のフレンジがある服、もう流行ってないよ。これも捨てる。」
シーズンの終わり頃にセールで買って、二度ほどしか着ていない新品同様のフレンジニット。一年かぎりの流行りものじゃなければ、こんなに綺麗な状態でゴミになることはないんだろう。
「これは?このキューピー人形のストラップ」
由佳の指先で、つまみ上げられた「ご当地キューピー」が5体揺れていた。
何年か前に、47都道府県それぞれの名産に扮したキューピーを集めるのに異常にはまっていた。旅行に行っては駅のお土産屋でご当地キューピーを買うことを欠かさずに、いつか47都道府県全てのキューピーを集めるつもりだった。
「懐かしいね〜キューピーちゃん。あんた旅行に行くといつも買ってたよね。」
わたしの収集癖を熟知している由佳にとっては、ご当地キューピーストラップはそのコレクションのひとつであると理解されている。
「ほんとに懐かしい!何でこれを集めようと思ったんだろう。」
自分の収集癖は自分でもよく理解ができない。
ただ、たくさん種類があるものを見つけると、感情が盛り上がって、これを全て手に入れなければならないという使命感に似た興奮が脳内を支配するのだ。でも、わたしは収集家であるのと同時に飽き性でもあるから、その興奮はすぐに冷めて、全て集め切る前にそれへの興味を失う。ご当地キューピー集めにしても、由佳の指先で揺れている5体のキューピー人形と、部屋のどこかに散らばっているであろうあと数体のキューピーがその収集結果の全部だ。
いつのまにか旅行に行って土産屋の店頭でご当地キューピーを見ても、わたしは何の興味もなく通り過ぎていた。
興奮という感情は、いつでも「旬」であることが必要なのだ。

「これは?いるの?」由佳がおもむろにシャチのポストカードを手に取った。
四隅が少し茶色がかっているそれは、かつての恋人と訪れた水族館で記念に貰ったポストカードだった。
水族館のひんやりとした薄暗い空気が好きだ。
館内のロビーに入った瞬間、壁一面の大きな水槽が目に飛び込んできて、その中を悠々と泳ぐシャチの姿があった。
『シャチだ。大きいね〜』と静かに感動している彼の隣で、わたしはシャチのピンと張った真っ黒な背を見て、競泳の水着みたいだと考えていた。しばらくシャチの水槽の前に佇みながら、無言の時間が流れた。わたしはひたすらシャチのボディのツルツル感に見とれている間、彼は何について考えていたのだろうか。
水族館は奥に進むごとに薄暗くなっていく。
魚の住処のエリアごとに温度と空気は変わって、深海に近づくにつれ魚の姿形は芸術的になっていくのだ。
両手ですくってもその実体に触れられなさそうなヒラヒラとした魚の水槽の横に、いかつく彫られた仮面をつけたみたいな黒々しい魚が土の上を這っていた。
この魚たちは決して、人に食べられることのない種の魚たちなのだと思った。
この魚たちのいちばん活発で輝いている時期はいつなのだろうか。永遠に続いてゆきそうな寿命の中で、魚たちは、自分は今が旬だということを悟ることが出来るのだろうか。
そんなことを考えながら奥に進んでいくにつれ、一歩進むごとに身体がぶつかって、とうとう彼の手がわたしの手に触れたとき、ようやく彼がシャチの水槽の前で考えていたことに触れた気がした。
自分の世界に入り込む癖は、わたしの脳内で、写真に収まるくらいの僅かひとかけらの景色しか見えなくする。そして、それが全てだと信じてしまう。
彼の手が次第に汗ばんでいくのに気付くことなく、わたし達はまたシャチの大きな水槽の前に戻ってきて、今度はシャチにさほど感動することなく背を向けた。
ポストカードに写っている黄ばんだシャチからは、水槽を眺める人たちの顔を鏡みたいに映し出してしまいそうな艶も、競泳水着みたいなツルツルも連想されなかった。ただ、シャチという形だけ。
色褪せるとは、そこから生み出される思考も世界観も何も見出せなくなるということなのだろうか。
「ねぇ、由佳。このシャチ、どう思う?」
「どう思うって、シャチって大きいなぁって思うよ。」
「この水族館、前に付き合ってた人とのデートで行ったんだけど、わたし、このシャチを見てずっと、質感が競泳水着みたいだなって考えてたんだ。」
「あんたって変わんないねぇ。そういうとこ。」
由佳は自分のポニーテールにした髪をくるくると指に巻きつけていた。
「それで、振られちゃったんでしょう?」
彼女が何もかも見透かしたように笑うときには、必ず自分の髪を触る癖がある。
「あんたは一度自分の世界に入ると出てこられなくなっちゃうから。」
『何考えてるのか分からない』と言われていつも終わるわたしの恋愛を、彼女はよく知っている。
「ねぇ、由佳。わたしって変なのかな?」
由佳がポニーテールをいじる手をふいに止めた。
「確かにあんたは変だね。でも、世間の普通なんて誰かにとっては絶対に変なんだよ。考えてることなんてみんなそれぞれ違うんだし。」
わたしの感情の旬は遅れてやってくる。
「その場をその時に楽しめないって、すごくもったいないことだよね。」
「後味を楽しめるのもひとつの才能だと思うよ。」
由佳はこちらには目を向けずにわたし達の周りに散らばった雑貨をひとつひとつつまみ上げては迷わずに、いるいらないを分別していく。
彼女はそういう人だ。
大切なことを言うときはいつも何気なくを装おうとする。
わたしは黙ったまま由佳の膝の上に置き去りになっていたポストカードをつまんで、「捨てる」ボックスの中に投げ入れた。

「他人のものだと、必要か必要じゃないか一目で分かるし、捨てるのだってそんなに難しくないよね。それが自分のものなら、捨てるのってそれなりの覚悟を決めなきゃ難しいのにね。」
由佳がふいにぽつりと漏らした。
気付けば、片付けを始めた数時間前から部屋の様子はがらりと変わっていた。
今まで見えなかった部分の壁紙が見えて、「捨てる」と書かれた段ボール箱だけが部屋の傍に積み重ねられている。
部屋にあるもののほとんどは、「捨てる」ボックスに放り込まれているが、その大部分は、由佳が選別して入れたものだ。
「それはきっとね、他人のものには引き留めるものがないからだよ。その物が旬だった頃の感情を知らないから。」
旬を知る人は、それが朽ちた後もその面影を求めて手放せない。
だからわたしは由佳をこの部屋に呼んだのだ。
わたしの呟きを聞きながら、由佳は神妙な顔をして下を向いていた。
「なんかお腹空いたね。」
「うん、この感情は旬だね。カップラーメンでも作ろうか。」
段ボールに囲まれながら、一口目のカップラーメンは頬の内側をじんじんと痺れさせた。


それから流行りのものは買わないことにしている。
わたしの部屋からどんどん物が消えた。
極限の必要最低限。コンロと電子レンジ、最低限の食器と数枚の着まわしがきく上質な洋服。歯ブラシ、石鹸とそして机と椅子。
殺風景で牢獄みたいな部屋の中であえて生きる快感があった。
ミニマリストとして生きる理由は、捨てるという何よりも苦しい決断をしなくていいからだ。
汚れきって使えなくなったのなら、それを捨てる理由を考える必要もないのに、まだ使えるものを捨てる時は言い訳がひつようだ。
その言い訳を考えることが、ただ、わたしの人生には必要ないと思った。

小さなマグカップの中で、今朝淹れた珈琲が揺らいでいる。テーブルの上に置いた1枚の真っ白なパンプレートに焼きたてのロールパン。そして傍にサラダと小さなオムレツを載せた朝食を、カメラの画面が切り取る。
今日の朝食。ハッシュタグは「#ていねいな暮らし」
わたしのていねいな暮らしは、インスタグラムのアカウントの中で営まれている。
「わぁ、美味しそうですね!」「こんな朝食憧れ!」
投稿してから時間が経たないうちにいくつものコメントが集まる。わたしはそれをインテリアにして生きていく。
皿のロールパンに手を伸ばした瞬間、ポロンとひとつ通知音が鳴った。
「久しぶり。元気だった?」
丸いアイコンの中には真っ黒なシャチがいた。
あの頃からずっと変わってないシャチ。
賞味期限切れのシャチの代わりに、電源を落としたスマホの画面が艶やかな黒をしていた。

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