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「『つらさ』に寄り添う」ということ

看護する側だった時のこと



わたしは多磨全生園(たまぜんしょうえん)という
ハンセン病療養所の附属看護学校の出身でして。

わたしたちが学生だった頃は
1日実習という実習がありまして。

入園されている回復者さんの居室にお邪魔させていただいて。
医療的なケアは一切せず
「相手の立場に立って、相手のありのままを受け入れる」という実習がありましてね…。

回復者さんのお話をうかがって、学生は反応をして。その反応を受けて、回復者さんはお話して下さって。
学生は反応して…という実習なのだけど。
本当に貴重な経験を積ませてもらえたのだな、と思う

本当に皆さん、壮絶な経験をされてきていて。
人権?なにそれおいしいの?という環境で生活をさせらる
「終生隔離」という制度がまだ残っていた時代。

今は昔ほどじゃないけど…と語られる「昔」の話は
20歳そこそこのわたしにとっては、絶望しか見えてこなかったし。
話を聞いてはいても、ちゃんと「聞けて」はいないから
本当にご迷惑をおかけしたと思う。

だけども。
入園されている回復者さん達は
「自分たちが学生を育てるんだ」という想いを持って下さっていて。
今も「語り部」として活動されている方もいらっしゃるけれど。

「うちの学生さんは、考え方の勉強をするために来てるんだもんな。」
「学校では注射の練習してねぇからな。」
と、学生のことを見守っていただいていて。
本当に貴重な経験を積ませてもらえたのだな、と思う。

実習のため、都内の病院に行くと
「コミュニケーションの全生」とか
「患者さんの生活のことに目が向くのは
全生の学生の良いところ。
でも、患者さんの疾患については弱い。
実習先の病院附属の学生は、疾患に目が向いて
生活のことは弱い。
足して2で割ると、バランスが良いのにな。」と言われていたことも。

仕事をするようになってからは
「しまさんになら言える」と言ってもらえたり。
「他の看護師さんとは、なんか違うんだよね」
「俺たちはしまちゃんの味方」
「しまさんになら頼みやすい」と患者さんやご家族から言ってもらえて。

ぜんっぜんダメダメな看護師なんだけど
寄り添おうとする姿勢、みたいなものは
評価してもらえていたのかな?と。

看護される側になってみて

そして、自分が患者になって。
「話を聞いてもらえていない」という経験を
積み重ねることになった。

特に医療職者に対して
警戒心、猜疑心、不信感を強めていくことで
「聞いてもらえないから」
「わかってくれないから」と、「言わなく」なって。
いつしか「言えなく」なってしまって。

自分の中に閉じ籠ったり
感情を抑圧して、なかったことにしたり
抑圧したものが爆発して、他者を傷つけたりして。
心身共に衰弱して、死にかけたのだけど。

「いのちをつなぐ」ためには
身体的なケアだけではなくて、こころのケアも必要なのだけど。

「話を聞いてもらえていない」
「わかってもらえていない」と感じることで
「これ以上傷つきたくない」と
気持ちをピシャリと閉ざしてしまう。
もしくは、過剰防衛してしまうようになっている状態で
今受けている治療につながったのだけど。

大学で担当してくれたPTと
主治医になってくれた若い先生が
一番最初にリハ科でわたしを診てくれた時に
「この2人がわかってくれたから、それで良い」って思った。

わたしの抱えている「身体的な辛さ」をわかってくれたと感じたから。

当時、地元病院の整形主治医だった先生も
わかってくれていたのだと思う。
だけど、「伝え方」だったんだろうな…と。

内科主治医は
「どうしたら良いのかわかんないよ…」って
わたしに直接言っていたけれど。
そこまでの関係性もなかったし。

CRPSを診るのは整形だったから
整形主治医がわかってくれなかったら
良い方向には向かわない、と思っていたし。

心身共に衰弱していたから
「いきること」に精一杯で、余裕なんてものは全く無く。
これ以上傷つきたくない、と過剰防衛の後
気持ちをピシャリと閉ざすことになって。

治療が進むことで
当時の地元病院の整形主治医とは
「自身の内面を言語化して伝えることができる」関係性に変わったけれど。

主治医交代してからの4ヶ月。
コミュニケーションエラーの連続でしてね…。

大学整形の先生から
「リハ科で研究している先生に話を持ってったけど断られた」って聞いていて。
その先生からは診てもらえないかも知れないけど
PTとわかるように先生がわかってくれるからそれで良いって思えたし。

研究している先生案件だよね?って
PTと若い先生と話をした時に
「自分が主治医になるので」と
先生に話を持っていってくれて。
今の治療につながることになったので。
本当に感謝しかないのだけれど。

「慢性疼痛チームのコミュニケーションスキル、高っ。」
と、思ったり。

「話を聞いてもらえていない」と感じることで
どうなるのか?を
当時の地元病院整形主治医は間近で見ているのでね。

今年度、主治医交代して院長になっていたので
大学で会った時に
「良かったー。『話聞いてくんねぇ…』じゃなくて (*´▽`*)」って言ってくれたけども。

話をする側が
「わかってもらえた」と感じることで、苦しさが和らぐ。
状況は変化していないかも知れないけれど。
「わかってもらえた」と感じただけ、なんだけど
抱えているものを少し持ってもらえただけ、なんだけど苦しさが和らいでいく。

わたしが「調子良くないな」と判断して
地元病院の看護師さんが関わってくれるのも
「抱えているもの、少し持つよ?」
「(わたしが)潰れたりしないように、一緒に整理していこう」
ということなんだよな…と。

わたしにできることは?



翻って考えてみる。
わたしはどうなんだ?と。

患者として、そういう関わりを持ってもらえているけれど。
看護師としては、どうだったんだ?
当事者として、どうなんだ?と。

共感できてる?
相手の立場に立って考えることができている?わかったような気になって
独りよがりになってはいないか?

…と。

「言葉にならない思いを汲み上げてくれる」
と、時々言ってもらうことがあるけれど。

そういう時って
「見えて」来るものがありましてね…。
「見えた」ことをそのまま伝えているのだけども。それって、場合によっては「決めつけ」になるよね?とか。

自分に向けられるポジティブな感情を否定するというわたしの特性が顔を出して来る。

わたしは自分が経験したことしか、語れない。
相手の立場に立って考えることはするけれど
相手のことはわからない。

だから、伝える時には
そのことも伝えて、自分が感じたことを伝えよう。
と、思っているけれど。
できていないことが多いかな…。(猛省)

わたしは決して「代表」ではない。
いち、元看護師であり
いち、難治性慢性疼痛(CRPS)患者であり
いち、難治性慢性疼痛(CRPS)当事者である。

細かい部分を見て、フォローをしていく役割が向いているし
たまたまものすごく悪くなって、ものすごく良くなっただけのこと。
「珍しい生き物だから、発見を報告された」ってだけのこと。

尊敬しているtaeさん のように

tae『起業する前に教えておいてほしかったこと3つ。』 新年あけましておめでとうございます。 私は今から22年前の30歳の時に起業しました。 資金もなくて経験もなくてコネもなくて 世の中の経済も経営学も学ん…

ameblo.jp



「自分にできることを、自分のできる範囲で」
「自分の好きなことを、自分が楽しいと思える範囲で」
「自分を大切にして」
当事者としてできることは何か?
地域で生活する看護師としてできることは何か?

苦しさを感じている、抱えているひとに
もし、わたしにできることがあれば。
神様、どうか用いて下さいますように。
という願いを持っている。

「わたしが」誰の何かの役に立ちたい、というよりも。
「誰かが」用いてくれることを願うのは
都合が良い話なんだろうな…と思うけど。

自分のキャパシティを考えると
「誰かが」用いてくれることを願う方が
ちょうど良い気がする…(言い訳)

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